第53話 兄姉さまは本物のたらしだと思う【side 春】
学校に着いて、校門を通って、昇降口へと入った。ずっと雫さんと腕を組んだままなのに、周りの子は誰も気にしない。
ずらっと靴箱が縦横に並んだ空間に、人がたくさん。楽しそうな笑い声が、そこら中から聞こえてくる。
首を振って、周囲を見回す。怪しい子は今のところいない。みんな普通の女子高生。同じ制服着て、ちっちゃいぬいぐるみみたいなキーホルダーで鞄をじゃらじゃらさせてる、女の子たち。
ここで護衛は結構大変かも。二人は、いつもこんな場所に通ってたんだ。
鼻で息を吸ってみた。木の香り、埃の匂い、混ざりあったたくさんの香水、それと、もやっとした夏の熱気がミックスされてる。これが学校の空気ってやつね。
そうやっていると、ひょこっと目の前に雫さんの顔が現れた。
「どしたの?」
「ぁ……申し訳ありません、任務のことで少々、頭を働かせていました。ええと、靴箱は……あれか」
自分というか兄姉さまの靴箱に向かった。入ってすぐ、頭と同じくらいの高さにあるそれに手を伸ばした。
「あれぇ、手順を踏まないと毒ガスが噴出されるとか言ってなかった?」
「……は?」
「ほらぁ、あれあれ、ブービートラップが仕掛けられるかもしれないから、致死量のなんとかってガスで先手を打つって自信満々に言ってたやつ」
伸ばした手を、引っ込める。蓋付きの靴箱を見つめる。
うぅ、聞いてない。毒ガスだなんて誤爆したらどうするつもりなの、あの人は。解除の手順確認しないと、連絡取ってる暇あるかな、てか不審だし、ああもう。
なんとかしないと。兄姉さまが言いそうなこと、こと……そうだ。
「いやはや、そうでしたな。お見事です、その注意深さには敬服します。試すような真似をして申し訳ない、自罰として、本日に限って靴下で一日を過ごすことにしましょう」
ローファーを脱いで、段差を上がった。雫さんに背を向けて、先に進んだ。
「あれ」
一歩進んだところで、雫さんは言った。
「ごめん、勘違い。ガスは学校じゃなくてお家だったね、あはは、わたしってば」
背筋から、力が抜けた。肩ごと落ちそうになった。
ゆっくり振り向くと、雫さんは笑顔を浮かべていた。
「さっき、なんか言ってたよね、あれなに?」
「な、なんでもないでございます。やはり、上靴は履くべきですね、はい」
ため息を堪えて、靴箱の前に戻った。蓋を開けた瞬間に、雫さんが声を上げた。
「あ、あぶないっ」
下駄箱の中に光るものが見えて、咄嗟に頭の位置をずらした。何かが高速で耳の横を通り過ぎていって、背後でスタッという音が響いた。
一瞬遅れて、たらぁと汗が頬を伝った。
「また寝不足ぅ? 自分の仕掛けた罠で焦ってるんだ。あ、わたしの方も解除お願い」
雫さんは、けたけたと笑っていた。
幸い、発射装置自体は解除できる構造をしていた。って、なにしてんのもう、死ぬとこだった兄姉さまのばかばかばかぁ。
鼻をすすって、口を開かないようにして、雫さんの下駄箱をいじった。
靴を取り出してあげると、雫さんはくっついてきた。
「わぁ、ありがと」
「あはは……どういたしましてでござるよ……」
深い息が出て、背中が丸まった。学校って、思ったよりも疲れる。
教室に入って机に座ると、眼鏡の女の子――越谷まひるさんが早歩きで近づいてきた。
「おはようございますっ」
なんかテンションが高くて、ほんのり笑顔を浮かべていた。
「おはよう――」
ええと、結構辛辣な感じだったな。
「ふっ、今日も小判鮫みたいにくっついてくる、節操のないことだ」
「あ、うぅ、ごめんなさい小判鮫で。でも、その、昨日話してたコンペンセイターのことなんですけど、今、お時間よろしいですか」
越谷まひるさんは机に両手を置いて、身を乗り出してくる。
「コンペ……すまぬ、今朝はやることが多い、その話また後日にしてくれぬか」
飼い主のいなくなった子犬みたいにまひるさんの顔が萎れた。
「そ、そうなんですね……じゃあ昼休み、とか、どうですか……?」
顔が近い。十五センチくらいのところにある。眼鏡の奥で、ふるふると瞳が揺れている。
兄姉さま、この人……いやいやいや、余計なことを考えるのはやめよう、とにかく角が立たないようにしなきゃ。
「ごめんなさ……いや、ならぬ、今日は雫と二人で昼食の予定だ、貴様は教室の隅で一人で弁当でも食っているがいい」
はは、と笑ってみる。まひるさんの眉が、みるみるうちに垂れていく。目の奥が光ってる気がする。鼻も口も締まりがなくて、今にも決壊してしまいそうな、そんな感じ。やばい。
「そ、そうですか……はは……あははっ……ごめんなさい、調子乗りすぎましたよね、わたし……わたし……」
まひるさんは机から離れた。うつむき加減で、その場で半回転した。足がふらついていて、がくんっとバランスを崩していた。倒れるみたいに、歩き出す。
「ヘイ!」
まひるさんの背中を、突然現れた人――アリスさんが叩いた。
「まっひるー、どーしたのですか? アンニュイ、失恋ですか?」
「そ、そんなわけ……私にはそんなのないですから……もういいんです……引退します……」
「わぉ、この世の終わりですね、支離滅裂でぇす。ノンノン、ハッピハッピー、いつかまひるにも春は来ますよ」
ぐすんっと鼻をすする音が聞こえてきた。
机に手を投げ出して、その様子を眺めていた。え、なにこの人たち、実物は結構、思ってたより、かなりやばい。魔法少女情緒不安定、ていうか、逆恨みされたらちょっと勝てない。
フォローだよね、とりあえず、兄姉さまにも悪いし。
「ま、まひる。まだ話は終わってないぞ」
アリスさんとまひるさんが、同時に振り向いた。
「勘違いするな、お主を拒絶したわけではない。そう気を落とされると、こちらも居心地が悪い。つまりだな、なんだ、予定が入っていない日であれば、二人で弁当を食いながら語らうこと程度ならば、喜んで承ろう」
笑いすぎない程度に、笑顔を浮かべた。二センチだけ頬を上げるくらい。
ふわぁとまひるさんの肩が浮き上がった。胸の前で組んだ手に、力が入っていくのがわかった。
「本当ですか、約束……いいですか……?」
「あ、あぁ、ただここ数日は都合が悪い、そのつもりで頼む」
「は、はい!」
まひるさんは弾けるような笑顔になって、おっきく頷いた。
うわぁ、めちゃくちゃ好かれてる。なんか思ったより大変そ。
まあいいや、全部兄姉さまにぶんなげよっと。
「わぁお、様子のおかしいリンさんもやっぱりパリパリツンデレですねー」
まひるさんの背中に手を当てたまま、アリスさんも笑っていた。
二人の視線が、くすぐったい。胸から入ってきて、ぞくっと震えた。
兄姉さまってば、ほんと悪い女の子だ。




