第27話 なんでいつもドキドキさせるようなこと言うかな……リンちゃんのくせに
カランカランと下駄が鳴る。合宿所の裏庭には、ジー、ジーと虫の音が聞こえていた。
少し湿った手のひらに、触れている。指と指を絡めて、ぎゅっと握り合う。
骨っぽくない、柔和な手。甲に指が吸い付いて、離れていこうとしなかった。
ぽつんと浮かんだ月を見上げて、雫は小さな笑みを浮かべた。
「昔からね、嫌なことがあっても、目が覚めたら全部元に戻ってるんだ」
その声は、いつもと変わらない調子だった。硬さはなくて、声色は常に明るい。
夜空を見て、にこにこと雫は笑い続けている。
「さらわれたり、殺されたり、とか、ね」
語尾を強調して、雫はリンに視線を移した。
「御冗談……ではないのでしょうね、雫の場合は」
「うん、もちろん。寝ている間はガヤガヤしてても、起きたらなんにもない。おはようって笑うお母さんに、なにかあったよね? って聞いても、なんにもなかったって言われる」
繋いでいない方の手に、リンは力を込めた。そうか、故に母殿は平々凡々としておられたのか。
「本当に覚えてないっぽいんだよねえ、お父さんもお母さんも、他の人も」
「それからぁ」と艶っぽく雫は言う。
「自分も、わたしをさらった誰かのことを忘れちゃう。そんな人が本当にいたのかもわからなくて、朝起きたら、いつも通り」
無垢な少女のように、雫は声を出して笑っている。頬は丸くなっていて、表情が変わることはない。
喉の奥がつっかえた。重い息が、体内でとぐろを巻いている。
リンは沈みかけていた顔を上げた。真っ直ぐに伸びる、暗い道。池や植木は整えられているが、足元はいくらか荒んでいた。
「そう、ですか。察してはいましたが、改めてお話を伺うと、にわかには信じがたいものですね」
雫はにぃっと口元を歪めた。
「あれぇ、疑ってるのぉ? リンちゃんなら信じてくれると思ったから、話したんだけどなー」
「い、いえ、決してそのようなことは。むしろ疑うという方が、無理筋です」
絡まった腕がやや圧迫される。雫の体重が、こちらに寄ってくる。
「うふ、ありがと。でね、ううん、でねじゃないか、雫ちゃんの過去は今話したことだけ。ずーっと繰り返しなんだから」
道はさらに悪くなっていたが、雫が止まろうとしないので、そのまま進み続けた。
「そうなると、あの魔法少女たちは命拾いしたのかもしれませんね。さらなる強硬策に出ていたら、おそらく、忘れ去られていたことでしょう」
あるいは、立場が違えば、自分も。
「そう、かもね」
はじめて雫は笑顔を消した。リンから視線を外して、薄暗い道の先を見つめていた。
「お話してるうちはよかったけど、それで終わらなかったら、きっと、また忘れてた。あんな人達、わたしは知らなかった。クラスメイトがいなくなっても、気付きもしなかった」
繋いだ手に、力が込められた。ぐぐっと、雫の指が皮膚に沈んだ。
腹の中を、もやっとした不快感が支配した。奥歯がぎぃと鳴いた。
「その……申し訳ありません、配慮に欠きました。雫の苦しみを、理解するべきでした」
雫は、眉を浮かせた。リンに向き直ると、また笑顔になった。
「いいよ、いいよ、別に苦しいとかないし。悪いのはリンちゃんじゃなくて、悪い人たちだもん、気にしないで」
「気にします。敵のことなどではなく、あなたのお心が心配です」
思わず、足が止まった。胸に手を当てて、リンは雫に顔を寄せた。
雫はまんまると目を見開いて、すぐに顔を逸らした。ぼそぼそと、つぶやくような声が聞こえてくる。
「じゃあさ……前にも言ったけど、リンちゃんはいなくならないでね。……いなくなるくらいなら、ちゃんと殺してね」
正面に回って、雫の二の腕に両手を置いた。
「ぁ……」
「使命……いえ、恋人として、あなたを悲しませるようなことはしません。そのお身体に刃を向けるようなこともありません。その代わり、重責のほんの一部だけでも背負わせて頂ければと存じます」
ぼそっと雫はつぶやいた。
「……なんでいつもドキドキさせるようなこと言うかな……リンちゃんのくせに……」
鼻頭が赤くなっているように見えた。雫は目を伏せて、視線をきょろきょろとさせていた。
胸の表面を撫でられているような心地になった。足の裏が、浮いているようだった。
いじらしい雫を見つめていると、勝手に口は開いていった。
「雫のことを、誰よりも大切に思っているからです」
また、雫はつぶやいた。
「んぅ……聞かないふりするじゃん……普通……」
浴衣に覆われていない鎖骨が、赤々と色づいていた。
強く強く手を握りしめて、深夜の散歩を続けた。言葉は少なく、足取りはゆっくりと。
蒸した夜に、手のひらの熱をただ感じていた。




