第606話 戦場の悪夢
ナポレオンのイベリアでの敗北を機に、プロイセンのフリードリヒ先王がロシアとオーストリアを誘った対仏大同盟。
ナポレオンはプロイセンとオーストリアの首都を占領して両国の責任を追及すると、プロイセン・オーストリア・ポーランド三国に物資補給を命じ、ロシア遠征を断行した。
ロシア軍は後退を繰り返して、フランス軍との衝突を避けるとともに、村を焼いてフランス軍による食料調達を阻止する「焦土作戦」を断行。
そして物資輸送に対して襲撃を繰り返して消耗を強いた。
進軍ルートとなったベラルーシの民は飢餓に苦しみ、武器を持ってフランス軍の補給基地を襲う。
そして進軍がロシア人エリアのスモレンスクに及んだ時、ロシア軍は初めての本格的な防衛戦に打って出る事を決めた。
「スモレンスクは聖ルカのイコンを祀る聖堂が建つ聖地だ。この街への攻撃を野戦を以て阻止する」
そう主張するバグラチオン公爵の案が通り、バルクライ将軍は防衛網のプランを策定。
「私の軍はルドニアとポレーチエを守る。バグラチオン公はヴィドラを担当してくれ」
他の将軍たちもそれぞれ担当を割り当てられた。
各将軍が担当した戦地に向かう中、バグラチオン公は参謀に問う。
「それで、私の軍はどの敵と戦う事になるんだ?」
参謀は斥候から得た情報を基に、地図を広げてフランス軍各隊の進路を予想する。
「ヴィドラに向かっているのはダヴ―軍団ですね」
バグラチオン公唖然。そして彼は脳内で呟く。
(あの不敗の将軍かよ)
彼は通話魔道具でバルクライ将軍に連絡。
「スモレンスクは堅牢な城塞だ。この地の利を生かすため、私の軍はここに立て籠もる」
「はぁ?」
唖然顔のバルクライに、バグラチオンは魔道具の向こうから捲し立てる。
「別に、こっちに向かってるフランス軍が無敗とか呼ばれてるダヴ―軍団だからって訳じゃ無いからね。あんなのただの噂で全然怖くなんて無いからね。勘違いしないでよね」
バルクライはあきれ顔で「だったら最初からそう言えよ」
バルクライ将軍は、バグラチオン公が防衛を放棄した穴を埋める事を断念し、全軍にスモレンスクへの集結と籠城戦の準備を指示。
そして、フランス軍はスモレンクスの戦場に到着した。
先ず、徹底した砲撃をかける。
そして、城門への突入を繰り返し試みつつ、都市を南に迂回して東に回り込み、モスクワとの連絡路を遮断。
包囲されつつあるロシア軍側は焦った。
「フランス軍が東側に廻り込んだ。このままでは孤立します」
そう参謀が言うと、バルクライ将軍は「ここは放棄する。街の北側を流れるドニエプル川の向こうには、まだ敵は来ていない」
ロシア軍は敵の行動を妨害しつつ、橋を渡って川の北側へ移動し、橋を破壊。
先行隊が布陣していたヴァルティナ山に陣を構えて抵抗した。
これを攻略し終えたフランス軍に残されたものは、完全に破壊されたスモレンクスの街。
城壁の内側に広がる街の残骸を前に、立ち竦むフランス兵たちとナポレオン。
「彼等は我々の進軍を遅らせる事を第一としているんだ」
そうナポレオンが言うと、副官が「それって時間稼ぎですよね」
「強力な味方が来るのを待っているのさ。冬将軍という味方がな」とナポレオン。
そして彼は部下たちに言った。
「とにかく、この先はロシア人エリアだ。今までみたいに無慈悲に広範囲に村を焼くという訳にはいくまい」
その時、偵察隊から報告が入る。
「東の街道周辺の村が焼かれています」
ナポレオンと部下たち、唖然。
「・・・・・まさかモスクワまでは焼かないよね?」
そう副官が言うと、参謀が「何せ首都だからな」
「あそこに行けば大量の物資が手に入る。明日には進軍を再開するぞ」とナポレオンは号令を下した。
そして・・・・・。
フランス軍はモスクワに向けて進軍した。
行く先々では、村のあった所には焼け跡が残り、井戸には家畜の腐乱した死骸が投げ込まれて、水も使えない。
畑の麦も未熟なうちに刈り取られ、橋は落とされ道路は破壊されていた。
そして、繰り返し襲撃する遊撃部隊とコサック騎兵隊。日が暮れると、武器を持った住民たちの夜襲。
オーストリアなどによる補給は完全に遮断され、食料の途絶えた部隊から馬を殺して食べた。
荷車を兵が引き、荷車の上では粉に引いた雑草や木の皮を数日かけて煮る。
細かい木屑のようなものを器に盛ったスープのようなものを啜るフランス兵たち。
「こうすれば食えないものは無いそうだ」
そう一人の兵が言うと、別の兵が「けど、これ本当に食べ物?」
「東洋の木喰という修行僧の食べ物だそうだ」と、先ほどの兵。
「けど・・・・・・・」
口に含んだそれを無理に飲み込むと、彼は「無いよりマシだ」
ボロジノでロシア軍の防衛線を突破し、ついにモスクワに辿り着いたフランス軍。
そこで彼らが見たものは、焼き払われた首都の残骸。
呆然と立ち竦むナポレオンとフランス兵たち。
「俺たちの食料が・・・・・」
