その6
「な、何だ。何が起こった?」
背中の襖を起こしながら、大介は朦朧とした頭を振った。
「気がつかれましたか。旦那様、今し方、花宗院の特注大玉が上がりました。それはそれは、豪華絢爛な花火でしたよ」
「なんだと!?」
大介は襖を払い除け、窓際にかぶりついく。しかし、もうすでに全ては散った後だった。真下の屋台が片付けを始めている。
「しかし、この花火大会、実に愉快なものでした」
床に転がっているマイクを見つめた。
「紀乃様は立派な鈴美麗家の男子ですよ」
呟きながら、男は微笑む。
「平井、何かここであったのか?」
「いえ、何も。旦那様、明日の予定は朝早くからですので、この辺で我々はお暇いたしましょうか。町長さんと大会長さんは出払っておりますが」
大介はもう一度屋外を見る。煌めく星空が広がっていた。
「今度は違う場所で、もっと大きな花火を上げてやる。次回は必ず、真琴……、と紀乃くんも一緒に」
平井はにんまりとする。
「それでは、旦那様。参りましょう」
車の窓から見えた海辺のログハウスは、自動点灯の照明で煌々と照っていた。キノとマコは、先ほど屋敷の車で送ってもらっているのだ。道中屋敷は、バックミラーに映る二人を眺めては、「ふーん」と鼻を鳴らして考え込んでいた。鼻にティシュを詰めた宮島は青年団に捕まり、打ち上げ会に引き摺られながら連れて行かれた。今頃は酒を浴びるほど呑まされているだろう。車から降りた二人を、屋敷はもう一度足から頭まで見つめた。
「おかしいって、思ってるでしょ」
恥ずかしげに訊ねる。
「い、いや、別に俺は……」
顔を赤くした。
「私、先に入ってる」
マコはいそいそと、ログハウスへ足を向ける。
「おかしいよね、僕は男だ、て言ってもこの格好じゃ」
長いクリーム色の髪を指で巻いた。
「そんなことじゃないんだ。君がどっちでも、あんな凄いことをやってしまった。常識を越えることを。正直、感心さを通り越して呆れた」
頬を 膨らます。
「誤解しないで、いい呆れ方だよ。君のように彼女のことを、ひとつのことを脇目も振らずに全力でやり通すなんて、俺には出来ない」
「ううん。出来たじゃない。花火を止めたこと」
「あれはたまたま、俺の親父が 花火師だったからだよ」
屋敷は顔を上げて頭を掻いた。
「それでも僕が本部に乗り込んだ時に止まった。あなたも凄い人だ」
細い体のキノが、男には途方もなく大きく見えている。到底追いつけそうにもない堂々とした男と感じていた。
「出来るかな、これから俺に」
風が起こる。思わず目を擦った。
「無理な事なんて、ない。か」
佇むキノは微笑む。
屋敷は車に乗り込むと反転させ、もと来た道を走り去っていった。
先にログハウスに戻ったマコは、スマホの電源を入れる。花宗院綾子に電話した。
「真琴ちゃん、何処いたのよ」
「探した?」
綾子の屈託のない顔が浮かぶ。スマホの向こう側から含み笑いが聞こえた。
「大介さんがね。と、て、も」
マコも苦笑する。ここにいたことはわかっているから、なおさらだ。
「あなたたちに付き纏ってないかしら?」
マコは無言で首を振る。
「真琴、紀乃ちゃんとうまくやってるのね」
口を噤んで顔が赤くなった。
みんなに聞こえる放送で「僕の女」と言われて、今更恥ずかしくなる。けれども今晩のキノの言葉は嬉しかった。勝つとか負けるとか、家柄がどうじゃない。皆から守られている自覚と今出来ることへの決意。それが大事なことだったのだ。
「優しくしてくれる」
「そう。しっかり紀乃ちゃんを守るのよ。喧嘩してもいいけど、あなたが先に謝りなさい。愚痴は私が聞いてあげるから。あの子にはあなたしか、いないんだからね」
母親の言葉の重さを感じていた。今回もキノが先に謝っている。
窓の外で屋敷と話をしているキノが見えた。その姿が愛しくて堪まらなくなる。
「わかってる、つもり……。努力する」
マコは携帯を握りしめた。
「そうそう、大介さんにも電話してあげて。あなたと一緒に花火を見たがってたわ」
「それで……」
「真琴、あの人も寂しいのよ。小さい頃からずっと仕事ばかりだったでしょ。あなたと遊ぶ時間なんて本当になかったのよ。言ってたわ、大学生ぐらいまでには自分の時間を持てるようにするんだってね」
確かに、大介と遊んだ記憶はない。それが普通だと思っていた。
「きっと、あなたと一緒に想い出作りをしたかったんだね」
大介の顔が浮かぶ。結婚式が終わっての帰り間際、駐車場を転がりながら、追ってきた父を思い出した。
「私、まだ結婚しないほうが良かったのかな……」
マコは少し気落ちする。
「真琴ちゃん。それだけは、言ったら怒るよ。紀乃ちゃんに謝りなさい。そりゃ、大介さんも私も、一番良い時の娘を盗られたようなものだから寂しい。けど、愛娘の幸せを喜ばない親は何処にもいないわよ」
母の言葉はマコの心を突いてくる。
「それに紀乃ちゃんにあなたを渡している。誰がなんて言おうとも、あなたは鈴美麗家の嫁。紀乃ちゃんの妻」
スマホを持つ手を握り直して畏まった。
「あなたを紀乃ちゃんは選んだ。あなたも紀乃ちゃんを選んだ。これ以上の幸せはない」
「お父様は……」
「バカね。彼の面倒は私が見るからいいのよ。夫婦なんだし。あなたよりもケアできるわ。でも紀乃ちゃんにはあなただけ。これは誰でも出来ない。あなたしか出来ないことなのよ」
綾子は優しく言った。
「でも、まあたまには、この間みたいに逢って頂戴。大介さんも喜ぶから。電話もしてあげたらもっと嬉しがるよ。私たちにはそれで十分」
瞳は泪で潤んで、やがて頬を伝っていく。
「お母様」
「泣かないの。そんなことより、やることあるでしょ。精一杯、愛してあげなさい。今以上に」
母の言葉は全てに的得ている。マコはそんな母に感謝した。今日宮島と、もし唇を触れさせていたら、キノと顔を合わせられないことになっていたら、今ほど辛い言葉はなかったろう。
「……はい。お母様、ありがとう」
「バカね」




