第16話 それから
葬儀は、三日後に行われた。
近所の人たちが次々と焼香に訪れ、母は気丈に対応していたが、その顔には隠しきれない疲労が滲んでいた。俺は、ただ言われるままに動いていた。何をすべきか、頭で考える余裕はなかった。
初美も、式の間ずっと後方に立っていてくれた。親族ではないから前には出られない。それでも、ふとした瞬間に目が合うと、小さく頷いてくれた。それだけで、少しだけ息がしやすくなった。
———
それから数週間、家の中は静かだった。
母は、以前より口数が減った。食事の量も少なくなった気がした。それでも、日々の家事はいつも通りにこなしていた。悲しみをどう扱えばいいのか、母なりに探っているようだった。
俺はといえば、しばらくの間、何も手につかなかった。仕事には出ていたが、ただ体を動かしているだけで、頭のどこかが常にぼんやりしていた。
「耕一さん、大丈夫ですか」
休みの日、初美が様子を見に来てくれた。
「大丈夫、とは言えないな」
「ですよね」
初美は無理に励まそうとはしなかった。ただ隣に座って、しばらく黙っていた。
———
「令和では、父さんとあんまり話してなかったんだ」
ふと、そんな話をしていた。
「大学出てからは、ほとんど実家に帰らなかったし。連絡も、盆と正月に電話するくらいだった」
「そうなんですか」
「だから、令和で父さんが死んだ時のことは、正直、あんまり覚えてない。葬式に出た記憶はあるけど、それだけで」
初美は黙って聞いていた。
「でも、今回は違った」
言葉にしながら、自分でも初めて気づいたことだった。
「一緒に住んで、毎日顔を合わせて。自転車がどうとか、仕事がどうとか、うるさく口出しして。結局、何も防げなかったけど」
「……防げなかった」
「ああ。でも」
少し間を置いて、続けた。
「令和の時より、ずっと父さんのこと、知れた気がする」
自分でも、うまく説明できているか分からなかった。だが、それが今の正直な気持ちだった。
———
「未来を変えられなかったのは、悔しいですか」
初美が、静かに聞いてきた。
「悔しいよ。でも」
少し考えて、続けた。
「変えられなかったことより、もし最初から諦めて何もしなかったら、もっと嫌だったと思う」
「そうですね」
「それに――」
言葉に詰まった。うまく言えるか、自信がなかった。
「もし、令和にそのまま戻ってたら、俺はこの十年、父さんとこんなに近くにいられなかった。事故は変えられなくても、この時間は、確かにあったから」
初美は少しの間黙っていたが、やがて小さく笑った。
「耕一さんらしいですね、それ」
「そうか?」
「はい。無理やり前を向こうとしてる感じが」
からかうような言い方だったが、悪意はなかった。むしろ、少しだけ気持ちが軽くなった。
———
その夜、居間で母と二人になった。
「お父さん、あんたのこと、最近よく話してたのよ」
母が、ぽつりと言った。
「え?」
「息子がしっかりしてきたって、嬉しそうにね」
知らなかった。父の口から、そんな言葉を直接聞いたことは一度もなかった。
「そう、なんだ」
「言葉にしない人だったから、あんたには伝わってなかったかもしれないけど」
目の奥が熱くなった。何も言えないまま、しばらく黙って座っていた。
———
夏が近づく頃、少しずつ、日常が戻ってきた。
母の食事の量も、元に戻りつつあった。俺も、仕事に集中できる時間が増えてきた。悲しみが消えたわけではない。ただ、それを抱えたまま歩いていく感覚が、少しずつ身についてきていた。
———
葬儀から一月ほど経った頃、小田さんから連絡があった。
「今度、いとこ会やるんだが、来ないか。幸子の店でな」
以前なら、適当な理由をつけて断っていたと思う。だが、今回は素直に頷いた。
「行きます」
「おお、珍しいな」
電話越しに、小田さんが少し驚いた声を出した。
———
当日、隣町にある幸子の店に顔を出すと、思っていたより大人数が集まっていた。
「あら、来たの」
幸子が、意外そうな顔をした。
「たまには、と思って」
「珍しい風の吹き回しね」
軽口を叩きながらも、その目には労わるような色があった。父のことを、幸子も気にかけてくれているのが分かった。
「お父さんのこと、残念だったわね」
「ありがとうございます」
小田さんも、少し離れたところから声をかけてきた。
「久しぶりだな」
「ご無沙汰してます」
「お前の親父とは、若い頃、よく一緒に遊んだ仲でな。俺が高校の時、原付の後ろに乗せてもらったことがあるよ」
懐かしそうに、小田さんは笑った。
小田の家は、もともと父の実家だった。父はそこから、松井の家に婿として入った――というのは、以前から知っている話だった。詳しい経緯までは聞いたことがなかったが、今はそれを尋ねる気にはならなかった。ただ、こうして父を知る人たちに囲まれていることが、今は素直にありがたかった。
「そうだったんですか、原付の話」
「ああ、懐かしいよ。そういうこともあって、俺たちもお前のこと、他人事とは思えなくてな」
小田さんは、そう言って笑った。
これまで避けていた集まりだったが、思っていたより悪くなかった。むしろ、知らなかった父の一面や、家族の繋がりを、少しずつ知ることができた気がした。
———
父の未来は、変えられなかった。
それでも、令和では持てなかった時間を、この十年で確かに持てた。それだけは、誰にも奪えない事実として、俺の中に残っていた。
もし、あの事故の日に戻れたとしても、俺は同じ選択をするだろう。
そう、はっきりと思えるようになっていた。




