少しだけ大人に
フランが退院し、私たちが寮へ戻ってきた翌日の早朝。まだ気温も上がらない頃、私は目を覚ました。エリスの寝息の横で、シーツにくるまり、目を閉じたまま思考を巡らせる。
私が廃人になったあと、回復してからすぐに学院祭が始まってしまった。各大陸の第零席達と会ってから混乱が続いて慌ただしかった。そのせいで、席順位を上げることが後回しになっていたわ。それどころじゃなかったもの。
今の私なら、すぐに百位以内のロードには入れるでしょうけど……油断は禁物。目標はあくまでスローネ。今の第零席が誰なのか分からないまま、ただ私の力だけでそこを目指すわけにはいかないわ。
それに私は、エリスにそこへ座るにふさわしい人になってほしい。私はあくまで下僕。主役はあの子であってほしいから。
順位を上げつつもエリスを第零席レベルにまで強くなって貰う方法……
「そう簡単に思いつくわけないわね。でもエリスならきっとその玉座に座るだけの人物になれる」
私は小さく呟きながら体を起こした。シーツが肌を優しく滑り落ちていく。気だるさの残る体を伸ばしながら部屋を見渡す。クローネもエリスもまだ寝てる。珍しい。でもフランがいない。また王族関連の呼び出しでも受けているのかしら?
窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえた。その声には聞き覚えがある。
「フラン?」
私は寮の裏庭へ出た。草むらに腰掛けたフランが、以前擬似的にテイムした小さな鳥を愛でている。私に気がつくと、フランは包帯だらけの手を下ろした。鳥は羽ばたき、一枚の羽根を落とす。
「おはよーイルナちゃん」
「おはよ。朝が気持ちいいわね。手の調子はどう?」
フランの隣に腰掛け、そう語りかける。澄んだ空気の中、フランは包帯だらけの手を優しく撫でながら眺めていた。私はその包帯の巻かれた手に視線を向けていた。
「うん、結構良くなってきたよ。繋がってきてるみたい」
「そう。なら良かったわ」
クローネのときのように、唾液で治そうかとも考えたけれど……それはしなかった。この空気を壊したくなかったから。
フランがそわそわしながら、チラチラと私を見る。
「どうしたの?」
「えっ、ううん。なんでもない」
どこか、フランは大人びた気がする。まだまだ子供っぽいけれど、ためらいがあった。以前なら、すぐに抱きついてくるような子だった。話を聞く限り、きっと寂しかったのでしょうね。私はフランの怪我していない方の手を優しく握った。
ただ子供っぽい子だと思っていた。けれど、その真実を知った今、私はフランを以前と同じ目では見られなかった。
「ねぇフラン」
「ん? どうしたの?」
「甘えてもいいのよ?」
「うっ……」
「本当は抱きつきたくてそわそわしていたのでしょう? ちょっと上半身が動いていたわ」
「うぅ……」
「それとも……もう恥ずかしいの? 王族としての態度を知られてしまったから。仮面の王族と同一人物だと知られてしまった今、子どもの自分を見せたくない?」
彼女はモジモジと膝をすり合わせ、何度か私の手を握り返す。
「ふふっ、なら私が甘えようかしら」
頭をそっとフランの肩に乗せる。コツンッ……と、フランの頭が優しく私の頭に触れた。
「フラン、気にしなくていいのよ。あなたがどんな態度でもあなたなんだから。私はあなたに抱きつかれるの好きよ」
フランの顔は見ていないけれど、十分。私の手を握る手が少しだけ強くなったから。エリスとクローネが起きるまで、そうやって静かな時間を過ごした。
――数時間後。私たちはアッシュクラスへ向かっていた。二年生になっても、廊下を行き交う顔ぶれは変わらない。私の耳に届くのは、やはりアフェイスの事件の噂ばかりだった。傀儡の貴族が関与していたんじゃないか。そんな話は聞こえてくるのに、王族が攫われた件については誰も口にしていなかった。
「……」
おそらく隠蔽でしょうね。事件の発端が、黒本を野放しにしていたことにもある。王国の信頼と信用の失墜を、少しでも抑えたいのでしょう。だから何が何でも隠したい。至高評議会からの処遇は、私たちも聞いていた。
次回以降この学院を学院祭の会場としては当分使わせない。信頼と信用の回復が担保されるまでは。
翌朝には、王族の封蝋がされた嫌な手紙まで置かれていた。中身は、内密にしてほしいことと、手伝ってくれてありがとうということだけ。けれど、真の意味は違う。分かりやすく言えば、話すな。そして公にしないために、一切の報酬も与えないということ。
別にフランを助けたかっただけだもの。どうでもいいわ。わざわざ口止めしてくるあたり、王国側も必死なのね。
アッシュクラスのドアを開けた瞬間、元気な声が響き渡る。
「イルナ様ァァァア!! ご無事で何よりですー!!」
教室に入ったはずの私は、ベールにそのまま廊下へ押し戻された。まるでフェードアウトするかのように。そしてすれ違いざまに見えたクローネのぽかーんとした表情が印象に残っている。壁に押し付けられながら、顔をスリスリされた。
「ベール、教室に入りたいのだけど……」




