第125話 師父様に中指を立てた
魔力を高め、師父の首に狙いを定めた。
もう、後戻りはできない。不穏な動きを見せたその瞬間に、制圧する。人は呼ばせない、雫を人質にもさせない。まひるは間違いなく雫を守ってくれるだろうか――くれるはずだ。
師父は目を見開いた。
「ただの忍び風情が偉くなったものよなあ。このわしを殺すか、命令に背き、貴様が、その手でっ。ふふふふ、どうやら育て方を間違えたようだのう!」
師父が立ち上がった。右腕を大きく上げて、背中側に手を回した。
武器を隠し持っていたか、そうはさせぬ。
「御免!」
畳を蹴って、一気に間合いを詰めた。刃を振り上げ、首筋を狙った。
「ぬふぅ!」
「ぐっ」
恐ろしい速さで刀を抜き、師父はリンの一撃を受け止めた。
魔力によって極限まで高めた破壊力が、止められていた。ぶつかり合う刃を、押し返せなかった。
「貴様ッ、わしを殺して次の主はどうする!」
「主などもう持ちませぬっ、あるとしたら雫だけだ!」
「ぐふぅ、むずがゆくなるほどの純情よのお、変わったものだ、変わったものだ貴様はっ」
師父が刃に体重を乗せると、リンは弾き飛ばされた。まるで骨を直接殴打されたように腕に痺れが広がった。
すぐにリンは飛びかかった。ここで終わらせる、今断ち切る、雫を支配する力は。
「実に短絡的、近視眼的、先のことなど考えも及ばぬか」
「お言葉ですが、考え抜いた……結果ですっ」
打刀と黒き翼がぶつかり合う。打刀の刃が綻び、今にも崩壊しそうに震えていた。
事実、その通りになった。リンが黒き翼を振り抜くと、甲高い音を鳴らして師父の打刀は崩れ去った。
「ふっ、ただの鉄ではこんなものか」
「お覚悟っ」
「甘いわ!」
またしても、リンの攻撃は受け止められた。師父は、片手で黒き翼の刀身を掴んでいた。
「ぐぅ……なぜ、ただの人間がここまでの力を……」
「舐めるな、わしは忍びの頭領ぞ」
リンは空いていた左手にクナイを生成した。師父の腹を狙って至近距離から投げつけたが、これもまた素手で受け止められてしまった。
ぬかった。まさかここまでとは。戦力を集中させるべきだった、暗殺を選ぶべきだった、一対一でどうにかなる相手ではなかった。考えるな、今はやるだけだ、雫のために。
「のうジン――いや、リンよ。なぜこのようなやり方を選んだ、そうまでわしが憎いか」
「違う、あなたには感謝しています。しかし、もはや忍の道と己の道は、相容れないものと見つけてしまったのです」
「ぬかせ。武力で制圧しようとするものが、言えたことか」
「そ……それは……」
今回限りだ、このようなことは。もう二度とこんなことはしない、二度と。
ぐっと歯を噛み締めた。
「教えていただけなかった、他のやり方を。命令に従う以外、これしか知りませぬ」
「ふふふ、わしの責任か、里が貴様を刃に押し込めたか」
師父は、刃を握る手に力を込めた。指に刀身が食い込み、血液が滲み出した。
「難儀よのう、忍びとして生まれた者の生は。素直に甘えることも、甘えさせることも己に許せぬのだから」
突然、師父様の表情が緩んだ。顔の強張りがなくなって、圧力が薄まった。
「聞かせろ、東山殿との毎日は、貴様にとってどのような意味を持つ」
「なにを、こんなときに」
「答えんかっ」
師父の叫びに、鼓膜が破れそうになった。
耳鳴りに耐えながら、リンは答えた。
「生まれてきた意味、そのものですっ。そのためなら、里を裏切ってもいいと思えるっ、あなたを殺したって、後悔しないと思えるっ」
黒き翼に魔力を集中させる。研ぎ澄まし、指ごと叩き切ってみせる。首を切り裂いても、心臓を貫いても後悔は――
「リンよ」
ふと目に入った師父様の瞳から、完全に力が抜けていた。
「わしは貴様に教えたはずだ。このようなとき、どうすればいいのか」
雫と同じような目をしていた。目元が和らいでいて、攻撃性がない。
母親のような、父親のような、戦闘のさなかに慈しむような。
「要求を通すために、なんと言えばいいのか、しかと伝えたはずだ」
「なんと……言えば……ですか……」
なぜだ、なぜそのような顔をする。裏切り者に、反逆者に、どうしてそんな穏やかでいられる。普段はあれほどまでに苛烈なお方が、なぜ。
師父様は黒き翼から手を離した。
「東山殿を失望させるでない」
追撃には移れなかった。首も脇も、無防備に空いているのに。
刃を下ろした。こんなとき、どうすればいいのか。
それは。
「……次は自分の意志でと仰られていましたね、また違えてしまいました」
「構わん。殺意に免じて目を瞑ろう」
「感謝します。では、お言葉に甘えて」
深く息を吸った。肺に空気が流れ込んできて、血のたぎりが穏やかになった。
祭りの夜に感じた高揚感と同じものが、湧き上がってきた。
中指を立てて、師父様に言った。
「――クソジジイふざけんな切腹なんてしてたまるか」
目の前で、師父様の口角が上がっていった。
「反抗期め。仕方ない、貴様の嘆願、聞いてやるとしよう」
「ありがとう……ございます」
リンの頬も上がっていった。
師父様の前で笑ったのは、初めてだった。




