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夏と、十年前の春  作者: 山田村


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第4話 小さな棘



 十二月に入ると、店先はすっかり正月飾りと灯油缶ばかりになった。レジに立つ時間が増え、一日があっという間に過ぎていく。


 レジ締めの合間、初美と同じ高校に通うバイトの後輩が、何気ない調子で話しかけてきた。


「そういえば、大輔くんって知ってます? 同じ学年の」 「ああ、まあ、顔くらいは」 「最近、別のクラスの子と仲いいらしいですよ。よく一緒に帰ってるって」


 へえ、とだけ返した。それ以上の反応をするのも変な気がした。


 だが、レジを打ちながら、頭の片隅で何かが引っかかっていた。安堵、というのとも少し違う。もっと落ち着かない、形にしにくい感覚だった。


———


 仕事終わり、コンビニの前で初美と会った。特に約束したわけではないが、この時間、この場所で会うことが多くなっている。


 世間話のついでに、さっきの噂を伝えてみた。


「大輔、最近別の子と仲いいらしいぞ」 「……そうなんですか」


 初美の返事は、思っていたより短かった。


「よかったじゃないか。気まずいこと、少しは減るだろ」 「そう、ですね」


 言葉の内容と、声の温度が、微妙に噛み合っていない気がした。初美は俯いたまま、コンビニの袋の持ち手を指先で弄んでいる。


「何か、あったのか」 「別に、何も」


 初美は顔を上げて、いつもの笑顔を作った。だがその笑顔は、少しだけ遅れて出てきたように見えた。


「じゃあ、また明日」


 初美はそう言って、足早に去っていった。


———


 自転車を押しながら帰る道すがら、俺はさっきの初美の様子を何度も思い返していた。


 安心しているようにも見えたし、どこか寂しそうにも見えた。二つが同時に浮かんでいる顔、というのは、うまく言葉にできない。


 大輔が離れていくことは、初美にとって望んでいたことのはずだ。それなのに、あの顔は何だ。


 考えても分からない。分からないのに、なぜか自分の方が落ち着かなくなっている。


 ――なんで俺が、こんなに気になってるんだ。


 自分に問いかけてみても、答えは出なかった。ただ、初美のことを考えている時間が、以前より長くなっていることにだけは気づいていた。


———


 数日後、休みの日の午後。買い物帰り、住宅街の角を曲がったところで、聞き覚えのあるような、ないような声に呼び止められた。


「松井さんですよね」


 振り返ると、自分と近い年頃か、少し上に見える女性が立っていた。整った身なりで、どこかで見た覚えがある気がしたが、はっきりとは思い出せない。こちらを値踏みするような目をしている。


「あ……はい、そうですが」 「初美の姉です。佐藤幸子」


 言われて、記憶の奥で何かが繋がった。子供のころ、一度だけこの人に怒鳴られたことがある。うろ覚えのその時の顔と、目の前の女性が、ゆっくりと重なっていく。


「あ……あの時の」 「覚えてたんですね、意外。近づかないようにしてたんですけどね、あなたのこと」


 幸子は淡々とした口調で、そう続けた。敵意を剥き出しにするでもなく、かといって親しげでもない、探るような話し方だった。


「最近、あの子の様子が変なんです。学校でもぼんやりしてるって、担任から連絡があって」 「それは……」 「あなたと会ってる時間が増えてるって聞きました。何か、心当たりありません?」


 答えに詰まった。心当たりがないわけではない。だが、それを幸子に説明できる自信もなかった。


「特に、変わったことは……」 「そう」


 幸子はそれだけ言って、しばらく黙って俺の顔を見ていた。何かを見極めようとしているような視線だった。


「あの子、昔から、辛いことがあると笑って誤魔化す癖があるんです。あなたは、気づいてます?」


 言葉が出なかった。公園でのあの一瞬の表情が、頭をよぎる。


「……知りませんでした」 「でしょうね」


 幸子は小さく息を吐いた。責めるような響きはなかった。ただ、何かに諦めているような、そんな声だった。


「妹のこと、よろしくお願いします」


 それだけ言い残して、幸子は踵を返した。数歩歩いたところで、思い出したように振り返る。


「――あの子が何を抱えてるか、いつか教えてもらえたら助かります。私にも、話してくれないので」


 その一言だけを残して、幸子は角を曲がって見えなくなった。


 俺はしばらく、その場から動けなかった。


 初美が抱えているもの。それを、姉ですら知らない。


 ――俺が、何を知らないままここにいるのか。


 胸の奥に、これまでとは違う種類の焦りが芽生えていた。




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