↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏と、十年前の春  作者: 山田村


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/32

第29話 衣装合わせ




 九月に入り、結婚式の衣装合わせのため、二人で式場を訪れた。


「わあ……」


 控室に現れた初美は、真っ白なウェディングドレス姿だった。


「どうですか」


「……似合ってる」


 それ以上、うまい言葉が出てこなかった。俺が黙っていると、初美は照れくさそうに、くるりとその場で一回転してみせた。


 付き添いで来ていた母が、隣で目元を押さえていた。


「お母さん、まだ泣くの早いですよ」


「いいのよ、これくらい」


———


 俺の番になり、タキシードに着替えて鏡の前に立つと、なんとなく落ち着かない気分になった。


「令和で着た時とは、違う感じですか」


 初美に聞かれて、少し考えた。


「あの時は、正直、あんまり覚えてない。緊張してた記憶しかないな」


「そうなんですか」


「今回のほうが、なんか、実感がある」


 自分でも意外な答えだったが、それが正直な気持ちだった。


———


 式場を出て、帰りの車の中で、ふと結婚式の挨拶文について考えていた。何を話すか、まだ何も決めていない。


 昔の結婚式のことを、少し思い出そうとしてみた。


 ――あの時の妻の名前、何だったっけ。


 考えて、固まった。


 顔は、もうずっと前から思い出せなくなっていた。だが、名前まで出てこなくなったのは、初めてだった。


「どうしました?」


 助手席の初美が、横顔を覗き込んでくる。


「いや……前の嫁さんの名前、思い出せない」


「……マジですか」


 初美は、少し驚いたような顔をしたあと、思わず噴き出した。


「笑うところじゃないだろ」


「すみません。でも、なんか、耕一さんらしいなと思って」


———


「怖くないんですか、それ」


「前だったら、怖かったと思う」


「今は?」


 信号で車が止まった隙に、初美がこっちを覗き込んでくる。


「今は……もう、あっちの人生じゃない、って感じがする」


 うまく言えている自信はなかった。だが、それが一番近い表現だった。


「令和の記憶は、もう、俺の中で終わったことになってるんだと思う」


「終わった、こと」


「ああ。今の人生は、こっちだから」


 初美は、しばらく黙って前を見ていたが、ふいに、俺の手の甲に自分の手を重ねてきた。


「なんか、耕一さんらしいですね、それ」


「そうか?」


「はい。ちゃんと、前を向いてる感じがします」


 信号が青に変わって、慌てて手を離した。


「危ないので、運転に集中してください」


「お前がくっついてきたんだろ」


 初美は、悪びれもせず笑っていた。


———


 帰宅して、控室で撮ってもらった写真を、母に見せた。


「あら、いいじゃない、二人とも」


 スマホの画面を、三人で覗き込む。白いドレス姿の初美と、タキシード姿の俺が並んで写っていた。


「これ、あたしのスマホにも送ってください」


「いいけど、待ち受けにするなよ」


「なんでですか。しますよ、絶対」


 令和の記憶は、また一つ、静かに閉じていった。


 それでも、今、目の前にあるものだけは、はっきりと形を保っている。


 結婚式まで、あと一か月。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。