第5話 歩み寄り
年末が近づき、店内はいよいよ正月飾りと餅つき用品でごった返していた。レジに立ちっぱなしの日が続き、腰が重い。
そんなある日、レジに立っていた俺の前に、見覚えのある顔が並んだ。
「これ、ください」
幸子だった。小さな正月飾りを一つ、カウンターに置いている。
「あ……どうも」
「偶然。買い物ついでに」
偶然、という言い方には、あまり説得力がなかった。この店に幸子が来る理由など、思い当たらない。
会計を済ませると、幸子はレジ前を立ち去らず、そのまま立っていた。
「今、休憩中?」
「いえ、あと少しで」
「じゃあ、その後でいい。少し話せる?」
断る理由を思いつく前に、頷いていた。
———
店の裏、資材置き場の脇のベンチで、幸子と向かい合って座った。缶コーヒーを一つ、無言で差し出される。受け取ると、少し驚いた顔をされた。
「素直に受け取るんですね」
「別に、断る理由もないので」
幸子はふっと笑って、自分の分のコーヒーを開けた。
「初美の子供のころの話、聞きたいですか」
唐突な申し出だった。だが、断る気にはならなかった。
「あの子、昔から泣き虫でね。近所の犬に吠えられただけで大泣きして、私が代わりに怒鳴り込みに行ったこともある」
「今と、あんまり変わらないですね」
「でしょう。でも、泣いたあとは必ず、誰にも見られないように顔を洗いに行くの。強がりなのよ、昔から」
知らなかった初美の一面だった。強がり、という言葉が、妙に納得できるものとして胸に落ちた。
「あの子、あなたのことを話す時だけ、声のトーンが違うんです」
不意打ちのような一言に、言葉に詰まった。
「そう、ですか」
「別に、詮索してるわけじゃないの。ただ——」
幸子はコーヒーの缶を両手で包むように持ち、少しの間、口を閉ざした。
「あの子が誰かに心を開いてるのを見るの、久しぶりだったから」
その言い方には、これまでの探るような口調とは違う、柔らかさがあった。
———
休憩が終わり、俺は売り場に戻った。幸子は「また来る」とだけ言って、店を出ていった。
その日の帰り道、コンビニの前で初美と会った。いつもの時間、いつもの場所だった。
「今日、姉が店に来たんですって?」
驚いた。もう耳に入っているのか。
「ああ、正月飾り買いに来ただけだよ。ついでに少し話した」
「何、話したんですか」
声の調子は変わらなかった。だが、笑顔の作り方が、いつもよりわずかに硬い気がした。
「初美の子供のころの話。泣き虫だったとか」
「……そんなこと話したんだ」
初美は視線を少し落とした。
「別に、いいですけど」
いいですけど、と言いながら、いいと思っていない声だった。
「気にすることないだろ。会話しただけだ」
「分かってます」
それだけ言って、初美は自転車のスタンドを外した。
「じゃあ、また明日」
いつもより少し早口だった。
———
自転車を押しながら帰る道すがら、俺は自分の立ち位置がよく分からなくなっていた。
幸子は、初美を心配して近づいてきている。初美は、その接近に何かを感じている。俺はといえば、どちらの側にも立てないまま、ただ間に挟まれているだけだ。
初美の秘密には、まだ何も近づけていない。それなのに、居心地の悪さだけが着実に増えていく。
何かが動き始めている。そんな予感だけが、胸の奥に残った。




