第127話 雫がはつさんに写真を渡そうとしていた
八月末、いよいよ滞在期間を終え、街に帰る日がやってきた。今朝から茹で上がるような陽気で、夏の終わりという雰囲気もまるでなく、四十度にもなろうかという酷暑日だった。
スーツケースや鞄を抱えて、長い石段を降りた。途中、暑さのあまり奇声を上げたアリスが、変身して下まで降りよう、だのと珍妙なことを言い出した。まひるも同調して盛り上がっていたが、リンは首を縦に振らなかった。
「やめておけ。無闇に力を使えば、銃弾が飛んでくるぞ」
「ノー、許可を取っておけば良かったでぇぇぇす、うぼぼぼ」
ふらふらのアリスは、リンに身体を寄せてきた。
「やめんか、暑苦しい」
まひるは「そうだ荷物捨てていきましょうよ」などと意味のわからないことを言っていたが、最終的には観念して、また徒歩で階段を降り始めた。
雫は、自身も苦しそうにしながら、しかしどこか楽しげにやりとりを見ていた。
「ファイト、ファイト、もうちょっとだよ」
アリスとまひるは、苦痛だけのようだったが。
「風情がないデスぅ、別れはフレッシュであるべきデスぅ」
「うぅ、お土産の銃器が重いぃ」
蝉すらも鳴くことを諦めた夏にあっても、リンの周りはうるさかった。
時間をかけて、なんとか下まで降りた。農道には白いバスが止まっていて、春とはつさんが待っていた。
「暑い中ごくろうさま。こんなものしかないけど、どうぞ」
はつさんは、氷入りの桶から出したラムネの瓶を配ってくれた。
「おうセンキュー、木から落ちて死ぬところでしたぁ」
「蝉ですか」
アリスは瓶を顔にこすりつけて、腑抜けた顔をしていた。
リンもありがたく頂戴した。ラムネで喉を冷やしていると、雫がなにか探すように首を振っていることに気づいた。
「どうなさいましたか?」
「うん、あ、いやね、いいんだけど、全然、いいんだけど」
そう言って、雫は周囲を見回した。
「帰るってなったのに、はつさんしかいないのはちょっと寂しいなって」
雫は、畑の方を見て目を細めていた。
はつさんが一歩前に出てきた。
「この暑さですから。皆熱中症にかかって、道端で倒れているのでしょう。師父様も、事切れる寸前に、よろしく伝えてくれ、と仰っていました」
数秒間はつさんを見つめて、雫は吹き出すように笑った。
「あはっ、それなら仕方ないですね。あ、そうだ、そんなことより、アレ選んできました」
「あらあら、どんなお姿があるのかしら」
雫はトートバッグから、写真の束を取り出した。最上部の一枚には、笑顔のリンが写っていた。
「これ、向こうとこっちでのリンちゃんと、あと、ちょっとわたしが一緒に写ってるのも。かわいいのが多すぎて、選びきれなかったんですけど、なんとか厳選してきたんで、お願いします」
「はい、確かに。責任を持って、里の宝とさせていただきます」
差し出された写真の束を、はつさんは受け取った。
リンは首を傾げた。
「それはなんですか?」
「えー、忘れちゃったの? 最初に言ったよね、アルバム作ろうって」
「なるほど、あれは未来の話かと……ん」
裸エプロン、という単語が頭に浮かんだ。
身体の芯が急激に温められて、わなわなと口元が震えだした。
「し、雫、お、お待ちください、その写真にはなにが写ってるのですか!?」
雫は口に手を当てて、にやりと笑った。
「んーとね、教えなーい。ぐふふ」
悪い笑みをしていた。人を陥れようとする、悪魔的な顔だった。
「は、はつさん、それを寄越してください。検閲しますっ」
こっちの老婆も、同じような顔をしていた。
「い、や、でございます」
はつさんは、口を押さえておほほと笑った。
奪い取ろうとすると、軽快に躱された。はつさんは、足を動かしていないように見えるのに、車よりも速く後退していった。
後ろの方で、春が声を上げた。
「姉さまー、そろそろ出るよー。時間調整頑張ったんだから遊んでないでー」
雫に手を引かれた。
「行こっ」
「し、しかし」
耳打ちしてきて、雫はささやいた。
「次はもっと凄いの撮ろうね」
「ぬぐっ」
ぷしゅっと溜まっていた熱が弾けて、身体に力が入らなくなった。骨のなくなった手を引っ張られて、気づけばバスの乗降口まで連れられていた。
「はーい、乗った乗った」
「ぁ、ま」
春に背中を押される。足はステップを上ってしまう。アリス、まひる、雫が続けて乗り込んできて、ついに降りることが出来なかった。
いつの間にかはつさんは、車のすぐそばにいた。
「それでは、みなさまお気をつけて。またいつかお会いしましょう」
勢いよく扉が閉められて、車はあっという間に発進した。
車の最後尾まで移動して、リアガラスを叩きながら訴えたが、はつさんは手を振るばかりだった。ついに見えなくなってうなだれていると、誰かに肩を叩かれた。
「まあまあ、そう気を落とさないでー」
「なにがあったのかはわかんないけど、きっといいことあるよぉ」
振り向くと、棗と綾がいた。




