酔い
そっと見上げると、エリスが遠い目をしながらガクガクと全身を震わせている。大きく口を開けながら息を吸うたび、その震えは強くなっていく。私は舌を絡めず、震える彼女の唇にそっとキスをした。
太ももを伝う雫の感覚が、私から理性を奪おうとしていた。こんな場所でこれ以上熱くなるわけにはいかない。もっと――と、ねだる彼女に我慢してとつぶやく。昔とまるで逆。私が制止させる側になるなんてね。
「少し飲みすぎよエリス。足元もこんなに濡らして、気をつけなさい」
彼女はぽわぽわしているようで、目を閉じて壁に寄りかかっている。影で私たちを包み、足元を掃除してから、影の中からコップを取り出した。魔法で水を満たし、その縁をエリスの唇に当てる。
エリスが顎を上げて口を開く。私は少しずつ水を注いだ。ごくっ、ごくっと音を立てて一生懸命飲む姿がかわいい。口の端から流れた水を、私は親指でそっと拭き取った。
その後、クローネと合流。ポワポワしているエリスを見て、頭を抱えていた。
「あんた……飲みすぎたの?」
ふにゃついているエリスの代わりに私が答える。
「そういうことよ。以前はアルバートのこともあったから酔いにまではいかなかったのね。今日は楽しくなっちゃったみたい」
「へー。弱いなんて知らなかった」
クローネが近づこうとすると、私は忠告した。
「いいの? エリスは酔ったら積極的みたいよ?」
私はペロッと小さく舌を出した。それだけで、何があったのか察した様子のクローネが目を細める。
「いやいや、さすがにあんたじゃあるまいし。エリスならそのくらいの節度は持つでしょ」
そう言って、クローネがためらいなくエリスに近づいた。次の瞬間、私に寄りかかっていたエリスの舌が、クローネの唇の奥へと入り込む。一瞬の出来事に、クローネは呆気にとられ、自分の唇を指先で触れた。
「はっ……? え?」
「そういえば、あなた達同士のキスって初めてなんじゃないかしら?」
クローネは両頬に指先を重ね、顔をエリスとは比べ物にならないくらい赤くしていく。少し妬けてしまうわ。彼女は切り替えるように指先をエリスへと向ける。
「あっ、あんたねっ! 酔ってるからってなんでもかんでもしていいわけじゃないんだからねっ!? そうやっていろんな人にキスするなんて――」
エリスが腕を伸ばして、クローネの手を握る。突然のことに、クローネの指先がぴくりと震えた。
「私がキスをするのは大好きな人たちだけですっ……私は――」
そこまで言ったところで、エリスはカクンッと頭を垂れ下げた。そのまま寝息を立て始める。私は指先で口元を隠しながら、クスクスと笑っていた。
「手玉に取られていたわね」
「うっ、うっさいわね」
「あんたが……いろいろとハードル下げたからでしょ……責任くらい感じなさいよ」
しおらしくなっちゃって。よほど恥ずかしかったのか、クローネは顔を見られないように背中を向けている。でも、そっちは窓よ? 下を向いて照れているせいで、気づいていないのね。見なかったことにしてあげるわ。その嬉しそうな顔。
そして私はクローネに対して背を向ける。見上げた先にいる仮面の王女に問いかけるように小さくつぶやいた。ねぇフラン。あなたはどんな気持ちで、私たちを見ているのかしら。寮に戻ったら、いろいろと聞かせてもらうわ。
――王族の夜会は、少しずつ熱気が引いていく。私たちも会場を後にして馬車へ乗り込み、腕の中で寝息を立てるエリスを大事に抱えながら、窓の外を眺めた。
「クローネ。フランの状況には気づいたかしら?」
「気づいてたわよ。でも、どうすることもできないし」
「その様子だと……フランがあの状態になった原因は知らないみたいね」
「うん。まさかフランがあんなふうに拘束されているなんて思わなかった。他に気づいた人たちがいるかは分からないけど、どんな理由があってあんな目にあったのか……私は正直、許せない」
「それは私も同じよ」
エリスの寝息と、静かな街を進む蹄の音、車輪の音が眠気を誘う。普段とは違う服装で落ち着かないはずなのに、私は少しだけ目を閉じた。
「起こしてあげるから、寝てていいわよ」
クローネの優しい声が耳に届く。その声に甘えるように、私は力を抜いた。ほんの少しだけ眠ろう。そう思っていたのだけど、目を覚ますと、私とエリスはベッドの上にいた。
静かに体を起こすと、寝間着のクローネが本を読んでいた。
「……おはようクローネ。どれくらい私は寝ていたのかしら」
「一時間くらいじゃない?」
「結構眠ってしまったわね。数分のつもりだったのだけど。でもどうして起きずにベッドに……?」
「私が重力魔法で運んだのよ。ラディエにも手伝ってもらってね」
振り向くと、イスで休んでいたラディエが小さくお辞儀をする。ドレスのまま眠ってしまっていたのね。コルセットの紐はほどけている。おそらく寝やすいようにほどいてくれたのね。
ベッドから降りると、ラディエが私の背に手を回した。身を任せると、彼女はドレスを脱がせてくれる。私はそのままシャワー室へ向かい、すれ違いざまにラディエへありがとうとつぶやいた。それから、クローネにも声をかける。
「気遣いありがと。クローネ」
「面白い寝顔を邪魔したくなかっただけ」
その返事を聞きながら、シャワー室に足を踏み入れる。温かい水に包まれながらつぶやく。
「私が人混みで疲れていたのを、見抜かれてたのね。素直じゃないんだから。でもそれがクローネのかわいいところなのよね」




