第11話 友達作りとはおそらく諜報活動の亜種である
あの越谷まひるという女は保健室に逃げ込み、午前の授業には顔を出さなかった。
奇襲の準備か――とリンはやきもきさせられていたが、どうしても雫の側を離れられなかった。
教室内には、また異なる魔法の匂いが漂っていた。どうしてかこの魔力はラベンダーの香りがした。鼻の奥に付着し、あまり吸いすぎるとむせかえりそうになった。
雫に聞くと「そんな匂いしないよ?」と変人を見るような目で言われた。クラスメイトに尋ねてみても、やはり反応は変わらない。
なぜ昨日は気づかなかったのか、やはりあいつはクロではないか。
授業中、常に匂いの発生源――山田アリスの動向を注視していたが、向こうはどこまでも一介の生徒として振る舞っていた。
机に肘をついて黒板を眺め、時計をちらちら見てはあくびをする。指先は落ち着きがなく、しきりにシャープペンシルを回していた。
昼休みになって、リンはようやくアリスに声をかけた。
「山田殿、少々お話を伺っても、よろしいか」
椅子に座っていたアリスは、腕を目一杯伸ばし机を押しやった。前が空くと、飛び跳ねるように立ち上がった。
「いーですよ、でも、お腹ぺこぺこなので、ご飯どきにしましょう」
にんまりとアリスは笑った。
「生憎だが、食事は携帯糧食で済ませている。今この場で話を聞いてもらおう」
「ノンノン、プロテインバーなんかでお腹いっぱいになってると、ダイエットも逆効果ですよ。ですので、学食に集合、決定しました。もちろん雫さんも一緒に」
言うやいなや、アリスはリンの横を通って教室の出口へと向かった。
「待たれよ、話はまだ終わっていないぞ」
「すこーし用事があるので終わったら学食に向かいます。先に行っててください」
後ろ向きに手を振って、アリスは教室を出ていった。
有無を言わせない女だ。あの態度、気に食わんな。
空になった出入り口を見つめていると、横から雫が顔を出した。
「リンちゃん、またアリスのこと襲おうとしてた?」
「してませんっ」
いくらか、声が荒くなってしまった。
昼時の学食は、女子生徒たちで溢れかえっていた。券売機にも、提供口にも長蛇の列ができている。
図ったなアリス、このような場所では刺客が特定しづらい。今狙われたら、面倒なことになる。
「リンちゃんなににするー? なに食べても美味しくないけど不味くもないから安心していいよ。あ、わたしらーめんにしよっと」
「は、では某は毒見を担当いたしましょう」
「自分は?」
雫は首をかしげていた。
そうやって学食の入口前にいると、アリスがやってきた。にこにこ笑顔を振りまきながら、人波をかき分けてくる。
「リンさーん、雫さーん、ごめんなさい、まひるが駄々をこねるので遅くなりましたです」
あの越谷まひるが、アリスに腕を引かれていた。
無理に引っ張られているようで、たたらを踏みながら近づいてくる。
「駄々なんて……具合が悪いって……それで……ひぃ」
リンが一瞥すると、越谷まひるは大きくのけぞった。カタカタと歯が震えているのが、わかった。
「貴様……」
「あ、まひるちゃん、また会ったね。そっかぁ、アリスと仲良しだもんね」
目の前までやってくると、越谷まひるは一切リンに目を合わせなくなった。雫を見て、控えめに微笑んでいる。
「そ、そうなんです、仲良くさせてもらってて、お昼の約束……してたから」
リンはアリスの目を見た。
「聞かせてもらおう、なぜこいつと一緒に――」
「リンちゃん言葉遣い! クラスメイトだよ」
雫に叱責されて、言葉が喉の奥に詰まった。
咳払いをすると、自分の感覚とは異なる、甘ったるい声が出た。
「んんっ……」
胸が浮くような感覚。むず痒い。
「失礼、しました。アリスど――」
「殿は硬いよね」
雫に横槍を挟まれて、また言い直した。
「アリス、ちゃ、ちゃん」
「はい、どうしましたか」
声を弾ませて、アリスは笑顔を浮かべた。子供に話しかけるように、語尾が伸びている。
ぐぬぅ、なんたる恥辱、刺客に媚びへつらうとは。だが、主の意向ゆえに、守らねば。
「まひるちゃんとは、どういったご関係ですか? お二人がご一緒だと、疑念が確信へと変わりそうなものですから、是非筋の通った説明を頂きたい」
アリスはわかりやすく首をひねった。
「ほわい? お友達と一緒にいたら、いけませんか?」
「お二人には、独特の匂いがあるもので、結びつけずにはいられないのです」
「ふぅん……あはっ、よくわかりませんけど、リンさんは疑い深い性格なのですねー! そんな怖い顔してると、かわいいお顔が台無しですよ」
アリスは越谷まひるを見た。
「ね、まひる」
まひるの首は、雫を向いたまま一切動かなかった。
「私に振らないで……ください」
肩をすくめて、アリスはリンに向き直った。
「喧嘩はやめて、仲良くしましょう。ランチタイム、ご飯はみんなで食べると美味しいのです」
雫は言った。どうしてか、アリスとも変わらぬほどに声が弾んでいた。
「あ、ねー、食べよ食べよ、みんなで一緒にお昼ご飯」
リンは雫の視線を感じた。笑顔が胸に刺さる。
仲良くと簡単に言うが、こやつらは疑わしき者たち。顔を突き合わせて、食卓を囲むなど――懇願するように雫が言った。
「ね、いいよね」
「しかし、この二人は」
「こんなの、ずっとなかったから。お願い、二人と仲良くしてほしい」
「雫殿……」
胸の前で手を組んで、雫はじっとこちらを見つめた。
小動物のようなその瞳。神秘を宿しているとは到底思えない、ただのいたいけな少女。いつしか笑顔は消えて、雫は目を細くしている。
飄々としていても、中身は十六歳の少女。自分の置かれた状況に思うところは、あって当然だ。意識的か、無意識か、人を遠ざけていても、なんら不思議ではない。
仕えるものとして、その意向には、やはり従う他ない、か。
「……承知しました。制服を纏っている間は、彼女らを友として扱いましょう」
雫の顔に、笑顔が戻った。
「うん、ありがとう!」
「いえ……」
見つめられていると落ち着かず、目を逸らした。
そわそわとした感覚を抑えようとしていると、意識の縁がアリスの声を聞いた。
「よかったですねぇ、まひる! これでリンさんとは正式にお友達です!」
「は、はは……そうですね、よかった、よかっ……はは……うふふ……」
越谷まひるの声に、あまり張りはなかった。
本当にこれでいいのだろうか、とリンは思った。
一瞬の思案の後、考え方を転換させれば、危険人物を最も近いところから監視できる、と思い至った。
そうだ。雫殿の言う通り、感覚以外に確たる証拠はない。じっくり化けの皮を剥いでから、始末すればいいだけの話。
学校という場では、おそらくそれがルールなのだ。
「アリス、ちゃん。今後とも、よろしく頼む」
「イエースっ」
リンは、まひるを見た。
「越谷まひる……ちゃん。そのままのあなたでいることを望む。然らば、我らは良き友となれるだろう」
「は……はい」
越谷まひるの返事は、やはり硬かった。