そう兵の一人が言うと、別の兵が「ここまで我慢したのに・・・・」
そんな彼等を横目に、「どーすんだこれ」と呟くナポレオン。
「奴らは更に東に移動したのです。そこに向かいましょう」
そう進言する参謀に、ナポレオンは「けど、もうすぐ冬が来る」
その時、一人の将官が進言した。
「撤退しましょう」
「奴らに勝ちを譲ると言うのか?」と返すナポレオンに、彼は言った。
「彼等は広範な村を焼き、膨大な民を犠牲にしたのです。そのダメージは計り知れない筈だ。けして勝ってなどいない」
「・・・・・そうだな」
フランス軍が西に向けて移動を開始。
彼らが撤退を始めてまもなく、雪が降り始めた。
そしてロシア軍の追撃が始まる。
そのつど撃退するが、騎兵を主体とした追撃部隊は、フランス軍の弱い所を襲って出血を強いた。
ロシア騎兵の指揮官が兵たちに激を飛ばす。
「奴らは放っておいても勝手に餓死か凍死で倒れる。無理せず削ってやれ」
どんどん脱落していくフランス兵たち。
大砲のような重い装備は放置され、過酷な寒さの中、最後の馬を失ったナポレオンは、少人数の部隊を率いてなお西を目指した。
そして、ついに彼も力尽きる。
「俺を置いていけ」
吹雪の舞う森の中、大木の根元に座り込んで、ナポレオンがか細い声でそう言うと、涙目の部下たちは口々に言った。
「陛下をお守りするのが我々の務めです」
ナポレオンは空を仰いで宙に手を伸ばし、そして叫んだ。
「フランス帝国は終わりだ。天は我等を見放したのかぁ・・・・」
気が付くとナポレオンは、簡易ベットの上で宙に向けて手を伸ばしていた。
「今のは・・・。それよりここはどこだ?」
そう呟きつつ、彼が周囲を見ると、スモレンスクの野営である。
「あれは夢?・・・ってつまり夢オチかよ」
「ただの夢ではありませんよ」
そんな誰かの言葉を耳にした彼が、声のした方に目を向けると、男が居た。
ナポレオンは唖然声で「あなたは・・・ポルタのエンリ王子」
唐突に登場したエンリ王子。
その横に居た魔導士のアーサーが、ナポレオンに解説した。
「これは一種の時空魔法。固有結界の中に今の世界の疑似的なコピーを造り、ある選択を行った場合に辿る時間軸を再現する、いわば未来予測です」
「そんな魔法が・・・・・・」と唖然顔で言うナポレオンに、アーサーは解説を続ける。
「もしもボックスの呪文というもので、ジパングの衛門府という役所が飼っていた青い耳無しのケットシーが得意としていた術式だそうです」
「つまり、このまま戦争を続けたら、ああなると・・・」
そうナポレオンが言うと、エンリは「間違いなく」
「モスクワも焼くのか?」
そうナポレオンが問うと、エンリは「そうなるでしようね」
「撤退しろって事かよ。だが、ロシアはどうする? ユーロの東は奴らの聖域って事になって、不利になったらここに籠って、有利になったら出て来て、何でもやりたい放題かよ」
そう憤懣顔で捲し立てるナポレオンに、エンリは「正直、それで困る事は多々あります。けど、どうするかは手が無い訳じゃない。それは後から考えるとして、先ず、撤退して生き残る事を考えませんか?」
ナポレオンは全軍に号令を下し、撤退の準備にとりかかった。
それを見届けて、エンリ・リラ・アーサーの三人はファフのドラゴンで空路、戦場を後にした。
「あの人たち、無事に帰れるでしょうか?」
そうリラが言うと、エンリは「まだ冬には間がある」
彼等を乗せているドラゴンのファフが「けど、あんな魔法があったんだね。もしもボックスだっけ?」
するとアーサーがしれっと言った。
「そんな術式はありません。あれはただの精神魔法だから・・・」
まもなくフランス軍撤退の知らせはモスクワに届いた。
病床のピュートル帝の元に、バルクライ将軍が報告。
「つまり、ここを焼かずに済むという事だよな」
そう安堵顔で言うピュートルに、将軍の脇に居た高位の神官が言った。
「喜んで良いのですか? 奴らをこのまま生かして帰す事になりますよ。これは我がロシアの祖国戦争。選ばれた民に与えられた神聖な地に踏み込んだ者には厳しい罰を下さなくてはならないのです」
「けど、このまま追撃をかけて勝てるのかよ」とピュートル帝。
すると神官は「それは我等、神の使徒にお任せ下さい」
その神官・・・・・、ラスプーチン総大主教は儀式の準備にかかる。
大礼拝堂にロシア中から集められた聖職者たちが、声を揃えて祈りの言葉を唱える。
「祖国戦争に勝利を。侵略者に神罰を」
ラスプーチンは祈りの言葉とともに、不思議な形の杖を掲げた。それは、コンスタンティノ聖堂にあった天国の鍵の複製。
彼は天に向けて呪文を唱え、モスクワの空にオーロラが現れた。
そこに描かれた魔法陣が放った青い光が、周囲に拡散。
やがて・・・・・・・・。
撤退を始めたフランス軍の上に、雪が降り始めた。
移動中のナポレオンは、空を見上げて唖然。
「どうなっている? 冬はまだ二か月は先の筈だ」




