第592話 インドの傭兵
南インドの地方王国ヤナガルは、インド北部を統一して勢力を伸ばしたムガール王国に対して、形式上の服属外交を行っていた。
王はムガールが信奉するアラビアの教えに改宗していたが、民は古来からのヒンドゥーを信仰していた。
そうした中、フランス人勢力を追い出し、領主から支配権を奪ったベンガルを拠点に勢力を伸ばしたイギリス東インド会社は、幾つもの藩王国を奪い、それらが主としていたムガール帝国をも傀儡としてインドの支配を目指す中、ついにヤナガルへと侵攻の手を伸ばした。
ヤナガルにはポルタ人植民市がある。
イギリスはこれを奪って、インドを産地とする木綿貿易の独占を図るとともに、ユーロへの輸出だけではなく、インド人織物職人を迫害してその製造力を破壊し、イギリスの機械織り綿布をインドに輸出して織物産業自体を自らの手にしようとしていた。
これに抵抗すべきか否か、ヤナガル王家で議論が紛糾する中、下層民の指導者ボウスは抵抗の意志を示す。
その一方でガンディラ師は、服従も抵抗もすべきではないと主張。
ポルタ人植民市の危機を知り、タルタ・マゼランの二つの海賊団を率いてヤナガルに駆け付けたエンリ王子は、ガンディラとボウスの仲介役となり、対話の場を設けた。
植民市の会議室に集うガンディラとボウス。仲介人としてのエンリたちと、そして植民市市長と、王家からは将軍と大臣も参加している。
ガンディラはボウスに問う。
「あなたはダリッドたちを率いてイギリスに抗うと言うのですよね? ですが、あなたの意見は本当に彼等を代表しているのですか?」
「私は彼等を含むインドの民を代表しているのです」
そう答えるボウスに、ガンディラは「そのインドの民はダリッドを差別していますよね? 彼等がこの国のために戦えば、本当に全ての民が彼等を認めると?」
「認めさせる好機である事は事実です」とボウス。
ガンディラは言った。
「本当にそうでしょうか? 民には、自分たちより下として見下す相手が必要なのです。どこかの半島国が、"世界の中心が中華で自分たちはその隣にある"からと、下位の国として見下される屈辱に耐えるため、"さらに向うに居て中華から遠い隣国は自分たちより下なのだ"と思い込んで隣国を見下す小中華主義という悪しき思想に固執します。あなた達がイギリスから民たちを守り切ったとして、その時は感謝はされるかも知れない。けれどもすぐに忘れてしまうのではないのですか?」
「・・・・」
更にガンディラは「差別の否定には言葉で概念として主張する事が不可欠です。かの列島国が、昔の戦争を理由に、その戦後処理による清算が終わった後も、"戦犯国"などとヘイトスピーチを叫んで差別するようなヘイト犯罪に対しては、きちんと言葉で糾弾しなくてはいけなかった。黙って耐えていたのでは加害者は増長し、遂には西の大陸国のタカサゴ島侵略正当化宣伝に利用され、アジアの平和を破壊してしまう。あなた達も先ず、自分たちへの差別を言葉で非難する事から始めるべきではないのですか?」
「ですが、それではこの戦いはインドのためではなく、私たちだけの戦いになってしまう」とボウスは反論。
「では、あなたに従った彼等に、あの残虐な最期を辿らせても良いのですか?」
そう問うガンディラにボウスは言った。
「それが怖いから抵抗するな・・・というのは、彼等があれを見せしめとして始めた理由そのものです。つまり侵略者の理屈ですよ。戦争そのものも同じです。戦争は確かに悲惨だ。多くの人が死にます。だから抵抗するなと言いたくて、彼等は武器を以て攻め込む。戦争や報復を悲惨だと言って、仕掛けられた側を制止するのは、反戦などでは無い。ただの戦争迎合思想ですよ」
そんな二人に、仲介人席のニケが口を挟む。
「要は勝てればいいんじゃないかしら」
「どうやって?」とエンリが突っ込む。
ジロキチが「努力と根性」
タルタが「友情パワー」
リラが「愛の力です」
ニケが「お金があれば何だって出来るわ」
ムラマサが「神様から貰ったチートスキルでござろう」
そんな仲間たちにエンリはあきれ顔で「そういう残念な煽りはいらない」
すると市長が言った。
「けど、このエンリ王子はかつてムガール帝国の侵略からこの国を守った英雄ですよね?」
将軍も「そうですよ。もう大丈夫。何故って? 彼等が来た」
そんな彼等にエンリは困り顔で「そういう無責任な丸投げは止めて」
「けど、彼等は何時までもここに居られる訳じゃない。帰国した後で再びイギリス人は攻めて来ます」と大臣も突っ込む。
するとエンリは言った。
「そうならないために、この国を変えるんですよ」
「それって、あの国民国家という奴ですか?」
そう怪訝顔で言う大臣に、エンリは「イギリスもフランスもそうやって強い国になったんです」
その時、カルロが言った。
「とりあえずイギリス軍の主力は傭兵ですよね?」
「そーいや、奴らに反乱を起こさせる・・・とか言ってたよな」とエンリ。
「言っときますが、彼等に民主主義とやらを解いても無駄ですよ」
そう大臣が言うと、カルロは「もっといい方法を思いついたんです」
