第97話 まるで初夜ではないか
「ひとりなあ、いるんだ、君みたいな堅物……真面目なのが。最近会ってねえけど、死んでるとは思えねえし……あれ、ていうか、兄妹だって言ったっけ、春ちゃんの、ってことはあいつの……そんなことある?」
口は閉じたまま、なにも言わない。集の視線を感じるが、黙る、黙っている。
いやしかし余計に怪しいのではないか。いや、だが口を開けばボロが出かねない。
凝視するような、視線を感じた。
「よく見たらあいつに似て……似てねえな別に。しっかし、全然知らなかったなあ、なんで今になって急に、表に出てきたの?」
「……雫のためだ。あの方を守護するために、最精鋭である某が抜擢された。これ以上は機密ゆえ、話せることはない。もう聞くな」
息を荒げない。視線を変えない。声の調子を一定に。
肌が粟立つような感覚は、むしろそのまま受け入れる。これでバレないはずだ、どんな嘘も。
集は言った。
「へへ、なんか嘘っぽいなあ、俺そんな話聞いたことねえもん」
集は笑った。忍びのくせに、歯を見せていた。
「君の兄さんも嘘が下手だったなあ、真面目なのが災いしてんだなあ。およ、やっぱ性格はそっくりだあ」
わざわざこちらに向き直って、集は言った。
「俺、嫌いじゃねえよ、そういうの」
真正面を向いたまま、答えた。
「男に興味はない。少しでも良好な関係を築きたいのであれば、そのような発言は今後控えられたし」
「わ、すまんすまん、そっちはもう諦めたさぁ。兄さんのこと言ってるつもりだった」
斜め下を見て、集は頬をかいていた。嘘が下手なのは、お互い様ではないか。
集の謝罪を受けて、それからは静かに雫たちを待った。
「女の風呂って長えな」
「まったくだ」
うっかりそんなこと言ってしまうと、駆け足するような足音が風呂側から聞こえてきた。
浴衣姿の雫が、いの一番にのれんから顔を出した。
「おっまたせぇ、長引いたから急いできちゃった」
「いえ、まだゆっくりされてても構いませんでした。日が変わり、朝になっても、この場は守り続けましょう」
「それじゃふやけちゃうよぉ、でも、ありがと」
やや湿った人差し指に、ほっぺたを触られた。柔らかさが波のように広がって、温泉に浸かったような心地になった。
雫の後ろからすぐにまひるがやってきて、最後にアリスも現れた。
「お待たせしちゃってすみません、あ、明日は私が番をしますから」
「ゥぅ……のぼせちゃいました」
アリスがゲップのような息を吐いて、その拍子に集のことを思い出した。
雫を守らねば、と思い身体を傾けると、もう奴の姿はなかった。
のれんの奥を覗くと、足音を立てずに大浴場に入っていく集がいた。
「むぅ……存外わきまえているのかもしれぬな」
「リンちゃんどしたの? あ、今から入る?」
「いえ、某は着替える前に水を浴びたので、結構です。さ、部屋に参りましょう」
雫の背中を押して、大浴場を後にした。
まひるとアリスと別れて部屋の前まで戻ると、はつさんが待ち構えていた。にこにことしながら、雫に言った。
「おかえりなさいませ。お布団を用意しておきました」
「わ、ありがとうございますぅ、ほんとに旅館みたいだなあ」
はつさんは口に手を当てて、こちらを見た。
「では、ごゆっくり」
足音を立てて、はつさんは去っていった。笑顔を絶やさず、終始楽しそうな様子だった。
首を傾げながら、襖を開けた。室内を見て、思わず手が止まった。
隣で、雫が驚いたように声を出した。
「あっ」
部屋の真ん中に白い布団が敷かれていた。
なぜか、一組だけだった。




