乙女の空腹
ぐぅぅぅぅう。
大きな空腹の音が、さっきまでの甘い空気を見事に切り裂いた。私は目をぱちぱちと瞬かせる。エリスの顔がみるみる赤くなっていく。
「あっ……あっ、あっ……」
両手でグッとお腹を抑え、恥ずかしそうに目を閉じる。
「ちがうんですっ! いや、ちがくないんですけど!! おなっ、お腹がっ……すいてっ。だって龍の魔力がっ、すごくっ!」
「あはっ、あははっ! あはははははっ!! エリスったら、お腹がすいてしまったの? あんなに妖艶な顔をしておいて、あははっ」
「わっ、笑わないでくださいっ!! うぅ……これじゃイルナさんみたいですぅ……」
「失礼ね? でもこれで私の気持ちがわかったかしら。龍の魔力はすっごーくお腹がすくのよ」
「はい……よく、分かりました。空腹が……ひどすぎます」
まぁ、私から魔力を補充すれば少しは楽になるのでしょうけど、今は黙っておきましょう。エリスがご飯をいっぱい食べるところを見てみたいもの。気づかれるまでは……ね。
痛そうにお腹を抑えて慌てるエリスを微笑ましく見ていると、ガチャッと扉が開いた。フランが飛び出してきて、そのまま私に抱きつく。勢いに押され、私は片足を引いた。
「おめでとー!! 十席だねっ! すごいっ! すごいよっ!!」
「ん、ありがと」
ふかふかぁ……危ない、溶けてしまうわ。
顔を横に振って自分を正常に保つ。遅れて入ってきたクローネが、おめでとうと言いながらエリスを眺めた。
「……なにしてんのあんた。お腹痛いの?」
「うっうぅ……違うんですっ。いえ、痛いには痛いんですけど……!」
「? なんで顔真っ赤なの……意味わかんない」
「そっそれはっ……」
何をそこまで恥ずかしがることがあるのかしら……私は口を開いた。
「あぁ、心配しなくていいわよクローネ。それはただのく――」
「すいませんっ! お口チャックですっ!」
「んぐっ……」
エリスに主従命令で口を塞がれ、話せない。そこまでするほどのことなのかしら……貴族だから? よく分からないわ……
私は大人しくフランの胸に沈んでいく。
――ぐぅぅぅうっ。
静寂。それを切り裂いたのはフランだった。
「お腹空いたの? ごはん食べに行こっ!!」
「あぅ……」
クローネが吹き出した。お腹を抱え、エリスを指さして笑う。
「あははっ、なにあんたっ、お腹すきすぎてお腹痛かったの? イルナに主人命令まで下して隠すなんてっ、あははっ、ばからしっ」
「うっうう! ひどいですっ! 恥ずかしいんです、乙女なんですっ! お腹の音なんて聞かれたくないですっ!!」
エリスがぽかぽかとクローネの頭を叩いて抗議する。クローネは「心配して損した」と笑った。
「はいはいっ、さっさとご飯食べよ。祝杯もそれからってことで。あっ、お酒は飲まないか。今とどっちの方が恥ずかしい? ねぇ、教えてよ、エーリースー」
「いじわるいじわるいじわるっ!! クローネさんのばーかっ!」
ぷくーっとほっぺを膨らませて、待機室を飛び出す。ハッとした私はフランの魔性から逃れ、みんなで食堂へと向かうエリスを追った。第十席ともなれば、ナイトの食堂なんて本当は使えないのだけど、権限としてはそのくらい問題なく行使できるでしょう。本人もそれどころではないのだから。
私としては、ロードの食堂、かつ特別に用意された部屋で高級なお肉を口いっぱいに頬張りたいけれど……今の主人を止めることはできないわ。
エリスはナイトの食堂に入るなり席につき、ウェイターへ叫ぶように「お肉」と頼んだ。恥ずかしさで俯いているけれど、今は周囲を気にする余裕すらないらしい。遅れて来た私たちも食事を注文し、待つ。
クローネはずっとエリスをからかっているし、フランはニコニコしながら食事を待っている。
肉が届いた途端、エリスはナイフで大きめに切り分け、そのまま頬張った。もぐもぐと口を動かし、飲み込んだ瞬間、まるで天にでも祝福されたかのように目を閉じる。
「人生で……一番美味しいです」
私みたいに、彼女は食べて、食べて、食べて。ずっと美味しいと言い続ける。クローネは優雅にフィッシュのソテーを切りながら私に聞いた。
「なにあれ。どうしてあんたみたいになってんの?」
「もふもふもふ」
「あんたもかい」
私も結構魔力を消費していたから、口の中は食べ物でいっぱいだった。ごくりと飲み込んでから、大きく息を吐く。
「分かりやすく言えば、私と同じよ。短時間で大量の魔力を吐き出したせい。しかも今回は、私を介さず自分の龍の魔力を使ったでしょう?」
「……は? あんたなしでどうやって龍の魔力使うのよ。フランが重力魔法使うくらい矛盾してるわよ?」
「そこは私にも分からないのよ。でも、エリス自身に龍の魔力があるんじゃないかと思う材料はあった。だから試した。結果、本当に使えた。そしてこの空腹よ」
私自身のことも気になるけれど、エリスが自分の龍の魔力を持っていた理由も知りたい。あとでフランと『世界の本』について相談する必要があるわね。
「ふぅ……お腹いっぱいです……」
満足そうなエリスの顔を見ながら、私は次の心配事へ意識を向けてしまう。私は小さくため息を吐いた。今だけは置いておきましょう。せっかく第十席になったのだから。その余韻に浸りたいもの。




