第26話 支度
五月に入ると、結婚式の準備は、招待客のリストを詰める段階に進んでいた。
「小田さんとこと、幸子さん(こうこ)は呼ぶの?」
母に聞かれて、頷いた。
「ああ、当然呼ぶよ」
「小田さんの連絡先、分かるの?」
「スマホに残ってるはずだから、探してみるよ」
連絡先を開くと、小田さんの名前はすぐに見つかった。だが、最後にやり取りしたのがいつだったか、正直、まったく覚えていなかった。
「最後に連絡取ったの、いつだっけな……」
「あら、そう」
「幸子さんの店も、しばらく行ってないから、道、覚えてるか怪しい」
「歳ね」
「いや、歳のせいじゃないと思うけど……」
父方の親戚とは、葬儀の後のいとこ会を最後に、意識して距離を詰めることはしていなかった。だが、身内である以上、こういう節目に呼ばないという発想はそもそもなかった。ただ、しばらく顔を合わせていなかった分、直接会って話す機会にはしたいと思った。
「小田さんには、俺から連絡しとくよ」
「そう。喜ぶと思うわよ」
———
夜、初美と招待客のリストを見比べながら話した。
「うちは、母と、お姉ちゃんですね」
「俺も、お父さんの仏壇にも、報告しに行くよ」
初美は、少し驚いたような顔をした。
「……ありがとうございます。今度、一緒に行きましょう」
初美の父・健吉は、初美が物心つく前に亡くなっている。話には聞いていたが、顔も知らない相手だった。それでも、こういう節目には、線香の一本もあげておくべきだと思った。
「親戚は、そんなに呼ぶほどでもないので」
初美は少し間を置いてから、続けた。
「お母さんには、そろそろ、ちゃんと話そうと思ってます」
「大輔のことか」
「ううん」
初美は、小さく首を振った。
「大輔くんのことは、今回は本当に何もなかったので、話す必要はないと思ってます」
「そうか」
「お母さんには、妊娠してる人を見ると、たまに変な感じになることがある、ってことだけ、話そうと思って」
「……前に、母さんが『孫の顔』って言った時のことか」
「はい。あの時も、本当は、笑ってごまかすので精一杯だったので」
「それを、話すのか」
「はい。理由まではうまく説明できないと思いますけど。それでも、隠したままなのは、もう嫌なんです」
「急がなくていい」
「分かってます。でも、結婚式に呼ぶ人に、隠したまま笑ってほしくないんです」
その言葉には、これまでの初美にはなかった強さがあった。
———
数日後、初美は姉に電話をかけていた。俺はその場にはいなかったが、あとで内容を聞いた。
「お母さんに、少しずつ話していこうと思う、って伝えたら」
「なんて言われた?」
「『好きにすればいい』って。それだけです」
「そっけないな」
「お姉ちゃんらしいですよ。でも、『何かあったら、いつでも呼んで』とも言われました」
佐藤幸子は、あれから何も詮索してこない。それでいて、必要な時にはちゃんと隣にいる。初美にとって、それがどれだけ心強いことか、俺にも分かる気がした。
———
六月に入った、よく晴れた土曜日。その日は朝から松井家で過ごしていた初美が、昼過ぎ、思い立ったように言った。
「ちょっと、実家に行ってきます」
それだけ言って、初美は玄関を出ていった。
夕方になって戻ってきた初美の目は、少し赤かった。それでも、表情は思っていたよりずっと穏やかだった。
「話してきました」
「大丈夫だったか」
聞くと、初美は小さく頷いた。
「はい。……ちょっと、泣いちゃいましたけど」
隣に座り、ぽつぽつと話し始めた。
「妊娠してる人を見ると、時々、頭が真っ白になったり、うまく笑えなくなったりすることがあるって、話しました。理由は、自分でもよく分からないんですけど、って」
「そうか」
「前に、お母さんが『孫の顔が見たい』って言った時のことも。あの時、本当は、笑ってごまかすので精一杯だったって、ちゃんと謝りました」
少し間を置いてから、続けた。
「お母さん、なんて言ってた」
「最初は、驚いてました。全然、気づいてなかったから、って」
初美は、その時の様子を思い出すように、少し目を伏せた。
「でも、『そんなこと、一人で抱えてたの』って。それから、『理由なんて、分からなくてもいい。これからは、無理して笑わなくていいから』って、言ってくれました」
初美は、その言葉を噛みしめるように、ゆっくりと繰り返した。
「『子供のこととか、いつか、って話も、あなたのペースでいいから』とも、言われました」
「よかったな」
それだけ言うと、初美は少しの間、黙って庭先を見ていた。
「はい。……肩の荷が、また一つ下りた感じです」
しばらくして、思い出したように付け加えた。
「お姉ちゃんにも、ちゃんと全部話すって、約束しました」
「幸子さんにも、か」
「はい。順番に、ちゃんと」
初美は、少し照れくさそうに笑った。
———
招待状の準備をしながら、何気ない世間話になった。
「そういえば、令和で最後に勤めてた会社って、どんな会社だったんですか」
聞かれて、答えようとして、詰まった。
……出てこない。
「あれ」
「どうしました?」
「いや……会社の名前、思い出せない」
「え」
「マジで、出てこない」
初美が、思わず笑った。
「そんなことって、あります?」
「あるんだよ、これが」
自分でも笑ってしまった。以前なら、青ざめていたかもしれない。今は、ただおかしかった。
———
招待状の下書きが、少しずつ形になっていく。
呼ぶ人、呼ばない人。伝えること、まだ伝えないこと。全部をきれいに整理できているわけではない。
それでも、一つ一つ、丁寧に積み上げていけばいい。
結婚式まで、あと四か月。
これから先の日々を、もう怖がらずに数えられる自分が、そこにいた。




