第37話 口付けのあとでも雫は容赦がない
教室に入るなり、雫はアリスのところへ駆けていった。
「ねね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、機密ってここで話せる?」
アリスは大仰に両手を上げた。
「ワオッ、朝っぱらから大興奮ですね雫さん。ふふん、逆に森の中のほうが葉っぱ一枚は目立たないものなんですよ、ということでカンボー機密費でもなんでも聞いてください」
イエーィとアリスと雫はハイタッチをしていた。
官房機密費だと、なにを言っているんだあいつは。
教室の隅でその様子を眺めながら、廊下側の席に座るまひるを窺った。コンビニかなにかで買ってきたと思われるあんまんを、笑顔で頬張っていた。
アイコンタクトして、顎をしゃくるが奴は気づく素振りもない。ぱくぱくと頬を抑えながら食事をしている。
リンは下唇を噛んだ。あいつを頼ろうとしたのが間違いだったか。
笑顔の雫は、アリスに言った。
「じゃね、じゃね、えっと魔法少女っていうか、アリスはちゃんと夜寝てる? 西へ東へなんとか、深夜徘徊とかしてないよね?」
唇の下に指を当てて、アリスは首をひねった。
「ホワイ? なぜそんなことをお聞きですか、フツーに9時間は眠らないとやってられません、ゾンビみたいになっちゃいます、グオー」
アリスは両手を鷲の爪のようにして、指を小刻みに動かしながら、雫に飛びかかった。絡み合って、雫は抜け出そうとしているが、なぜか笑っている。
目が見開いていって、内側が充血するように痛んだ。工作員め、やはり消しておくべきだったか。
拳に力が入る。柔らかな皮膚がぐぅと震える。
足音を立てて、リンは二人に近寄った。
「あ、リンちゃん、賭けは――ひゃっ」
雫の手を引っ張って、アリスのヘッドロックから救い出した。
額から制服、スカートからソックス、身体を確かめる。乱れているが、傷はない。よかった。
「お怪我はありませんか。ご安心を、今すぐ首を跳ねます」
睨むと、アリスは手のひらを広げてのけぞった。
「ノーノー、武器を抜いたら葉っぱじゃなくなってしまうのデス。嫉妬はそのくらいにしてください、雫さんを取ったりなんてしませんから」
「殺す」
クナイを生成しようとしていると、手首を雫に掴まれた。
「リンちゃーん、そうやって誤魔化しても、わたしは誤魔化されないぞー。ふふふ、罰ゲーム、約束したよね?」
雫はにんまりと頬を歪ませた。
「ええ、忘れておりません。しかし、此奴一人では証拠不十分、そもそもその言動自体が信憑性に乏しい、そこで」
パチンッと指を鳴らした。周りの女子生徒の話し声のせいで、ほとんど響かなかった。
力を入れてもう一度鳴らす。次はよく響いたが、今度は肉まんを頬張っていてまひるは気づく素振りもなかった。
リンは雫の目の前に、手のひらを出した。
「少々お待ちを」
首をひねる雫をよそに、まひるのところへと向かった。
机の前に立つと、ぼんやりしたような表情でまひるが見上げてきた。
「ぁ、彩峰さんおはようございます、二度目ですけど。あのちょっと考えてみたんですけど、私もリンさんって呼んでも――」
「いい。来い、雫を待たせるな」
「あ、あ、ちょ、あ、そんな強引すぎまっ、あ」
手を掴んで、無理やり立ち上がらせた。
ふたりのところに連れて行って、リンは腕を広げた。
「越谷まひるだ、魔法少女をやっている」
アリスと雫が顔を見合わせた。ほとんど同時に声が聞こえてきた。
「知ってる」
「知ってますデスね」
まひるは会釈をした。
「どうも……」
リンは言った。
「これでイーブンだということだ。まひる、話してやれ」
「はい?」
まひるは右に左にと首をひねった。
制服の裾をつかんで、引き寄せた。鼻先がくっつくほどの距離。まひるの目は、きょろっと斜め右を向いた。
「雫と賭けをしている。アリスは魔法少女のくせに眠るらしいぞ、お笑いだと思うだろ」
「ぇ、あ、はい、はい、またその話ですね、あー……そうなんですか、はは」
雫とアリスの視線を感じる。不自然だと疑われる、早くしなければ。今朝のやり取りだけではこいつには伝わらなかったか、なんたる不覚。
まひるの耳に口を寄せた。
「寝ずに活動できるようでなければ、雫は満足しない。この意味がわかるな」
「えと、その」
「言い方を変えよう、軟弱な魔法少女を決して某は認めない、わかったか」
「は、はい」
「よし」と言って、顔を遠ざけた。
笑顔を作って向き直ると、眉間にシワを寄せた雫と目が合った。ぼそっとその口が動いた。
「裏工作」
「なにを仰るか、某はただ、魔法少女としての規範意識を皆に教授してやりなさいと言っていたまで。なあ、まひる、おかしいのはアリスであろう」
まひるの口から、機械のように硬い返事がやってきた。
「はい」
「詳しく話せ」
後ろからこっそりケツを叩いた。きゅっと肉が締まって、まひるの声がやや跳ねた。
「雫さん、魔法少女は寝ません。二十四時間、いつだって、呼んでくれたら駆けつけますよ」
雫は渋い顔でまひるを見ていた。
代わりに、反応したのはアリスだった。
「初耳デース。じゃあこれからは深夜早朝も気にせずに連絡しますネー」
アハッとアリスは笑顔を弾けさせた。まひるの表情はみるみるうちに曇っていき、「え」と声を漏らして動かなくなった。
リンは上がりそうになった頬をぷにぷにと指で下げてから、雫を見た。
「これでおあいこですな。さぁ、罰ゲームもご心配も不要、どうぞ某の体調のことは一切お気になさらずに」
一拍置いて、雫が言った。
「うん、絶対嘘だよね」
喉の奥に言葉が沈んだ。息も沈んで、苦しくなった。ちらっと時計を見ると、ちょうど針が動いた。
キーンコーンと予鈴がなって、リンは自分の机へと向かった。
「あー、逃げたぁ」
雫の声は、喧騒のせいで聞こえなかった。




