第22話 雫殿は誰とでも仲良くしようとしたがる
合宿所に向かう高速バスの車内で、リンは眉間にシワを寄せていた。
組んだ腕の先で、指が脇腹を叩いている。止めようと意識しても、すぐにまた指先は動き出した。
「リンちゃんもお菓子食べる?」
薄手の長袖シャツに、短めのフレアスカートという私服に身を包んだ雫が、隣から一口チョコの包みを差し出してきた。
「はい、いただきます」
腕組みを解いたリンは、笑顔を作ってチョコを受け取ろうと――した。
が、背もたれのすぐ隣から視線を感じて、出した手をぴたりと止めた。
ひそひそと話し声が聞こえた。
「見てくださいまひる、尊いです、口移しかもしれませんよ」
疑惑の外人留学生の神経を逆撫でするふざけた声が聞こえて、
「や、やめましょうよ、茶化すとクナイが飛んできちゃいます。……でもちょっと気になったり」
おどおどした寡黙メガネの返事があって、気配がふたつに増えた。
振り向くと、予想通り金髪と黒髪の2つの頭が背もたれの後ろから生えていた。
目が合うと、アリスはにっと口角を上げて、越谷まひるは虫のような素早さで頭を引っ込めた。
「おうっ、気にしないでください、こっちはこっちで楽しくエンジョイしてますから」
リンは睨むようにアリスを見た。
楽しくとエンジョイは同義ではないか、エセ外国人め。気が変わった今すぐ降りろ、貴様らに泊まらせる部屋はない――言おうと思ったが、胸の内に押し留めた。
どうせ言っても無駄だ。それに、雫の意向には逆らえない。
返事はせず、雫へと向き直った。
「失礼しました、お菓子、もらいます、ん」
雫はチョコの包みを開けていた。一口サイズの正方形を、親指と人差し指で摘んでこちらの口元へと差し出してきた。
「はい、あーん。毒見よろしくねっ、うふ」
こそばゆさが全身を駆け上る。雫の真っ直ぐな視線を感じる、背後からも邪な視線を感じる。チョコは迫る、有無を言わさず口に近づいてくる。
息が熱くなった。忍びとして、女の子として覚悟を決めた。
「あ、あーん……はむ」
唇に挟んだチョコを、口内に放り込むと、あっという間に溶けていってしまった。
ミルクの甘さが、染み渡った。
「じゃ、わたしにもちょうだい」
チョコを手渡される。包みを剥がして、今度はこちらが、雫の口元にそれを持っていった。
頬のみならず、胸も背中も、額までも発熱していた。雫殿は、なぜこの儀式にこだわるのだろう。
「あ……あーん」
やや舌を出して、舐めるように雫はチョコをすくい取った。
「んー、リンちゃんの味がするー」
両手で頬を押さえて、雫は嬉しそうに口を動かした。天に昇っていくような緩みきった表情、これだけのことでなぜそこまで反応するのだろう。
悪い気は、しないが。
チョコを味わう雫を見つめていると、背後からまた奴らの声が聞こえてきた。
「見ましたか、ハピネスはあの指から放出されてます。決定的なラブの瞬間ですよ」
「まぐわいを……また見てしまいました……」
ミシッと後頭部が音を立てた。カッと目を見開いて、眉間にシワが寄った。
振り向いて、二つの首に言った。
「降りろ。さもなければ腹を切れ。貴様らの歪んだ性根、我慢ならん!」
手前側に座っていたアリスが、盆踊りでもしてるかのように身体を仰け反らせた。
「わおっ、アングリー、リンさんブチギレです」
「なぜ貴様は同じ単語を繰り返すのだ、許せんっ」
アリスは「わっつ?」と口にして、気の抜けたような顔をした。
リンは奥側で窓に目を向けていた越谷まひるを見た。
「そもそもなぜ貴様がいるのだ越谷まひる、呼んだ覚えなどないぞ!」
ビクッと反応した越谷まひるは、窓ガラスに二の腕をぶつけた。胸の前でぎゅっと手を握りしめて、おそるおそるといったようにリンを見た。
「ひ、東山さんがどうしてもって……」
「断ればいいではないかっ、なぜ邪魔をするのだ貴様らは。せっかく、ふた――」
言い直す。
「――雫が心身共にリラックスできる貴重な機会だというのに、余計なリスクを持ち込むな」
「そ、それは筋が通ってないっていうか……その雫さんに誘われたんですけど……」
合わさった歯が、ギリギリと鳴いた。そんなことは百も承知、だからといって、だから……いや……ぬぅ。
その雫にワンピースの裾を引っ張られた。
「リンちゃん」
振り返ると、雫の半目が待っていた。座った目が、じーっとこちらを見つめていた。
熱が冷めていく。すーっと汗が引いて、身体がしぼんだような気がした。
また腕を組んで、椅子に座り直した。勢いをつけたせいで、尻が深くへこんだ。
「……雫に免じてここは見逃してやる。命が惜しければ、金輪際舐めた真似をしないことだ」
座席の隙間から、雫が後部座席に声をかけた。
「もぅ、なんで仲良く出来ないかな。ごめんね、ふたりとも」
アリスの笑い声が聞こえた。
「あはっ、ツンデレも愛嬌です、全然気にしてないのですよ、ね、まひる」
小声で、越谷まひるが返事をする。
「そ、ぜ、全然、平気です、はは……」
それから雫は二人と――といってもほぼアリスだが――談笑を始めた。
「……むぅ」
また、脇腹を指が叩き始めた。
バスは市街地を抜け、海岸線へと入っていった。賑やかな声が響く車内で、ただひとり窓の外を流れる景色を睨みつけていた。
窓ガラスに、雫の笑顔が反射していた。海と同化するそれを見ていると、自然と指の動きは緩やかになっていった。
本当に奴らを叩き出せば、この景色は色を変えてしまうかもしれない。
それは正解ではないのだろうな、と思った。
リンは誰にも聞こえないように、つぶやいた。
「……もうすこし、上手く馴染めたらいいのだが」
ふぅと息を吐き出すと、指の動きは、ようやく止まった。
「わぁ、リンちゃん見て見て、海だよ、海ぃ!」
景色に気づいて、雫はさらに表情を明るくした。窓を一瞥すると、くるりとこちらに向き直った。
夏の輝きは、今この瞬間、自分だけに向けられていた。




