第12話 見せパンというものを履くべきなのでしょうか?
水を一口、ラーメンを一すすり。
断りを入れて、リンは雫の昼食の毒見をした。
結果、毒物は混入していなかった。しかし雫は、突然言いがかりをつけてきた。
「あー、勝手に人のご飯食べたぁ」
「……は?」
「もーらいっと」
すっと箸を伸ばしてきて、雫はリンの前に置かれていたハムカツを奪い取った。
止める間もなく、一口、かじられる。
「んー、いつもの味ー」
片手で自分の頬を押さえた雫は、ハムカツをじっくり咀嚼して、飲み込んでしまった。
「なっ、雫殿、危険です、吐き出してください!」
リンはテーブルに両手を置いて、立ち上がった。
「だいじょぶだよぉ、そんなこと言ってたらなにも食べられなくなっちゃうじゃん」
「ですが、あなたは常々命を狙われている身、警戒を怠ってはならないのです!」
雫はリンを見つめて、にたぁと笑った。
「あはは、リンちゃん必死すぎ。でも、ありがと、こういうイタズラはもうしないようにする」
「是非、そうしてください。お身体に異常はありませんか?」
「うん、元気、元気」
ほっと胸を撫で下ろす。全身の緊張が、次第に溶けていった。
危ないところだった。いくら雫殿でも猛毒を仕込まれていたらどうなったことか。
ふぅと息を吐いていると、対角に座っている越谷まひるのつぶやきが聞こえてきた。力感のない声で、人に聞かせようとはしていないようだった。
「……なにこの人たち」
リンの正面でうどんを啜っていたアリスが、まひるの背中を叩いた。
「ユリユリでーす!」
「ぶほっ」
越谷まひるは盛大にむせた。
「急になにするんですかっ」
そうやって怒りながら、アリスにぶつくさと文句を言った。
「まひるもワタシのご飯食べますか? 美味しいですよ、トレードしましょ」
「し、しませんから」
越谷まひるは手元のカツ丼大盛りを手で覆って、アリスから遠ざけていた。
緊張感のない奴らだ。自分の嗅覚が疑わしくなってくる。
アリスはラベンダーのような香り、越谷まひるはシナモンに似た香り。よもや魔力などではなく、ただの香水なのではないかとリンは思いかけた。
思考を巡らせていると、隣から雫の箸が口元に伸びてきた。
「ね、ね、もっと毒見して。はい、あーん」
「なんですか、これは」
雫の箸には、水の滴る茶色く細長いものが掴まれていた。
「めんまだよ、知らない?」
「存じておりますが、それは先程――」
声を遮られる。
「あーん、って言ってみて」
「は? ……あーん」
返事をするやいなや、雫の顔は溶けるように崩れた。口元に締まりがない。
雫を見つめていると、口内に箸をねじ込まれた。ぬるいメンマの感触が、舌に染み込んだ。
雫は首をかしげた。
「美味しい?」
咀嚼する。歯ごたえのあるそれを、味わう。そして飲み込む。
「はい、メンマですね」
「わー、やったぁ」
雫は箸を持ったまま、ぽんと手を叩いた。にこにこ、にこにこ、笑顔が陰ることはない。
「あ、そうだぁ、次から毒見はあーんでやろうよ、共同作業、いいよね?」
「非効率かと……」
ふ、っと雫の笑顔が崩れかけた。それを見て、リンは言い直した。
「はい、雫殿がお望みならば」
顔から力を抜いて、笑顔らしきものを作ってみた。すると雫の表情は、すぐに元の明るさに戻った。
よかった。
そんなことを思ってしまい、肌が少しだけ熱くなった。
対面では、まだアリスと越谷まひるが争っていた。
「間接キスです、折角の機会です、もっと親しくなりましょ」
「なにがせっかくなんですか。嫌です、気持ち悪い」
「おぅ、ワタシは気持ち悪いですか」
「そ、そうじゃなくてぇ……あぁ、なんで私こんな人たちと一緒に……ぶへぇ」
「お裾分けです!」
口にうどんを突っ込まれて、越谷まひるは激しく咳き込んだ。
食後、自ら申し出たリンは雫……と便乗してきたアリスと越谷まひるの食器を返却口へと運んだ。
ひどく混雑しており蟻の這い出る隙間もなかったが、リンには無関係だった。
片手持ちにした食器を崩さぬように注意しながら、天井に鈎縄を引っ掛ける。その縄を頼りにして、溢れる女子生徒たちの頭上を移動した。
「ふっ、造作もない」
ステンレスの棚に食器を投げ込んでいると、春から通信が入った。
『兄姉さま、雫さん一人にしてる』
「あっ」
ため息が聞こえてきた。
『ふたりに怪しい動きはないから安心して、ちゃんと見張っておいたし。高校生楽しむのも結構だけど、任務も忘れないでよ』
ぷつり、通信が途切れた。珍しく、声には棘があった。
大急ぎで戻ると、頭上を見つめる雫と目が合った。
「きゃあリンちゃん丸見えだぁ」
「はい?」
リンは首をかしげた。
「白ですっ」
アリスも雫と一緒になってはしゃいでいたが、その理由はよくわからなかった。
着地したリンは二人に尋ねてみたが、いまいちハッキリとしたことを教えてくれなかった。
持参したらしきチョコレートをかじっている越谷まひるに、聞いてみた。
「おい、今のはなにか面白かったのか?」
「へっ」
ぱきっ、と板チョコの折れる音がした。
急に、越谷まひるの瞳がちょろちょろと忙しなく動き出した。
「あの、あ、えと、ええと……彩峰さんがスカートの中とか、全然、気にしないから」
スカートの中、下着。なるほど、以前春にも指摘されたことがあったな。
しかし。
「笑うところがあるのか?」
「ぁ、いや、違うんです、違うんです、たぶんそうだなって思ってるだけで、私は、大胆な彩峰さんも素敵だなって、思います、えへ、えへへへ」
媚びている、明らかに。だが理由はわかった。羞恥心の欠如が問題か。
女子生徒としての振る舞い、ことさら意識せねばならぬか。
雫は笑っている。
「私もそういうリンちゃんだから好き」
アリスもケタケタと笑ってる。
「ベリベリキュートな白でした!」
越谷まひるも、薄く笑っている。
「はは……あはは……」
思わず腕を組むと、自分の身体の柔らかさが伝わってきた。
骨格からして、貧弱。皮膚は触れるだけで指が沈んでいく。スカートの下は、確かに丸見えだ。
先程のような状況はおろか、蹴りを見舞うだけでも露出してしまう。
おそらく自己認識と現実の乖離が笑いを生んでいる。
これは隠密としては、由々しき問題だ。
周囲から、浮いてしまう。
雫を見て、リンは言った。
「見せパンというものを、履くべきなのでしょうか?」
相変わらずの笑顔で、雫は言う。
「履かなくていいよ、リンちゃんだもん」
弾みをつけた唇の動きは、ずいぶんとなめらかだった。
「そう……なのですか……」
女子としての先達である雫に言われてしまっては、返す言葉はなかった。
であるならば、どのように対処すればいいのだろう。




