第103話 己には盲目でも、他者のことは見えやすい
障子の隙間から漏れてくる朝日で目が覚めた。
ぼんやりとした視界に映るのは、木目の天井。背中を預ける布団の感触は、いつもと違う。けれど妙に懐かしい。ここはどこだ、夢を見ているのか、あるいは現実だと思っていたものが夢だったか――
「むにゃ」と口をもごもごさせる音が聞こえた。
「む」
身体の左側に、ぴったりとまひるがくっついていた。やや手足を丸めて、メガネを掛けたまま眠っていた。はだけた襟の奥には、ちらりとキャミソールが見えていた。
密着されている自分は男ではなく、少女のままだった。
目の焦点が合って、視界が鮮明になった。どうやらなにも夢ではなかったらしい。
右手側には、雫の感触があった。腕を抱かれて、胸を押し付けられるようになっていた。触れているのは下着ではなく素肌で、水袋のようにやわらかい。
案の定雫の浴衣もはだけていて、胸元のみならず肩まで露出していた。生肌が丸出しで、布の類は見えてこなかった。
「なにも着けていなかったのか」
音を立てずに、二人の着崩れを直した。肌が隠れたのを確かめてから、リンは身体を起こした。
窓の外で、小鳥がさえずっていた。都会とは違って、エンジンの音や人の話し声が聞こえてくることはなかった。
その静かな部屋に、コトンという陶器を置く音が響き渡った。
「グッモニーング、リンさん、いい朝ですね」
座卓の横で、アリスが正座していた。天板に置かれた湯呑みと同じように、その居住まいは精巧なもののように見えた。
着衣も髪も乱れはなく、足の組み方にすら一切の乱れがなかった。
「モーニングティーいかがですか? 昨晩はお茶会の邪魔をしてしまいましたから、その埋め合わせです」
「なにも貴様と茶がしたかったわけではない」
寝ている二人の様子を窺った。すーと心地よさそうな寝息を立てていた。
「……が、ちょうど暇を持て余している、多少なら付き合ってやろう」
「イエイ」
ピースサインをしたアリスは、優麗な手つきで急須から湯呑みに茶を注いだ。
作法はどこで習ったのだろう、普段の言動や行動から想像もできない品が――アリスから、顔を逸らした。
しまった、見惚れるのは雫の許可がいるのだった。
座布団を拾ってきて、アリスの隣に腰を下ろした。
背筋を立てて、正座をした。両手で湯呑みを持って、最初のひと口をいただいた。
「うむ、美味い」
クスッとアリスが笑った。
「もう少しリラックスです。そういうリンさんじゃかわいくないですよ」
「んっ……いや、貴様が言うな、朝っぱらから礼を尽くしおって」
「ワタシは、これが自然体だって教えられてきましたから」
アリスは一瞬だけ、視線を外した。なぜかふふんっと鼻を鳴らしていた。
リンは茶をすすった。
「ならばこちらも同じこと、染み付いた習慣は変えられん」
「好きな人の前では変えちゃうくせにデスか?」
身体の奥が、ぐらついた。いかん、平常心。
「優先順位というものがある、雫に求められたら……いや、雫のためならば、守るべき己などそう多くはない……不在の場合は過去が露出してしまうというだけのこと……改めよう」
足を崩した。尻を座布団にぺたんと付けて、膝を曲げた。割座だとか少女座りだとか、そのように呼ばれている座り方になった。
「ワオ、一気にかわいらしいです。でも、ポジティブに見えますけど、寂しさとトレードオフでもありますね」
「身勝手を貫いて周囲から浮いてしまえば、雫に迷惑がかかる。……嫌われたくはないのでな」
「やっぱり、心細くなるような献身ですね。ワタシ、思うんです、リンさんの変化を雫さんは拒まないとは思うんですけど、一番最初に好きだったのは――」
「おい、アリス」
天板に、湯呑みを置いた。
青い目を丸々と見開いて、アリスは首を傾げた。
「ワッツ? どうしましたか?」
思うところがある。この女はずっとそうだ。人には物申すくせに、致命的に欠けているものがある。
乱入し、気を使い、配慮し、乱れたものを整えようとする、その女には。
「某のことはいい、それよりも聞いておきたいことがある――お前は何者だ?」
ぴくりとアリスのまぶたが揺れた。
「ノー、まだワタシの疑い晴れませんか? 平和協定もお結びしたのに」
「そうではない、今となれば相応に信頼はさせてもらっている。聞きたいのは、お前自身のことだ、どのような人間なのか友人として知っておきたい」
「わ、ワタシですか」
リンが頷くと、アリスはきゅっと口を閉じた。やや身体をのけぞらせて、こめかみには汗が浮かんでいるように見えた。




