第41話 師父の折檻のほうがまだマシに思えた
雫と通学路を歩いていると、遠くから名前を呼ばれた。
「彩峰さ……リンさん!」
二本先の電柱の隣で、まひるが手を振っていた。妙に動きが大きくて、顔は不自然なくらいに笑顔を浮かべている。
まひるはすぐさま駆け寄ってきた。
目の前までやってきて、息を整えるような仕草をしてから、顔を近づけてきた。
「私、わかったんです。リンさんの言葉を一晩中考えて、真理に到達しました」
様子がおかしい。撹乱を目的にしているのか、また雫を狙い始めたということもありえる。
手を出して雫を下がらせてから、リンは言った。
「なんだ藪から棒に。順を追って話せ」小声で付け足す「……にゃん」
まひるは気味の悪い笑顔を浮かべたまま、上体を揺らした。
「えっと……なんで寝るのかなんて、考えたこともなくて。もしかしたらそんなの必要ないのかもって……私たち、普通の人間とは違うじゃないですか、だったら同じにする必要なんてないじゃないですか」
目を見開いて、さらに顔を近づけてくる。声量は小さいのに、妙な圧迫感がある。
「クラスの子とも違う、両親とも違う、地元の友達とも違う、あの人もあの人も、魔法少女じゃない。私たちだけなんですよ、だったらそんなの常識がなにかなんてわからないですよね」
「そうか……にゃん」
目を細める。まひるの肌は微妙に紅潮している。つばがかかりそうなほどに、声は荒々しい。
朝っぱらからなにを言ってるんだこいつは。頭でも打ったのか。
「それで……思ったんです……」
「わかった、歩きながら聞こう。雫、危険は無いようです、いきましょう……にゃん」
軽やかな足取りで、雫が一歩前に出た。
「うん、おっけー」
頷く。歩き出そうとすると、まひるに片手を取られた。両手でがっちりと握られる。
「む」
胸元に運ばれる。まひるは手を握りしめたまま、祈るように見つめてきた。
「私、空が飛べるんですよ、姿が消せるんですよ、リンさんには敵わなくても、戦いだってできるんです。もしかしたら天使や精霊の生まれ変わりなのかも、だったら、睡眠なんて必要としない、布団に入っている時間は無駄そのものかもしれない、そうじゃないですか」
「いや……某も考えてみたのだがやはり魔法少女とて人は人、相応の睡眠時間を――」
手を引き寄せられる。握りしめられた拳の塊が、まひるの胸に接触する。
充血した目を、まひるは見開いていた。
「天命です。この命は、この身体は、私利私欲のために使ってはならないのかもしれない、そう、思いました」
「はっ……」
頭蓋にヒビが入った。身体を縦に割るように、稲妻が落ちた。
そうだ、そのはずだ、惰眠を貪るなどと、あまりにも身勝手。
忍びにあるまじき行いではないか。
「まひる」
空いていた手を、拳の塊に被せた。硬く握って、自分の側へと引き寄せる。
「その志、見事。全面的に同意しよう。安らぐだけの時間など、我らには不要……にゃん」
頷くと、まひるからも首肯が返ってきた。
振り向いて、雫を見た。
「まひる、雫、あなた達のおかげで目が覚めました。某は強くなります、二度とご迷惑をおかけせぬよう、心身ともに改めて鍛え上げます。どうか不肖リンを――」
雫の眉間にシワが寄った。下唇がめくれて、前歯が見えた。
低い、地の底を這うような声が、聞こえた。
「は?」
鋭い目つきのまま、睨むように雫はこちらを見ていた。
背中に汗が滲んで、だらぁと垂れ落ちた。
「越谷さん、リンちゃん、聞いて」
手を離して、直立した。
「は、はい」「はいっ」
「次、そういうこと言ったら絶交だから。ちゃんと考えて発言してね」
顔を背けて、雫は歩き出す。振り向かずに、一人で先に行ってしまおうとしていた。
「し、雫、お待ちを、なにかお気に触るようなことを口にしてしまったでしょうか。申し訳ありません、謝罪いたします」
頭を下げても、雫は立ち止まらなかった。声だけが聞こえてくる。
「約束、忘れてる。ふん」
追いかけて、追い越して、リンは改めて頭を下げた。
「申し訳ありません、気が動転して、罰ゲームのことを失念しました、今後は――」
「そっちじゃない。そっちもだけど」
目を合わせてくれないまま、雫はリンの横を素通りしていった。
どこで間違えた。どうして雫を怒らせた。約束……約束とは……そうか、そうだった、今後は休むと口にしたはず。
なぜ、またあんなことを。
拳に力が入る。指がパキパキと鳴る。
「約束、しかと胸に刻んでおります……つもりでした。どうすればお許しいただけるでしょうか」
2歩先で雫は足を止めた。身体の横で、振り子のように鞄が揺れた。
「許してほしい?」
「は、はい……もし許されるのであれば」
「それじゃぁ」
雫は足を回して、振り返った。漏れ出るように、顔に笑顔が浮かんだ。
「毎日ちゃんと家でダラダラすること、これ絶対ね」
言ってから、雫は手を差し伸べてきた。それを掴んで、再び頭を下げた。
「承知……しました……にゃん」
手を軸にして真横にやってきて、雫は身体を寄せてきた。立てた人差し指で、肩を押された。
「絶対だぞぉ~、リンにゃんってば忘れっぽいんだから、にゃんにゃん」
胸の重みが取れた。通りの悪くなっていた息が、すっと抜けていった。
手を繋いで歩き出すと、背後からまひるの声が聞こえてきた。
「あのぁ……私はどうしたら……?」
雫は首だけで振り向いた。一瞬目を上に向けて、それから言った。
「越谷さんはリンちゃんに影響されないで、もう一晩くらいよく考えてみたらいいんじゃないかな?」
それだけ言って、また正面に向き直った。
その後はいつも通り、身体を寄せ合って学校まで歩いた。
それにしても、だらだらとは。また無理難題を課せられたものだ。
どうしたら、雫に喜んでもらえるのだろうか。