双方が戦いの準備を進め、数日が経過した頃・・・・・。
数人のシパーヒーが夜闇に紛れてヤナガルの軍営を訪れ、投降を申し出た。
取り調べ室に入れられたシパーヒーたちへの尋問に、ガンディラとエンリ達が立ち会う。
「彼が投降者ですが・・・・・」
取調室の机を挟み、審問官に向き合って椅子に座る投降者。
机の上にはカツ丼。
「それで、投降した理由は?」
そう審問官が問うと、ニケが「給料に不満とか?」
エンリが「インド人の自覚に目覚めたとか?」
カルロが「嫁を寝取られた?」
ジロキチが「頭が薄いのをキンカン頭だと馬鹿にされた?」
投降者が「じゃなくて、ここにガンディラ師という聖者がおられると聞きました」
「非暴力の理想に目覚めたのですね?」
そうガンディラが嬉しそうに言うと、投降者は「じゃなくて、浄化の儀式をお願いしたいのです」
「はぁ?」
「禁忌である牛の脂を口にしてしまいました」と投降者。
「つまり牛肉を食べたと・・・」
そうリラが言うと、アーサーが「あれは美味いからなぁ」
ムラマサが「霜降り肉でござるな」
ジロキチが「すき焼きで食べると最高だよね」
タルタが「いや、ビフテキだろ」
ファフが「やっぱりハンバーグだよ」
そんな仲間たちにエンリは「あのなぁ。これはグルメ小説じゃないぞ」
「いや、糧食とかじゃなくて銃弾なんですが・・・」と投降者。
「牛を鉄砲玉に?」とエンリ。
タルタが「つまり、牛魔獣を飼い馴らして拳銃渡して敵組織のボスを殺させると・・・」
「というか弾薬の・・・・」
そう投降者が言うと、若狭が「火薬なんて食べたら、お腹を壊すわよ」
「いや、空を飛べる薬と聞いたでござる。それで空飛ぶ忍者隊を創ろうと、八宝斎という秘密組織のボスが・・・」とムラマサ。
ジロキチが「あれは、下痢で体重が軽くなるって期待から生まれた迷信だよ」
そんな仲間たちにエンリは「そういう斜め上な空想解釈は止めて、黙って話を聞いてろ」
投降者は語った。
「雨の中で戦っても弾薬が濡れないよう、銃弾と弾薬を油紙で包装するんです」
「そーいやフランス人が追い出された戦争でも、ベンガル領主に渡した鉄砲の弾薬が雨で湿ったのが敗因だとか言ってたっけ」
そうエンリが言うと、アーサーが「イギリス軍って、そんな防水対策やってたのか」
「その油紙に牛と豚の脂を使って、その包装を歯で嚙み切って・・・・・」と投降者。
「そんな些細な事で禁忌を破った事に・・・・・」
そう言いかけたタルタの足をエンリは思いっきり踏んだ。
そして彼はカルロに小声で「もしかして、これってお前が流した流言飛語?」
「ヒンドゥーでは牛肉を食べる事は禁忌です。それを口にすることをイギリスに強制されたとなれば、反発は大きいですよね?」
そう小声で説明するカルロに、エンリは「けど豚肉は?」
「領主の半分はアラビア信仰ですから、シパーヒーにはその兵隊だった奴も居るんですよ。彼等にとって豚肉は禁忌です」とカルロ。
エンリは溜息をついて「そういう事かよ」
そしてエンリは投降者に問うた。
「もしかしてこの噂、軍に居るシパーヒーたちに広まってる?」
投降者は「かなり動揺が広がっていまして、イギリス人は否定していますけど、誰も信じてません。反乱を計画した奴等が数名、大砲で処刑されて・・・」
「うげ」とエンリたちドン引き。
投降者は「俺たちは抜け出す事が出来ましたけど、まだ向こうには大勢の仲間が居て、一声かければ一斉に内応する筈です」
ヤナガル王はイギリス軍に返事を送った。正式に要求を拒否すると・・・・・。
動員したヤナガルの軍勢を王宮前広場に集め、彼等を前に演説する王。
「これから戦いになる。これに勝利する事で、頼りにならないムガールに代わって、我々ヤナガルがこのインドの主となるのだ」
そこには、エンリとフェリペの部下たち、そしてボウスに率いられたダリッド兵たちも居る。
続けて、ボウスがダリッド兵たちに向けて演説。
「差別されていた我々ダリッドが、この地で存在を認められる日が来た」
「共にインドのために戦いましょう」
手を握り合う王とボウスを前に、涙目なエンリの仲間たち。
「いい話だなぁ」
そんな彼等を脇目に見つつ、エンリは「けど・・・・」
(何だろうこの空気)
そう脳内で呟きつつ、エンリは周囲を見回す。
王国戦士たちとダリッド兵たちの笑顔がぎこちない。
その時、一人の兵が広場に駆け付け、そして「陛下、報告します」
「どうした。敵が何か奇策でも弄したか?」
そう王が問うと、彼は報告した。
「イギリス軍が撤退を始めました」
イギリス軍を率いて北へ進路をとる、東インド会社軍のクライヴ指令。
その本営では・・・・・。
「慎重過ぎるのではないですか?」
そう副官が言うと、部下の司令官たちも「南洋艦隊が運んで来る本国からの来援など待つ必要は無いかと。ヤナガルは小国です」
そんな彼等にクライヴは「シパーヒーたちの動揺が心配だ。何時敵に寝返るとも限らん」
「あの、弾薬の脂紙が牛と豚とかいうデマですか?」と副官。
クライヴは部下たちに命じた。
「安全地帯まで退却したら、例の奴をやるぞ。適当な奴を見繕って、デマを撒いた犯人として見せしめだ」




