十二段 今宵というひと㋥
今宵の住むアパートは、風間駅から徒歩、五分程の場所にあった。部屋は一人暮らし用のワンルーム。越して来たばかりだけあって、最低限の物しかなく、こざっぱりとしていた。
「今、開けるわ。まったくせっかちなんだから」
ベランダの窓を叩く音が聞こえ、今宵がガラス戸を開ける。すると、雨に濡れたケンシンが部屋に入って来た。
「悪霊の気配の残滓を感じるが、尻尾が掴めん。何処に潜んでいるやら……。一先ずは様子を見るしかない」
「貴方も少し休みなさい。きゃっ」
ケンシンはブルブルして水滴を払うと、部屋のカーペットに向かい、そのまま横になった。チラリとさくやを一瞥したが、特に言う事はないようだ。
今宵がさくやに向き直る。
「風邪を引いたらいけなからシャワーを浴びなさい。服も、そのまま洗濯しちゃいましょう」
「お手数お掛けします……」
今宵に促されるまま、さくやは濡れた服を脱ぎ、バスルームに入った。
「いけない……っ」
しかし、シャワーを浴びる前に、天貝紅だけはバスルームに持ち込む。温泉で襲われた後から、さくやは常に変身できるように備えていたが、イレギュラーな状況で、これまた隙を晒す所だった。
――透けてるの大勢に見られただろうし、私、本当にうっかりしてる……。だから巫としての自覚も実力も足りないんだろうな…………。
湯煙りがさくやの裸体を包んだ。仲間とはいえ、まだそれ程、話もしていない人の家で、シャワーを浴びるのは少し落ち着かない。
しかも、今、さくやは今宵という人が現れたからこそ、自分の実力不足を痛感するハメになっている。
今宵は何も悪くないのだが……。
「……」
それでもシャワーの温もりは、冷えていたさくやの身に染み、徐々に心を落ち着かせてくれた。
尊は安倍家の蔵に戻り、机の上に広げてある地図にピンを打つ。地図は風間町とその周辺の物で、今まで出現した悪霊の位置を記録してある。
「尊さんっ!」
位置関係を分析していた時、千代の声がしたので、尊は振り返った。
千代は楓と一緒に、せかせかしながら中へ入って来る。二人共、雨に遭ったようで、セーラー服越しに千代はフリル付きの白、楓は薄緑色のブラジャーが透けてしまっている。
「止むまで雨宿りしていくといいよ。あれ……さくやは?」
直視せずに言った尊だったが、つい視線を向けた。二人がさくや抜きで安倍家を訪ねて来た事はなかったからだ。てっきり一緒なのかと思ったが、さくやの姿は見えない。
「さくやちゃん、あのまま一人で帰っちゃたんです!」
「どうしてあんなこと言ったんですか!?」
「! ……あんなこと?」
二人の語気が強いので、尊は驚く。
「もう巫を休んでいいって言った事ですっ!」
「今まで、さくや先輩が一番に巫を、尊さんの為に頑張ってきたのに……! ひ、ひどいですっ!」
千代と楓が詰め寄って来た。二人は見えてしまっているブラジャーをハンカチで隠していたが、顔が赤いのはその所為ではないだろう。
「休んでって言うのは……辞めろとか、そう言う意味じゃないよ。……ただ、もう君達が率先して悪霊と戦わなくてもいい、と言っただけで……」
尊は二人のパワーに気圧される。
「そんなの、意味一緒じゃないですか……っ!」
楓が歯痒ゆそうに言った。
千代が言う。
「さくやちゃんは大変だなんて思ってないのにっ! なのに、尊さんが他の女の子を頼りにしたら……きっと悔しいよっ!」
「……」
二人の言いたい事を、尊は理解できた。何せ、先程、悔しそうに走り去ったさくやの姿を、尊も見ている。自分が敵わなかった悪霊を祓ったオトヒメに対し、劣等感を抱いてしまっても仕方がないだろう。
「それでも僕は……最善の選択をしなくてはいけないんだ」
尊は顔を背けた。
悪霊から町を守る為の戦いを、より有利にするには、より適性の高いものを巫に抜擢し、任せるのが確実だ。さくやは勿論、千代や楓の負担を減らす為にも、必要な人事だった。
尊は「さくやなら分かってくれる」そう信じて彼女を見送った。
「でもっ! ……っそもそも!」
納得がいかない千代は、どうしても我慢できず、人差し指を振り翳しながら、ずっと聞きたかった事を言う。
「尊さんはさくやちゃんに告白されたんですよねっ!?」
「ど、どうして返事をしてあげないんですかっ?」
楓も、ここぞとばかりに後に続いた。
「そ、それは……っ」
尊の目が泳ぐ。
「だ、大体っ、わたし達、知ってるんだからっ! 尊さんだって、さくやちゃんのことが好きってこと!」
「それなのに知らんぷりするなんて……ゆ、許されないっ!」
「さくやちゃんは尊さんの為に、下着からなにから頑張っているのにっ!」
「な、なに言い出すんですかっ!? それは別に色仕掛けとかじゃなくってっ……」
「色を抑えられないんですっ!」
「あーっ、もう責任取ってくださいよっ!」
二人は、もどかしさから来る歯痒い気持ちを発散するように、まくし立てると、逃げるように蔵から出て行った。
去り際、千代が迷いながらも、カバンから雑誌の切り抜きを取り出した。
「これ、今月の校内グラビアですっ!」
「せ、先輩以外のページは取ってありますからっ!」
千代と楓はそう言って、叩き付けるように書物の山の上に切り抜きを置き、雨に濡れるのも厭わず帰って行った。
「……」
尊は暫くの間、唖然としたまま二人が去った蔵の外を見つめていた。悩める友人を想い、抗議せずにはいられなかったのだろう。
尊は、千代が置いていったさくやのグラビアを手に取った。今月号は浴衣特集らしい。浴衣姿のさくやは、ビキニ姿の写真に比べれば、遥かに得意げに写って見えた。
「わしもあの娘達と同感じゃ。そなたは分かっとらん。いい加減覚悟を決めて、さくやの気持ちに応えるのじゃ」
蔵の隅で、事を見ていたおサキが話し掛けた。
「然るべき関係となって、二人で使命に立ち向かえば良いのではないか? なーに、この世界でどんなに辛い事があろうとも、あの娘はそなたの言う事なら何でもやるぞ」
おサキが少し打算的な表情で言った。
「分かっているよ……」
尊は知っていた。さくやの秘めたる想いを。
告白されるよりも、ずっと昔から。
「だけど、それが危ないのさ……」
尊は、写真のさくやに愛おしそうに触れる。こんなにまじまじと見つめたら、本物のさくやなら、きっと照れて顔を背けてしまうだろう。
「僕が気持ちを伝えてしまったら、彼女は……。彼女は……本当に逃げる事が出来なくなってしまうじゃないか……!」
尊はそう言って、決心が揺らがぬよう写真を仕舞い、地図を広げた机に戻った。
おサキは、その姿を見ると今度は呆れた表情を浮かべた。
「それが分かっておらんと言うのじゃ」
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