第18話 根付く
六年目の春は、これといった出来事もなく始まった。
ホームセンターでは、四月に新人が二人入った。丸山さんが現場を離れ本部の仕事に回ったこともあり、俺は肥料・土売り場の実質的な責任者のような立場になっていた。
「松井さんに聞けば大体分かるって、新人が言ってましたよ」
店長にそう言われて、悪い気はしなかった。令和で「使えない人材」の烙印を押されていた自分からすると、妙な感慨があった。
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休みの日、初美が夕飯を食べに来るのは、もうすっかり当たり前の光景になっていた。
「今日、蓮君が初めて一人でボタンを留められたんです」
保育園での出来事を、初美は身振りを交えて話す。母もそれを聞きながら、嬉しそうに相槌を打っていた。
「初美ちゃん、すっかり先生の顔ね」
「まだまだですよ。今年入った新人の子の方が、よっぽど落ち着いてます」
「謙遜しちゃって」
台所と居間を行き来しながら、母は普通に「初美ちゃんの分もよそっておくから」と口にする。それが特別なことだとは、誰ももう思っていない様子だった。
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食事のあと、縁側で二人並んで夜風にあたった。
「なんか、変な感じですね」
「何がだ」
「隠さなくていいの、まだ慣れなくて。前は、お母さんが来る前に先に帰ってましたし」
「まあ、な」
隠す必要がなくなったことで、逆に間の取り方に戸惑うことがある。それは俺も同じだった。
「このまま、ずっとこんな感じなんですかね」
「さあ。分からないけど」
「分からないの、多いですね、耕一さんは」
「悪いか」
「別に。……ただ、令和の耕一さんなら、こういう時、もっと適当に流してた気がします」
「そうか?」
「はい。今は、ちゃんと考えて『分からない』って言ってる感じがします」
夜風が、庭の木をさらさらと鳴らした。
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翌週、店の休憩室で、令和の頃によく行っていたラーメン屋の話になった。
「松井さん、駅前の『まる福』知ってます?」
同僚に聞かれて、当たり前のように頷きかけて、止まった。
「……いや、知らないな」
令和では、月に一度は通っていた店だった。味も、店主の顔も、はっきり覚えていたはずだった。それなのに、今、頭の中に浮かぶのは店の名前だけで、味の記憶がどこにもない。
「意外、地元なのに」
「最近、行ってなくてな」
誤魔化しながら、内心では別のことを考えていた。
――また、消えている。
台風のニュース、消費税の話。これまでにも、何度か覚えていたはずのことが抜け落ちる感覚はあった。だが今回は、もっと近い、もっと個人的な記憶だった気がする。
その日はそれ以上考えないようにした。だが、頭の隅に小さな違和感が居座り続けた。
———
夏が近づくころ、母がふと言った。
「初美ちゃん、そろそろこっちに住んじゃえばいいのに」
湯呑みを片付けながらの、何気ない一言だった。
「気が早いだろ」
「あら、そう? もう何年になるのよ、あんたたち」
答えられなかった。何年、と数えたことは、これまでなかった。
六年目の夏が、静かに近づいていた。




