第18話 魔法少女に人権があると思うほうがどうかしている
ドンっ、と廊下の壁を叩くと、越谷まひるのメガネがずり落ちていった。
「貴様っ、雫殿との逢瀬を見ていたな」
波打つ越谷まひるの口から、気の抜けた声が出た。
「ひゃ、ひゃい……ぁ、じゃ、じゃなくて、し、知りません、なんにも!」
「ついに口を割ったな越谷まひる、もはや言い逃れはさせんぞ」
「ちが、ちがちが、言い間違えただけです、監視なんてしてませんしてまえん、してませんっ」
顔を寄せると、青ざめた表情が影で暗くなった。
胸と胸はぶつかっていて、スカートの裾と裾はこすれあっている。鼻先は、体温を感じ取れるほどに接近している。
狼狽するたびに、越谷まひるの唾が口元に跳んできた。
「拷問が望みならば、こちらには準備がある。水攻めか、鞭打ちか、あるいは拘束衣に興味があるのか、好きなものを選ばせてやろう」
がくがくと、越谷まひるの顎が震えた。
「じ、じじじ、人権、人権侵害、そ、そそんなの、許され、許されるわけ――」
「国際法を持ち出しても、魔法少女などに人権があると思うなよ」
「ひっ、ひぃ……」
えずくような動きをして、越谷まひるの眼球が斜め上を向き始めた。浅い呼吸が繰り返される。顔面はあぶらぎっている。
あと一押し、話し合いで口を――
「リンちゃんってば、さっきからなにしてるの?」
背後から、声をかけられた。
「次、水泳だよ、そろそろ行かないと遅刻ー」
振り向くと、首をかしげる雫がいた。
「もしかして、また越谷さんに意地悪してたの? 何度も同じこと言いたくないんだけど」
リンは頬を緩めて、笑顔を作った。
「とんでもない、友として内緒のおしゃべりをしてたんですよ、なあ越谷まひる?」
「ひ、東山さんたすけっ――」
向き直って、睨むように越谷まひるを見た。
「恋バナ、ですよね?」
動きの悪い機械のように首を動かした越谷まひるは、雫を見て、リンを見て、最後にもう一度雫を見た。
「あは、あははは、彩峰さんと内緒のお喋りぃ、恋の相談なんて、困っちゃう、なぁ、はは、ははは」
雫は喉を鳴らすような声を出した。
「んー……? めちゃくちゃ怪しい。恋バナなんてしないでしょ、その二人で」
また、雫に向き直った。
「昨日のことが、誰にも相談できなかったものですから……ぁ」
手のひらで、口を覆った。
「雫の前で言うことではありませんでしたね……少々、お恥ずかしいです」
片手で肘を引き寄せて、身体を内側に丸めた。下を見ながら、視線をさまよわせる。
ばっちりだ、完璧にいじらしい。これ以上なく、女子生徒を演じている。
「ふぅん……」
なぜか雫は、半目でこちらを見ていた。
「さ、さ、更衣室に参りましょう。刺客と疑われる体育教師に隙を見せると厄介ですから。っと、申し訳ありません、最後に一つだけ」
雫の背中を押しながら、上体をひねって越谷まひるに耳打ちをした。
「あのフリルが視界に入った場合、塵すらも残らないものと思え」
「ひゃ、ひゃい」
越谷まひるは、脱力したように壁に寄りかかった。
「あー、またやってる」
「やっていません。すきんしっぷです、雫ど……雫と同じです」
「えー、同じはやだなぁ、特別にしてほしい」
「では……更衣室まで手など繋いでみましょうか」
横に並ぶと、雫はぱっと表情を明るくした。そのまま間髪入れず、がっちりと右手が握られた。
心拍正常、女子の交流にも慣れたものだ。
「ていうかリンちゃんいつもプールはあとから来てたよね、防犯のためとかなんとかって、今日は一緒でいいの?」
「はい、やはりお側を離れるべきではないと……考えを改めました」
どく、ばく、と心臓が跳ねた。
これまではその場――女子更衣室に――立ち入ることを、避けていただけだ。
だが、事情が変わった。雫を深く観察する好機、逃すわけにはいかない、任務のために。身体調査のために。
悟られぬようにせねば、これまで以上に。着替えの現場など、女子である身には当たり前のことだ。演じればいい、演じれば。
肌の熱を抑えようとしていると、思わず、つぶやきが口を出た。
「……不可視の魔法とはなんと便利なものか」
「へ?」
「い、いえ、なんでもありません。急ぎましょう」
手の温もりを感じながら、並んで廊下を歩いた。
少し行ったところで「あ」と雫が突然思い出したように振り向いた。
「越谷さん来ないの?」
背後にいた越谷まひるは、両手で腹を押さえていた。
「ちょ、ちょっとお腹の調子が……保健室に……ぁ、ひとりで大丈夫ですから……」
付き添うよ、と申し出た雫から逃げるように、越谷まひるは足早に去っていった。
いつも体調の悪い女のことはすぐに忘れて、リンはこの先の振る舞いについて思考を巡らせた。
まさか、生徒として女子更衣室などに入ることになろうとは。
女体化の秘密、墓まで持っていく他に、雫殿には許されそうにもない。
ぺたぺたと、軽い足音が廊下に反響していた。




