第9話 岐路
台風の一件から、しばらく経った。十月も半ばを過ぎ、朝晩は上着が手放せなくなっている。
仕事終わり、コンビニの前で初美と会った。いつもの時間、いつもの場所だった。
「進路調査票、まだ出せてなくて」
「そんなに悩むことか?」
「悩みますよ。何も、決まってないんですから」
初美は自転車のハンドルに手をかけたまま、視線を落とした。
「大学に行くとか、就職するとか、そういうのじゃなくて。あたし、そもそも、この先どうしたいのか分からないんです」
その言葉には、進路そのものより深いところにある迷いが滲んでいた。
———
いつもの公園に寄ることにした。ベンチに並んで座ると、街灯がぽつぽつと灯り始める時間帯だった。
「令和のあたしって、その後どうなったんでしょうね」
唐突な問いだった。
「知らないよ、そんなの」
「ですよね。あたしも、断片的にしか覚えてなくて」
初美は膝の上で手を組んで、少し俯いた。それから、独り言のように呟いた。
「大輔と別れた後、私は……何をしてたんだっけ」
言った本人が、一番戸惑っているような声だった。
「思い出せないのか」
「はい……前は、もう少し覚えてた気がするんですけど」
その言い方に、俺はさっきの自分と同じ違和感を覚えた。台風のニュースの詳細を思い出そうとして、何も出てこなかったあの瞬間と、よく似ていた。
「もし令和に戻ったら、また同じ道を歩むのかな、って。たまに考えるんです」
俺はすぐには答えられなかった。令和の初美がどんな人生を送ったのか、俺は知らない。ただ、初美自身の口から語られる言葉の端々に、何かを避けようとするような重さを感じることが、これまでにも何度かあった。
「別に、同じ道を歩む必要はないだろ」
「そうですけど……」
初美は言葉を濁した。
———
「耕一さんは、あたしがどうしたらいいと思いますか」
真正面から聞かれて、言葉に詰まった。
令和の記憶を頼りに、何かを勧めることはできるかもしれない。だが、それは結局、俺の知っている令和という前提の上に立った話でしかない。この十年前の世界は、もうあの時とは違う道を歩み始めている。大輔のことも、幸子のことも、令和とは違う形で決着した。
「分からない」
正直にそう答えた。
「分からないけど、初美が選んだことなら、それでいいと思う」
初美は少し驚いたような顔をした。
「無責任、ですね」
「かもな」
そう言うと、初美は小さく笑った。
「でも、そのほうが、気が楽かもしれません」
初美はそう言ってから、少し間を置いて、続けた。
「――ねえ、耕一さん。未来を変えるのって、楽しいかもしれないです」
「楽しい?」
「だって、この先どうなるか、誰にも分からないんですよ。令和の記憶なんて、もうあやふやになってきてるし。だったら、いっそ真っ新な気持ちで、好きに決めちゃっていいのかなって」
初美は夜空を見上げながら、そう言った。声には、さっきまでの不安げな響きはなかった。
俺は少し驚いていた。同じ「分からない」でも、初美の中では、恐怖じゃなくて、期待に近い何かに変わりつつあるらしい。
「そうかもな」
短くそう返すのが、精一杯だった。
———
街灯の明かりが、少しずつ強くなっていく。
「調査票、とりあえず『考え中』で出しておきます」
「それでいいと思うよ」
立ち上がって、二人並んで公園を出る。
初美の進路は、まだ何も決まっていない。俺自身も、初美にどう関わっていくべきか、答えを持っていない。
それでも、隣を歩く時間は、以前より少しだけ、自然なものになっている気がした。




