不完全な世界
イルナちゃんが鋭い龍の瞳を、組織のボスへと向ける。放射されていた火炎が、先端から順に形を失い、爆散していく。
炎を失った組織のボスは、口を開けたまま大きな片足を、後ろへ下げた。
「私ね。龍の姿になるのは初めてなの。ずっと魔力が足りなかったから」
背筋がゾッとした。言葉を吐くだけで、心臓を掴まれたように萎縮してしまう。
「だから――手加減できなかったらごめんなさいね」
組織のボスが声を荒げる。
「龍よ!! 悔しくないのか……! 我らは人に押しのけられ、血を舐めさせられた! 突如として世界は人のものとなった。資源もない大陸へと詰め込まれた……!! お前達龍も同じだろう!」
下げていた足を前に出して熱弁する。その鈎爪を胸に当て、叫ぶ。
「ギガスも、龍も、本来は頂点に立つべき存在だ! 今こそ……その力をもって我々は、本来の立場を取り戻す時だ……! 違うか、龍よ!!」
イルナちゃんの言葉は冷たかった。
「どうでもいいわ」
「……は?」
理解できないという様子だった。口ぶりから、彼は十二の貴族との戦いの渦中にいたのかもしれない。あるいは家族か。鋭いキバをこすり合わせ、大きく手を振り払った。
「なぜだっ!! なぜ、そんな……!」
「知らないのよ。世界に何があったか体験していないもの。龍の仲間がいるわけでもない。同胞? 知らないわ。私の大切な人たちはみんな――ここにいるの。種ではなく、私の腕の中にいるのよ。だからお門違いよ。私は誰かに住処を奪われたわけではないわ。最初からないの。あるのは居場所だけ」
「……人間が憎くないのか。人外であれば、同じ境遇に置かれたことがあるはずだ」
――昔は、そうだったらしい。人でないものは……獣人も例外じゃなかった。
「そうね。憎いわ」
「ならなぜっ!」
「私が憎いと思っていた人たちは、もういないわ。それ以上にね、幸せをもらっちゃったのよ。教えてもらった。だから――私の天秤は人を愛することに傾いているのよ」
「……ドラゴニック・ラース!!」
魔力が回復したのか、組織のボスはその手を天に掲げた。あの赤黒い球体が、風圧を巻き起こしながら空を覆うほどに膨れ上がっていく。
「ふざけるなふざけるなふざけるなっ!! いなくなったからいいだと……!! 死んだからいいだと。我のこの心にはっ!! 苦痛が蠢いている!! この怒りはっ、復讐はっ、誰に向ければいいというのだッ!」
「知らないわよ」
イルナちゃんが片手を前へと突き出した。
「――ソラリス・ラース」
私は短い悲鳴を上げて、口元を隠した。巨大な白銀の剣が天から降り落ち、ドラゴニック・ラースを貫く。そのまま組織のボスの腕を串刺しにした。
「ガァァァアア!!」
ドラゴンの悲鳴が、全身を震わせるような振動となって響く。イルナちゃんは、その絶叫にも動じず冷静な声で告げた。
「おこがましいわよ、偽物。太陽を模すのなら――落とすわ」
苦悶の表情を浮かべながら、組織のボスは無理やり腕を引きちぎった。傷口は即座に再生したが、彼は肩で荒く息をしている。
「終わってたまるか……どれだけの長い年月を費やしてきたと思っている。もう少しだ。あと少しで……!」
「どれだけ、その模造品を集めても意味はないわ。あなたは――弱いもの」
組織のボスの動きが止まる。
「弱い……だと」
天高く佇むイルナちゃんを見上げながら、乾いた笑いを漏らした。
「ハッ……ハハッ……ハハハハ!」
両手を地面につけて、呟く。
「終わりか。我は何のために。意味もなく。我は――」
突然、組織のボスの背中から魔力が噴き出し、そのまま爆発した。
「ならば、せめて……復讐の対象を変えてやろう。裏切り者……そして、エルワースの血筋よ!」
その鈎爪を地面へと深く突き立てる。吹き出した魔力が口元へと集まり、血走った目が私を捉えた。私は思わず、つばをゴクリと飲み込んだ。
次の瞬間、赤黒い火炎砲が轟音を響かせながら、私たちの頭上を覆うほどの大きさで迫ってきた。イルナちゃんが呟いた。
「少し、試させてもらおうかしら」
まるで、時間が止まったみたいだった。世界が……とても白い。迫っていた火炎は、打ち消されたように消えている。
「禁忌階梯魔法――アルバ・フィーニス・ノヴァ」
何も……ない。土の感触も、その土さえも消えている。そこには私たちがいるだけで、音も何も――聞こえない。それが怖い。組織のボスは圧倒されたのか、ただ――見上げているだけだった。
そして、静かに俯いた。本当の終わりを察したかのように。
「あぁ――終わりか」
「――終焉よ」
まばゆい光の線が一瞬、組織のボスを貫いた。次の瞬間、目を開けていられないほどの光に襲われた。私は目を強く瞑り、動く方の手で目元を覆った。それでも瞼の裏は、白い光を映していた。
「ん……」
私はゆっくりと目を開ける。少しずつ、元の世界が見えてくる。パチパチと瞬きをしながら周囲を確認すると、指先に土の感触が戻っていた。指が土を擦る音もする。静かだけど、あの世界とは違う静けさだった。
組織のボスの方へと目を向ける。そこにあったのは、白く積み重なった灰燼だった。すぐそばで、イルナちゃんが立っている。
「イルナちゃ……」
イルナちゃんは、ぺたんっ……と地面に座り込む。
「さすがに疲れたわ。とても……疲れた。やっぱり難しいわね。私の禁忌階梯魔法は未完成だったわ。範囲も、効力も、終わり方も……まだ足りないわね。禁忌階梯とは呼べても、こんなの真似事かしらね」
私はイルナちゃんに近づいた。
「ありがと……イルナちゃん」
私の胸に、イルナちゃんの頭を乗せる。
「……柔らかい」
頬が熱くなる。
私は、灰燼に目を向けた。小さな声で、ごめんなさいと謝った。どうしてそう言ってしまったのか、私には分からなかった。
「あっ……イルナちゃん。傀儡の貴族が……どうしよ。えっと、えっとね。黒幕で、あっ、組織のボスも黒幕だけど、それでっ」
いろいろ言わなきゃいけないことはあった。どうしてこんなことになったのか。でも頭が混乱してる。
優しいイルナちゃんの声が、その混乱を止めてくれた。
「……大丈夫よ。少し休んだら行くわ」
「でもっ……イルナちゃん、すごく疲れてるし、私も魔力あげられる量が……」
「大丈夫。私は見るだけだから」
「え?」
「適任がいるの。組織の方も大丈夫よ。ガルバス達が向かっているから」
イルナちゃんは太陽を見ながら呟く。
「お腹空いたわ」
私はおかしくなって、笑ってしまった。
「あはっ、あははっ! イルナちゃん、こんな時にごはん食べたくなっちゃったの?」
私はイルナちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「終わったら……いっぱいたべよーね」




