その7
キノが帰ってきた。マコは小走りで、そのもとに駆け寄る。甚平のあちこちが汚れ、破れたり、裂けたりしていた。キノの髪は三つ編みが解けて乾ききっている。しかも潤いがなかった。あの行動の騒動が容易に想像できる。
「どうしたの?」
キノがその大きな瞳で見つめる。マコはその優しい顔を見ると、何だか言い出せなくなった。
「シ、シャワー、入ってきたら、泥だらけだよ」
「うん。そうする」
笑顔で浴室に入っていった。キノが出てくる間、マコは落ち着かない。ソファーに腰掛けたり、テーブルの周りを回ったりている。ふと、冷蔵庫が目に入った。中を覗くと酒のつまみ類とペットボトルのお茶、ビールとワイン程度しかない。
「どうしよう」
マコはじっと考えていた。
「何が?」
驚いて、後ろを振り返ると、キノが立っている。細長い髪を丸く託し上げ、タオルで巻いていた。ちょっと赤らんだ白い頬に、バスローブの隙間から見える胸元には、滴が光る。
「はあ……」
「マコも早く入りなよ。気持ち良いよ」
お茶をグラスに注いでキノに渡した。グラスは長い指の手に持たれる。そしてそれは小さな桃色の唇に運ばれた。その口へ含まれた液体は、細い首を小刻みに振るわせて喉を過ぎていく。胸部が上下に動き、肌の滴が伝って落ちていった。
「に、二階で待っててね」
その仕草をうっとりと見ていたマコはそう言うと、そそくさと浴室に急ぐ。キノは火照った顔で見送った。
キノは二階寝室から、ベランダに出る。二つ並べてあるデッキチェアーに腰掛けた。星空を眺めて、息を大きく吸う。海からの風が心地よく吹いていた。キノがマコに向かってマイク越しに語ったのは、つい二時間前だ。
「今でも、恥ずかしいくらい」
あの後、花宗院大介が気がつくまでには、キノはあの場所にいなかった。
「紀乃様、私め感動いたしました」
出ていく後ろ姿を呼び止める。
「真琴様を、真に愛でてらっしゃる」
窓に足を掛けた時、最後の言葉を囁いた。
「旦那様は、紀乃様と交わしている約束を気にしてらっしゃいます。紀乃様の足かせになっていないかと。旦那様は表面では何かとおしゃるが、紀乃様は、紀乃様らしい行動で良いのです。花宗院ではなく、あなた様は、鈴美麗なのですから。まあ、これも年寄りの戯言ですがね」
本部から会場に戻って、マコを見つけるのは簡単だった。彼女と宮島を囲むように、そこだけ人だかりになっていたからだ。駆けつけるキノをその人だかりは、まるでモーゼの十戒のように、左右に割かれていった。一本のその道はマコまで伸び、キノを指南しているようだった。
満天の夜空には美しい星が、煌めいている。目を静かに閉じた。
「僕らしい、行動か……」
このままずっとマコと僕は一緒に暮らしていく。その中で、まだまだ色々なことが起きるだろう。楽しい事ばかりではない。嫌なことや、悲しいことだってあるはずだ。考えたくないが、お互いの気持ちが離れそうになることだってあるかもしれない。それを戒めるものは、原点に戻れるかどうかだろう。そう、あの池でマコを助けた僕に……。
「……マコ」
「なあに、キロ」
声がする。
「キロ?」
キノは何処かで、聞いたことを思い出した。そして唇が塞がれた。彼女の口から、甘い唾液と共に液体が注がれる。キノは驚いて目を開いた。
「な、なにを……」
起きようとするキノをマコは体ごとで押しつける。もう一度、両手で挟まれた顔には、唇が再び重なり合った。彼女を通して体にもう一度注がれる。そのまま喉を鳴らした。
「ワイン?」
改めて、マコを見る。彼女はバスローブのままで、キノの上に伸し掛かっている。大きく開いたバスローブの間からは、隆起の全てが見えていた。彼女の口に鼻を寄せるとワインの香りが残っている。
「酔ってる」
グラスにあるワインを口に含み、キノの唇に運び込む。そんなことをマコは繰り返す。
「お、おい……、マ、マコ」
キノも次第に頭が朦朧としてきた。そう言えば、二人ともお酒には弱いのだ。マコの顔が二重に見える。
潤んだ瞳、艶のある唇、光る肌、柔らかい体。
「ぎゅって、して」
キノは強く抱き締めた。そして、これまで以上の濃厚な口づけをする。彼女の舌が絡みついてきた。キノの手はふたつの隆起を手の中に優しく包む込む。唇を離してその小山のひとつに口を当てた。
「ひゃぁ……」
小さな吐息を上げ、そのままキノの上に覆い被さる。
「可愛い」
胸から抜け出した左手がマコの小さな臀部へ這っていった。背筋が伸びて硬直すると、上半身が起き上がり二つ山が揺れる。
「キロ、すき。ぜった、まもりたふ……」
マコはキノを切なそうな顔で抱きしめた。口から一層吐息が漏れ、体が再び反り返る。キノの意識は完全にマコに酔っていた。留め金が外れたように、互いが感じる行為を与え、求め合って愛し合う。荒い息が酔いの勢いと共に膨れ上がる。緊張と小刻みな震えが、波の満ち引きのように何度も、何度も繰り返された。
しばらく、そのまま動かない。デッキチェアーに裸の二人が密着して横たわっていた。静かな夜の波音とシンクロするように息が聞こえる。
満天の星空の中、キノは静かに瞳を閉じた。