隠されたもの
いち早く動いたのはユーリだった。「退避しろ」と短く吐き捨て、彼はベンへ向けて純白の剣を振るう。
「グルルルル……」
純白の刃がベンの掌へ食い込む。だが、血が流れたのは一瞬だった。裂けた肉が刃を包むように塞がり、純白の剣をその場へ縫い止める。
ベンは剣ごとユーリを持ち上げ、観客席とは反対側の壁へ叩きつけた。直後、凄まじい衝撃波が観客席を蹂躙し、石材が砕け飛んで宙を舞った。
第一決闘場の青く輝いていた魔法術式がパキッという音を立てて破壊される。隠されていた赤黒い魔法術式が会場を包みこんでいた。
事態を理解できず呆然とする観客に向け、司会が悲鳴混じりの避難指示を飛ばす。その隣には、いつの間にかフィアナが立ち、冷徹な瞳で戦況を見据えていた。
「オオオオオン!!」
ベンの狂気的な遠吠えがこだまする。我先にと逃げ惑う人々で場内はパニックに陥り、警備兵も統制を失っていた。
人波のあちこちで赤黒い魔法陣が火花を散らす。現れた無機質なオートマトンが、逃げ遅れた観客へと容赦なく刃を振り下ろした。
同じ混乱は、決闘場の外からも聞こえてきた。
ベンの暴走。それと同時に、学院内の至る所へ無機質なオートマトンが現れている。ユーリの目が、私を捉えた。
「こっちは手一杯。頼むよ」
……仕方ないわね。私は影からマスケット銃を取り出した。エリスと契約し、吸血をした私にとってこのくらいであれば第五階梯で充分。
――第五階梯魔法術式 ノクト・ザ・アドミニストレータ。
引き金を引いた一瞬、決闘場の床を漆黒の影が飲み込む。間髪入れずに私は追撃の引き金を絞った。
『第五階梯魔法術式――グレイシャル・ドミニオン』
極寒の嵐が吹き荒れ、観客席を埋め尽くしていたオートマトンたちが、次々と氷像へと変貌していく。
「エリス、クローネ。避難を優先。外のオートマトンもお願い」
全員がうなずき、一斉に動き始める。他にも対処を始めた人たちはいるみたい。第七席のような強者も混ざってる。内外ともに対応できる戦力は揃っている。少なくとも、オートマトンだけなら押さえ込めそうね。
後はベンの暴走をどうにかするだけ……そう思っていたときだった。
ピタッ……とクローネが足を止めた。何かを探るように貴賓席を見上げ、息を呑む。
「フラン……?」
私は眉を動かした。
「どうして今フランの名前を呼んだの?」
クローネの視線の先。あの仮面の少女がいた場所。
二本の剣が、少女を守るはずだった警備兵の体を壁ごと突き抜いている。鎧の隙間から溢れた鮮血がじわりと広がり、赤い絨毯をより濃く染めていた。対照的に、他の貴賓席や国王の周囲は警備兵に守られ、平静を保っている。
――心臓が凍りつくような悪寒に、身体が強張る。思考が激流となって駆け巡った。クローネの言葉、仮面の少女とフランが同時に存在しない違和感。そして、仮面の下に隠されていた、あの子の正体。
私は血眼になって貴賓席へ駆けた。フィアナも、ほぼ同時に串刺しにされた警備兵の前へ降り立つ。仮面だけが落ちている。
「かはっ……」
警備兵の一人が生きている。私は叫んだ。
「フラ……王女はどこっ!!」
警備兵は意識を保ちながら呟いた。
「さら……われた。混乱に紛れて……大柄な男が、一人……」
私は奥歯を噛み締め、警備兵をかき分けて国王へ詰め寄ろうとした。だが、フィアナの細い腕が私の肩を掴んで阻む。私は彼女を射抜くように睨みつけた。
「離しなさい。もっと警備兵をちゃんと配置していれば間に合ったかもしれないのよ!」
「……分かっている。しかし言葉は届かない」
私を掴むフィアナの手は、微かに震えていた。指先が肩へ食い込むほど、強く。
その間にも、国王たちは警護兵に囲まれて貴賓席を離れていく。
フィアナは責務を果たすと言った。確かにもう闇雲に探す以外の選択肢がない。私の影の盤上ではもう、フランの気配がない。外にはガルバスやエリス達がオートマトンの対処をしているはず。
ベンの暴走を止めるのが最優先。分かっている。分かってはいるけれど……!
私の噛み締めた唇から血の味がする。
フィアナは第一決闘場の中心へと戻った。暴走したベンとユーリが激しい攻防を繰り広げていた。あれだけ脆かった青い魔法術式とは異なり、赤黒い魔法陣は一向にヒビ割れすら起こらない。所詮はカモフラージュでしかなかったわけだ。
ヴィーはベンの攻撃を避けながら叫ぶ。
「ベン!! 正気にもどれ! こんな魔法術式程度に自我を失うなんて」
ヴィーのいた場所に大きなクレーター状の穴が発生する。ベンは唸り声だけを上げていた。
ユーリが一言呟いた。
「彼を殺す」
ヴィーの顔から、さっと血の気が引いた。ユーリの胸元のシャツを強く掴み、引き寄せる。
「ふざけんなっ!! 待ってくれ……お願いだよ」
「君にはできないだろうけど、僕にはできる」
ヴィーがユーリを蹴り飛ばす。そしてベンに背を向けて両手を広げた。まるで守るかのように。だが無慈悲にも数え切れないほどのフィアナの魔法陣がベンを取り囲む。
炎が毛皮を焼き、氷槍が巨体を貫き、雷が肉を抉る。腕が千切れ、脇腹に大穴が開いた。それでもベンは止まらない。黒い魔力が傷口を覆い、失われた肉体を瞬く間に作り直している。
魔法を浴び、再生を繰り返すたびにベンを覆う黒い魔力が濃くなっていく。止めるための攻撃が、逆にあの獣を育てているように見えた。
ベンは背中を向けたヴィーを見下ろし、容赦なく拳を振り下ろした。
直撃する寸前、ユーリがヴィーを抱えて跳ぶ。拳が石床へ突き刺さり、決闘場の半分が大きく跳ね上がった。砕けた岩盤が二人の背中を追うように宙を舞う。
「離せユーリ! 余計なことするなッ!」
「君がベンに押しつぶされる未来なんてみたくないからね」
「あたしは……ベンのいない未来なんて、嫌だ」
荒れ果てた決闘場で、フィアナが静かに白い手袋を締め直し、ベンへと向けた。その瞳に慈悲はなく、無情な宣告を放つ。
「私が禁忌階梯魔法を使う。各自退避せよ」




