第105話 実際のところ、天秤は雫側に傾いていた
鍛錬の許可を取ってから、庭園へと足を伸ばした。
最初は道場を提案したが「ヒートアップすれば建物が壊れてしまうかもしれません」とアリスは言った。なるほどそれはそうだろうな、とリンもこれには同意だった。
浴衣に草履という格好のアリスと、庭の広いところで向かい合った。
「武、ですね、この状況。リンさんはワタシとどうしたいですか?」
「決まっている、いつかの決着を付けてみたい。恥辱を与えられたあの夜、その続きだ」
アリスは口角を上げた。
「あはっ、かわいいかわいい護衛さんは、やっぱりあの日のことをお恨みになっていましたか。なら承知します、ワタシもたまには身体を動かしたいときもあるもので」
アリスに釣られて、リンも表情を崩した。
「刃であれば鍛錬をする、必要であれば標的の首を狩る、そのように生きてきた、だが今は、貴様のことが気になっている、太刀筋から何が見えるのかと期待している、恨みではないぞ、アリス」
朝の気だるさは消えて、髪の毛が逆立つような感覚に支配される。殺しもしない、排除もしない、本質的には訓練ですらない、意味もなく刃を交えようとしている。どうしてそれが、悪くないと思ってしまうのだろう。
身体中がうずいて、芯が熱を持っていた。顔はきっと、にやけていた。
「やっちまいます前に、ひとつ聞いてもいいですか」
「ああ、聞くがいい。流派か、体系か、あるいは信念か、今日は話してもいいと思える」
「ノン」
アリスは首を左右に振った。肩にかかる金色の髪が、わさわさと揺れていた。
「雫さんとのあまーい時間と、腕試しのマッチョな時間、どちらがお好みですか?」
「む、妙なことを聞く。どちらかなど……」
見えない圧に押されるように、やや上体がのけぞった。
顎先を持ち上げるように、親指と人差し指を当てた。相変わらずこの身体は、口周りもすべすべしていた。
頭の中で天秤が揺れている。雫と手合わせはできない、しかし、一緒に入浴したり裸エプロン……楽しいことをしたりはできる。
どっちだ、どちらが本当の望み――
はっとして、深まっていた意識が現実に戻った。
またアリスに主導権を奪われかけていた。
「……貴様はどうなのだ。平和主義を気取っているくせに、存外楽しそうに見えるぞ。顔が、笑っている」
「そちらこそ、血がたぎるってそんな顔してますね」
手のひらで、自分の頬に触れた。心なしか、いつもより温度が高い気がした。
少女にはこんな顔はふさわしくない。たぎりなど、かわいい女の子には必要ない。しかし、だがしかし、同類であるアリスは、十分に魅力的だ。
だとしたら、こんなときくらいは。
「言ったであろう、たまには悪くないと。甘さに浸っているだけでは、その甘さをかえって忘れてしまいかねないのでな、多少は自分を許してみたい」
アリスは口を尖らせた。
「ふふん、らしいですけど、バトル脳じゃあんまりかわいくないですよ」
「かわいい顔をした強者が、よくぞ言えたもの。話はここまでだ、変身し剣を構えろ、友の刃を受けさせろ」
「わかりました、怪我しても知りませんよっ」
空に向かって指を掲げると、アリスの全身が金色の光に包まれた。衣服の輪郭がぼやけ、胸やくびれなど身体の線が明瞭になる。やがて光は――全身を包む鎧へと変わった。
エメラルドの剣を握る騎士、アリスは魔法少女へと変身した。
「案ずるな、大切な身体を傷物などにはしない」
リンは左手に短刀『黒き翼』を出現させ、忍び装束を身に纏った。




