第42話 だらだらも任務ゆえ無問題なり
雫に申し付けられた通り、帰宅後はソファーに向かった。
クッション面に顔を埋めた。鼻が痛い。息がしづらい。
ふしゅー、ふしゅーと息が漏れる。口周りが湿ってくる。
これは違う、いくらなんでも。
身体を半回転させて、仰向けになった。腹に手を置いて、天井を眺める。白い。真っ白というわけではないが、白に分類されることには違いない。
「ふむ……にゃん」
首周りがこってくる。ソファーの幅では、腕が窮屈だ。足ははみ出ていない、女子の短さゆえか。
天井を眺める。眺める。カチカチと時計の音が繰り返し聞こえる。
ソファーの裏で春が雫をモニターしている……機器の作動音と、時折あくびも聞こえる。
「春、春、いるか……にゃん」
「んー」
と、なにか咥えているようなくぐもった返事が返ってきた。軽い足音を立てて、春は正面へと回り込んできた。
ヘッドホンをして、口でピザの切れ端を頬張っていた。左手にコーラの赤い缶まで握っていた。
「ふぁに?」
ノースリーブのシャツに、ショートパンツ……本当にこの妹はくノ一なのだろうか。
天井を眺めたまま言った。
「そろそろだらだらを終了しても、雫に叱責されないだろうかにゃん」
「えーと、あと三時間くらいしておいたほうがいいんじゃない?」
「なっ――」
思わず春の方を見そうになって、すぐに顔を元の位置に戻した。
「危ない……しかし、そんなにか。なぜだ、根拠はあるのか……にゃん」
「ないけど。でも、なんとなくサボってたらそんくらいになっちゃうでしょ」
「ならんぞ。むしろ余計に消耗する。この体勢を維持するだけでも、いささか苦しいにゃん」
春は半眼になって、舐め回すようにこちらを見た。
「それ誰に吹き込まれたの? また雫さんにからかわれた?」
「いや……不意に起き上がってしまえば約束を違えてしまうのではないかと……にゃん」
吐き出すような調子で、春はゲップを出した。
「ふへへ、真面目なのかボケてるのかわかんなーい。そういうんじゃなくてさー、あ、ちょっと待ってて」
忙しなく春は台所へ駆けていって、慌ただしく戻ってきた。赤い缶とスナック菓子の袋を投げ渡された。
それらを両手で受け取ると、胸にもう一つ――スマートホンが飛んできた。
ばいんっと弾けて、ヘソのあたりまでスマホは滑り落ちた。
「もっと足崩して、手も。せっかく雫さんがくれた時間なんだからさぁ、有意義に使おうよ、もったいないじゃん」
「有意義とは正反対の行為だと、思うのだが――な、待てっ」
「待たない」
両膝の側面に手を添えられる。ぴとっと冷たい感触がして、一瞬肌が震えた。そのまま足を持ち上げられて、無理やり膝を三角にさせられた。
それからシャツの第三ボタンまでを開けられた。前がはだけて、雫に借りた下着が露出した。
「なっ……なにを……するにゃん」
「にゃんにゃん言ってるくせになんでそう硬派なのさ。ギャップ萌えにしても兄姉さまはやりすぎだよ」
「事情は説明したはずだ……にゃん」
春は声を上げて笑った。にんまりしながら、人差し指を向けてくる。
「りらっくすぅ、りらっくす、任務だって名目でサボれるんだよ、いつものぶん休んじゃおって。報告書にも書けるじゃん、護衛対象に懇願された結果ほにゃららってさ」
春はヘソに落ちていたスマホを拾い上げた。指でつまんで、差し出してくる。
「お菓子食べて、ジュース飲んで、動画見て、寝落ちして、そこ目指そ。天井なんか眺めててもだらだらじゃないよ」
「なるほどそれが極意か……にゃん」
春は顔を近寄せてきた。額に手を当ててきて、デコを露出させられた。
「せっかく普通に高校生やれてるんだからさ、兄姉さまはちゃんと楽しんでよ。ずっとお留守番の妹のぶんまでさ」
笑顔を作って、春は「ね」と強調した。
「そうか、お前も……いや、そうだな、務めは果たそうにゃん」
菓子の袋を脇において、スマホを受け取った。
遠ざかった春は、手を広げてくるりと一回転した。
「動画見てさぁ、SNSいじってさぁ、推し活なんてしちゃってさぁ、堅物やってるよりそっちのほうがずっと馴染めるよ。そんなにかわいいんだからさ」
タンっと軽く飛び跳ねて、春は足を揃えて着地した。
「では、春は仕事に戻りますので、頑張ってください兄姉さま、だらだら応援していますので」
腰を折るように頭を下げてから、春はモニターへと戻っていった。
足音が止まってから、リンはスマホを見つめた。黒髪の、控えめに言っても美少女が、ガラスに反射していた。容姿への評価は理解する、ただ、雫やアリスとはなにかが違う。
雰囲気、だろうか。
「かわいい、か、にゃん」
つぶやく顔は、笑顔とはまだ遠かった。
息を吐く。肩の力を抜いてみる。スマホの電源を入れる。
物は試し、言われたとおりに――手が止まった。
「春、春、来てくれにゃん、急ぎだ」
「はいはいはーい、どしたの? ダンスとか撮っちゃう?」
両手で持って、スマホを顔から遠ざけた。春の方を見た。
「いや……」
「いや?」
「動画やSNSとはどうやって鑑賞したらいいのだ……にゃん」
目をしばたいて、春は静止した。
数秒経ってから、どどどっと笑い声が響き渡った。




