第100話 雫に教えてもらったことです、全部
部屋の中央に敷かれた一枚の布団を、四人で囲んだ。
リンは枕側に座って、膝に手を乗せていた。左側には割座の雫がいて、右側には脚を崩すアリスがいる。そして正面には、膝を抱えて黙り込むまひるがいた。
雫は妙にニコニコしている。アリスは、ヘラヘラ笑っている。まひるは、暗い、なぜか暗い。梅雨の厚い雲ほどに、光を遮断していた。
アリスを見て、雫が言った。
「もう寝るところだったんだけど……なにしに来たの?」
「ソーリー、時間を忘れていましたです。ですけど、せっかくの夜に寝るだけなんて、もったいないと思います」
雫は目を細めた。顔の彫りが深くなったような、そんな気がした。
「先に言ってほしかったな。お茶、二人分しか用意してないし」
「オウ、お構いなく。ワタシたちお遊びに来ただけなので、おもてなしは結構です」
「悪いんだけど、あんまりそういう気分じゃないなあ。なんか湯冷めしちゃったし、もう寝ちゃいたいの、今すぐ」
雫の細い目が、尖って見えた。笑顔を形作る口元は、ピク、ピク、と小刻みに揺れていた。
見つめられている――睨まれているアリスは、それを気にする素振りもない。畳に手をついて、体重を背中側に寄せるようにして座っていた。
会話が、なくなった。目を合わせたまま、互いに口を閉じていた。
空気が重い。友人同士でいるはずなのに、なぜこうなる。いつもは笑い合っている二人が、なぜ。
もちろん、アリスに非があるのは明白だ。なぜ乱入があのタイミングなのだと思う。
雫が憤るのも無理はない。
寸前だった、あと一歩だった、なにかが起ころうとしていた。
そこに水を差されたのだから。
気持ちはよくわかる。
二人の顔を交互に見てから、リンは口を開いた。
「お二人とも、少々よろしいでしょうか」
先にアリスがこちらを向いて、遅れて雫も顔を動かした。
「イエス、なにを言うのにも許可なんていりませんよ」
「いいよ、リンちゃんがどう思ってるのか聞かせてよ」
雫の視線が胸に刺さって、息が詰まりそうになった。
こいつが悪い、アリスが悪い、今すぐ成敗します、部屋から追い出します――頭に浮かんだそんな言葉たちを、震える胸に押し込んだ。
「雫……お気持ちはお察ししますが、どうかアリスを許してやってはくれませんか」
細かった雫の目が、開かれていった。
「え」
雫は、胸の下で組んでいた腕をほどいた。
顔がかゆかった。アリスの方を見られなかった。
「タイミングは確かに最悪でしたが、誰にでも間違えることはあります。相手の事情を理解できないときもあります……いえ、とにかく、機嫌を直してはいただけないでしょうか」
「機嫌なんて……なんかリンちゃんらしくないこと言うね、わたし以外の味方するなんて、珍しい」
発言してから、雫は自分の唇に指で触れた。不自然だった笑顔は消えて、軽く目を伏せていた。
こんな顔は、久しぶりに見た。怒った表情も、憂いている表情も、やはり似合わない。
この方には。
「違います、そうではありません。……嫌だったので、口を挟みました」
「……嫌?」
リンは頷いた。
「二人は、友達同士ではありませんか。敵だの味方だのと、そのようなことをおっしゃらないでいただきたい。衝突などせず、仲良くしていてもらいたい、でないと……」
目の奥に、ふるふると揺れるなにかが溜まっていた。胸元で拳をぎゅっと抱いて、溢れそうなものを抑えた。
「リンは悲しいです。なぜこんなことを言うのか自分でもわからない、けれど、きっと……雫に教えてもらったことです、全部。ですから、ですから……お願いします、どうかっ……」
拳を抱いたまま、頭を下げた。ほんとうにわからない、自分がわからない。なぜ喧嘩の仲裁などで泣きそうになっているのか、なぜ、子どものようなことを言ってしまうのか、なぜ。
この身は、刃であったはずなのに。
けれど、止まらない、止められない、この口は。
「ぁ、え、え、リンちゃん、えっ、えと、ごめんね、ごめんね、そんなつもりじゃないの、ちょっと、ちょっとわたしも変だったって、それだけなの」
わざわざ立ち上がって、雫は駆け寄ってきた。二の腕に触れられて、自分が震えていたのだとわかった。
「よし、よしよし、もう怒らないからね、大丈夫アリスと喧嘩なんてしないから、泣かないで」
「なら、嬉しいです……申し訳ありません……思想を押し付けるような真似を……」
「いいよ、いい、てかいつもこっちがやってきたことだし。嬉しい……うん、嬉しい、自分の気持ちをちゃんと話してくれたんだもん、嫌なわけない」
雫の胸の中で、頷いた。それから、擦るようにして目の汚れを払った。
首を回して、アリスの方を見た。
「お前は、反省しろ。そうすれば許してやる。雫もきっと、許してくれる」
アリスは顔を突き出して、こちらを凝視していた。
「ごめんなさい、いつものジョークのつもりでした、傷つけるつもりなんてなかったんです」
両手に体重を乗せて、アリスはことさら前のめりになった。じわじわじんわりと、また笑顔に戻っていった。
どうしてか、このような状況が楽しそうだ。
「見世物ではないぞ。反省をしたのなら、少しは奇行を減らせ馬鹿者」
「んふふ、やっぱり今のリンさんって素敵デス、キュートの種類が違います」
「なにと比較している……まったく」
顔を逸らす。雫に抱かれて赤ん坊みたいなのはわかっている、けれどここがいい。
ぷすぷす、とアリスは変な笑い方をした。
「女子トイレでユリユリしてたとき、初めて会った日を思い出してマシタ」
「……その先は言わなくてもいいぞ、自分でもわかっている」
「オッケィ!」
掛け声と共に、アリスは手を叩いた。パチンッといい音が鳴った。
それから、雫と握手のようなことをしていた。なんとも形式的だが、それで空気は弛緩していた。
座り直して、アリスは言った。
「ではぁ、気を取り直して第一回恋バナフェスティバルを開催しまぁす! 日本の夏といえば、やっぱこれですよね!」
元の位置に戻った雫が、拳を突き出した。
「おー! ま、わたしはリンちゃんだけどね」
すっかりいつも通り――ではなかった。
対面に座るまひるは、話にも入ってこず、未だに膝を抱えていた。




