第25話 始まりの場所
三月が終わり、桜の便りが聞こえ始めた頃、結婚式の日取りが正式に決まった。十月の、まだ暑さの残る時期の予定だった。
「暑い時期でいいのか?」
「秋なら、まだいい方ですよ。真夏じゃないだけマシです」
初美はそう言って笑った。式場の担当者との打ち合わせも、思っていたよりずっと淡々と進んでいる。
———
四月に入ると、いつも意識してしまう日が近づいてくる。四月二十九日。
あの日、コンビニ帰りに車に撥ねられて、目が覚めたら十年前だった。もう七年前のことになる。
これまでの六回、この日をどう過ごしてきたか、正直あまり覚えていない。特別なことをした記憶もない。だが今年は、なんとなく、意識せずにいられなかった。
「今年で、七年ですね」
「ああ」
「早いような、長いような」
「どっちだ」
「両方です」
———
その日の夕方、二人でなんとなく、あのコンビニの前を通った。特に約束したわけではないが、どちらからともなく足がそちらへ向いた。
「変わってないですね、ここ」
「ああ」
「あの時は、まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかったです」
「俺もだ」
———
コンビニの駐車場から、一台の車がゆっくりとバックで出てきた。運転しているのは、白髪の老人だった。
一瞬、体が強張った。
車は何事もなく、そのまま走り去っていった。
「……びっくりしました」
「ああ」
「今の、なんか、心臓に悪かったです」
「同感だ」
———
二人でしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「もし、また同じことが起きたら」
「……」
「今度は、どこに飛ばされるんでしょうね」
「さあな」
「戻りたいって、思います?」
少し考えて、答えた。
「思わない」
「あたしも」
あの日と同じ場所に立って、あの日とは違う答えを、迷いなく口にできる自分たちがいた。それだけで、十分だと思った。
———
帰り道、ふと、令和で最後に住んでいた部屋の間取りを思い出そうとしてみた。
……分からなかった。
前は、玄関を入ってすぐ右がキッチンだった、というところまでは覚えていたはずだった。今は、それすら怪しい。
消えていくものを、いちいち数えるのはもうやめよう、と思った。
その代わりに、今ここにあるものを、数えていけばいい。
十月の結婚式。隣を歩く初美。まだ名前もついていない、これから先の日々。
七年前のあの日から、随分遠くまで来た。
それでも、まだ道は続いている。




