妖精の聖典
妖精の旋律に包まれる中、ヴィーが叫ぶ。
「お前本気か?! こんな場所で禁忌階梯魔法なんぞ」
ユーリは微笑み返すだけだった。
世界が一瞬、暗転する。
次に目を開いたとき、第一決闘場はそこにあった。観客席も、王族の座る貴賓席も変わらない。
ただ、頭上には見知らぬ空が広がり、ひび割れた石床の隙間という隙間から、色とりどりの花が咲いていた。あの赤い蝶が空を彩っている。
――ヴィーがため息をつきながらユーリに言った。
「手加減はするんだろうな」
「もちろん。会場を壊すわけにはいかないからね」
ピクッとヴィーが指先を動かした瞬間、空間が歪むほどの斬撃が空を切った。地面が深々と抉れ、まるで巨大な刃が通り過ぎたかのような爪痕が残る。ユーリは微笑むだけで、指一本動かしていない。
ヴィーはちらりとベンへ視線を送り、まだ動くなと手で制した。
「……まだだベン。こいつの禁忌階梯魔法は厄介だからな」
空中に残っていたフィアナの魔法陣が、一つ、また一つと消えていく。壊された音すらしない。初めから、そこに存在してはいけなかったかのように。
ユーリが微笑みながら純白の剣を構える。
「『妖精が剣聖を称えて紡ぐ聖典』その上では、武の理以外は存在を許されない。それが僕の禁忌階梯魔法――アトラス・カノン」
「……知っとるわ。長々と。いかなる魔法も不純物とみなす。つまり剣聖のお前と近接戦闘を強いられるクソ空間だろうが」
「伝えたい相手がいてね。禁忌階梯魔法とは世界の創造だよ」
ヴィーが深く息を吸い込み、鋭く指を鳴らす。それを合図に、ベンが白く濁った息を吐き出し地を蹴った。同時に視界がブレるほどの加速で二人が踏み出す。転移を疑うほどの速度で、ヴィーの長い袖が翻り、ユーリの目前へと迫った。
ドォンッ、と鼓膜を震わせる音が響き、衝撃波が足元の花畑を薙ぎ払う。ユーリは一歩も引かず、その剣でヴィーの拳を受け止めていた。ヴィーは唇を噛み、さらに強く拳を押し込む。
「受け止められる未来が見えたか剣聖」
高く飛び上がっていたベンが両腕を引いてユーリを捉える。全身が震えるような唸り声。その全身を幾千の斬撃で刻まれながら両拳を叩き込んだ。剣聖ユーリは彼らの背後でマントを翻した。
「ふー……さすがは破滅の獣。少し先の未来が見えていても簡単じゃないね」
「ハッ。本気でやれば斬れるだろうに、会場への配慮は大変だなぁ?」
ユーリが何気なく手を差し出すと、まるで吸い込まれるようにメリーの蹴りがその掌に収まった。風圧で周囲の花々が激しく波打つ。
「君が来るんだね。いつもフィアナの傍らに控えていた君が、これほど動けるとは驚きだよ」
「……私も亜人なので」
体を回転させ、掴まれた手から逃れ、その蹴りをユーリの顔面に叩き込もうとしたときだった。フィアナが王族のマントを翻しメリーを抱きかかえて数メートル先に退避していた。地面には一つの地割れが増えていた。もしそのまま蹴りを入れていたら足が無くなっていただろう。
クスクスとユーリは剣を鞘におさめていく。
――ゾクッ。
彼の目が私を見ていた。まるで、よく見ておくんだよとでも言うかのように。
「終幕」
妖精の歌声が耳をつんざくほどに高まり、身体が浮き上がるような強烈な魔力が場を支配する。
ヴィーの袖の先が淡い光へと変わっていく。燃えているのではない。ほどけた光の向こうに、細い斬撃が走っている。
花も、地面も、観客席も、赤い蝶も――世界のすべてに、数え切れないほどの線が刻まれ始めていた。
ふと目を落とすと、私の手の甲にも細い線が走っていた。
ヴィーとフィアナの表情から余裕が消え、二人同時に声を張り上げた。
「――禁忌階梯魔法!」
ユーリが一言告げる。
「君たちの禁忌階梯魔法は破壊をしてしまうんじゃない?」
二人の動揺の瞬間を逃さず、ユーリがパンッ、と楽しげに手を叩いた。乾いた音が響くと同時に、隔絶されていた世界が砂のように崩れ落ちる。斬り刻まれたはずのものは、なんの影響も受けていなかった。
……もし、あのまま終幕までたどり着いていたら?
見慣れた空が戻ってきても、会場から歓声は上がらなかった。私の手のひらには、いつの間にか冷たい汗が滲んでいた。
一気に体の力が抜ける。ユーリはニコニコしたままだったが、ヴィーがブチギレる。体を回転させながらユーリに蹴りかかった。
「このクソバカがぁ!!」
彼女の本気の蹴りを受けた彼は会場端の壁に激突する。
「いってて……いやこれは諸事情あって」
「何がっ! 諸事情だっ! 私たちの禁忌階梯魔法は破壊するからだめだぁ? お前も終幕させたら同じだろうがっ!!」
「いやいやっ、君たちのは発動した時点であぶな――」
ユーリの顔を王族の剣がかすめていた。王族の剣は壁に突き刺さり、パラパラと壁を崩壊させていた。そのオッドアイは本気で殺意を持っている。
「死ぬか、あるいは死ぬか」
「え……それ選択肢?」
突然茶番になった戦いを見て、私は肩の力を抜いた。背もたれに身を預けて空を見上げる。
――禁忌階梯魔法。隔絶された世界の創造。禁忌とは何か。禁忌の書はギガスという生命体を作り出した。つまりは、神の真似事。破壊力や魔力量による通常の階梯魔法とは違う括りということかしら。
チラッと決闘場を見ると、命令がないからか、ベンは大人しくしている。一方、メリーは腰を抜かしてペタリと座り込んでいた。分かりやすく耳と尻尾が垂れている。
ユーリは必死に逃げ回っていた。ヴィーとフィアナに殺意のこもった攻撃をされている。もうこの祭典も終わりかしらね。あとは学院にある出し物を楽しんで……
隣のマーカスだけが、逃げ回るユーリを見ていなかった。
「……誰じゃ、この決闘場の魔法術式を作り出したのは」
その視線は会場に張り巡らされた魔法術式へと向いていた。
私にはただの結界型の現代魔法術式にしか見えない。そう思ったと同時に、マーカスの言っている意味を理解した。隠されたもう一つの――魔法術式!
ベンの深い唸り声が会場に響き渡る。黒い魔力を放出させ、その眉間にシワを寄せる。




