第26話 浴衣での、同衾を求められた
真っ暗闇の部屋に、ジー、とエアコンの作動音だけが聞こえていた。
浴衣をはだけさせたアリスが、布団から手足を出している。丸めた布団を抱きしめる越谷まひるが、むにゃむにゃと口を揉んでいる。
横向きに眠る雫は、いつもより額を露出させていた。
窓辺に立って腕を組むリンは、深く息を吐いた。
「……酷い有様だ」
部屋は散らかり放題だった。
布団は適当に敷かれ、私物がそこかしこに投げ出されている。開けっ放しの缶ジュース、お菓子の袋……ゴミを数えればキリがない。
想像とは、異なる。もう少し殊勝に恋バナなどをすると思っていたら、存外、歌えや踊れやと暴力的だった。ヘアアイロンなど、なぜ畳の上に置きっぱなしなのだろう。
「はぁ……多少は片付けるか」
リンは、アリスの腹を跨いで斜めになったテーブルへと向かった。
適当にビニール袋を見繕って空き缶に手を伸ばすと、「C……Z……」越谷まひるが突然、声を出した。
「むっ……なんだ寝言か」
身構えた拍子に、手元の空き缶が、カランと音を立てた。
「んぅ……」
今度は、雫が声を漏らした。もぞもぞと身体を動かして、ゆっくりと目を開けた。
「あれぇ……リンちゃん……まだ起きてたの……?」
「あ、いえ、これは」
リンは、浴衣の後ろに缶とゴミ袋を隠した。またカラカラっと音が鳴った。
雫は上体を起こして、目を擦った。
「ふわぁ……いつの間にか寝ちゃってた……お片付けしてくれてたんだぁ……ありがとぉ、でもいいんだよ、明日やるからぁ……」
ふらふらと雫は上体を揺らした。目は半分閉じていて、口の動きにもキレがない。
「お気になさらず、どうぞお休みください。某は、まだ眠くないので」
「ふへぇ……ぁ、あー……ねぇ、ね……」
雫は、両腕を広げた。赤子を抱こうとしているような、そんな仕草だった。
「んふふ……おいで……」
「は、い、いえ、そのようなことは……」
眼球が、意志とは関係なく、ぐらぐらと動いた。みぞおちあたりが、急に突っ張った。
「いいよぉ、来て……そんなとこより……ちゃんと守れるよぉ」
雫はうっすら笑いながら、伸ばした腕を上下させた。浴衣がズレて、つやっぽい右肩が露出した。
「護衛してくれてたんでしょぉ……へへ……ねぇ早く早く、リンちゃんのせいで寝られなくなっちゃうよぉ」
「し、しかし……それは、あまりにも……」
ぷくぅと、雫は口を膨らませた。
「むぅ……お付き合いしてるの……わたしの勘違いだった?」
「そんな、ことは……ありま……せぬ……」
ひゅっと手からゴミ袋が落ちて、また、缶が音を立てた。
布団の中で横になって、リンは雫に頭を撫でられていた。
薄暗い視界には、重なった浴衣の襟が見えている。
「えへへ……リンちゃぁん……かわいい……」
横たわる腕はぴくりとも動かない。目は開きっぱなしで、身体は縮こまっている。
髪の毛を梳くように、雫の指が動いている。つむじを撫でられて、頭を擦られて、その手が動くたびに、ぞわぞわした感覚が広がった。
「やめて、ください……某は乳幼児ではございませぬ……」
「わはぁ……ぁ、リンちゃんって、子供の頃はどんな子だったの?」
「は、え、か、語るようなことは特にはございませぬ。日々鍛錬に明け暮れるだけの、そのような幼少期でございました」
「それでぇ?」
にたぁと雫は笑っていた。少し距離を詰められて、甘い香りが鼻から飛び込んできた。
「それで、と、もうされましても、その、ぁ、ああ、ここの訓練所を利用したこともあります。あれはいつだったか、5歳か6歳ほどでしょうか、厳冬の海での耐久訓練は堪えました」
朝から晩まで基礎訓練に明け暮れていた。それ以外の記憶は、ない。話すようなことは、ない。
「そ、そんなことより、雫はどのような幼少期を。某は、そちらに興味があります」
「へー……聞いちゃうんだ、悪い子だね」
雫の手が背中に回ってきた。抱き寄せられて、足と足が絡んだ。
目の前に顔がやってきた。唇との距離は、ほんの5センチしかなかった。
全身が汗でまみれていた。布団の熱が暑く、熱い。ふわぁと一瞬意識が遠くなって、すぐに気を引き締めた。
「無理にとは申しませぬが……しかし、ね、眠るにしても、もう少し距離をですね……その」
まどろんでいた雫の声が、急に鮮明になった。
「知りたいんでしょ、知りたいんだよね?」
「は、はい」
反射で、返事をしていた。目を細めて、雫は笑顔になった。
「じゃあさ、ちょっと歩かない? 二人だけの秘密にしたいから」
雫は頭を浮かせて、アリスと越谷まひるの様子を窺っていた。寝ていることを確かめると、また目の前に顔がやってきた。
「ね。ナイトデート、しよっ」
にしし、と雫は笑った。
その顔を見つめて、リンは無意識に頷いた。
「ぁ……」
いつの間にか、手を握りしめられていた。
すかー、ぐー、と寝息が聞こえていた。




