幕開け
クローネの手に引かれて、私たちは第一決闘場の中へと足を踏み入れた。あの日、禁忌の書が発動した第一決闘場。フィアナやギガスの攻撃による損壊がまるでなかったかのように修復されている。むしろ、増築されている。
あの事件を受け、決闘場は以前より大きく、頑丈に造り直されていた。観客席まで覆う多重魔法術式に、祭典のために追加された上層席。
「あそこは……王族が来る場所かしらね」
そして上空には、決闘場の様子を映し出す投射型魔法具まで浮かんでいた。優れものではあるけれど、相当な魔力を必要とする。
資産が相当あるのね。それにしてもそれだけの魔力を一体どこから引いているのかしら。
「観客席は人でごった返しているわね。席あるかしら?」
私たちは空席を探して歩き回る。会場は人間大陸、亜人大陸、魔族大陸、一般客の席に大きく分けられているみたいね。厳密ではないようだけど。
魔族大陸の席の生徒は黒い制服が大半。ユーリは特別なのかしら。亜人大陸の生徒は少しオレンジがかった制服ね。その特性ゆえか、尻尾や体格に合わせたデザインがされていて面白い。
前の席の方から大声でエリスを呼ぶ声が聞こえた。
「姉さん!!」
アルバートの声。私は少し警戒する。クローネの私を掴む手も強くなっていた。エリスが私たちに言った。
「大丈夫ですよ。痛い目を見たせいか、態度は改めるようになりましたから」
私は釈然としない。正直、エリスが踏みつけられて未だに苛ついているのだから。
呼ばれた先では、アルバートたちが最前列に陣取っていた。クローネが鋭い視線を突き刺す。私も彼から警戒を解かず、目を細めて睨み返した。
「あなた……どの面を下げて私の前に現れられるのかしら」
「……そう言われるのも当然だ」
今すぐここで恥をかかせてやりたいけれど……
そう思った瞬間だった。彼は私たちの前で、深く、音もなくひざまずいた。
――え?
思考が停止し、瞼が大きく見開かれる。貴族の手本と謳われたアルバートが、この大勢の観衆の前で土を這うような真似をするなんて。彼自身、それがどれほどの屈辱か、この場に何者たちが集まっているか、百も承知のはずなのに。
周囲の人々がざわつき始める。
「おい……あれ、炎の貴族の跡取りだろ……? 膝ついてるぞ」
「相手誰だ? エリス嬢と……クローネ嬢ともう一人は?」
「でもエリス嬢は落ちこぼれとして……」
私もクローネも息を呑んだ。ずっと十二の貴族として生きてきた彼にとって、これ以上ない屈辱のはず。彼は頭を下げたまま口を開いた。
「僕は炎の貴族、ヴォルド家次期当主――アルバート・エンバー・ヴォルド。僕の姉、エリス・エンバー・ヴォルド、及びイルナ・ドラクシス、クローネ・グラス・グラヴィエに対し、数々の非礼を行ったこと、ここに謝罪する」
周囲のざわめきが波紋のように広がる。彼は言い訳一つ口にせず、ただ謝罪を繰り返した。その手は、隠しようもなく小刻みに震えている。
「あなた……それが自分の家名に傷をつけるとわかっているの?」
「……はい」
彼は迷いなく答えた。
私は目を閉じ、小さく息を吐き出す。
分かったわ――私がそう告げて謝罪を受け入れると、クローネも戸惑いながら同様に言葉を紡いだ。クローネの方が、きっと彼の覚悟を理解できているでしょうね。同じ十二の貴族の次期当主として。
ここでさらに恥を植え付けるなんてこと出来るわけがないじゃない。
彼は俯いたまま、自分の仲間の三人に席を立つように言った。
「あなた……まさか、席を確保していたの? 私たちのために?」
彼は静かに頷いた。
「もう一人いたはずですが……空いてしまいましたね」
フランのことね。そういえば彼は、彼女とはほとんど面識がないんだった。王族の夜会にもいなかったし、接点といえるのは決闘場でギガスと対峙した時くらいだもの。
私の背後から聞き覚えのある声がする。
「ならその席、わしがもらってよいか?」
マーカスが階段を降りながらそう話しかけてくる。私はアルバートに視線を向ける。彼は構いませんと頷いた。アルバートと、その仲間たちは階段を上がっていく。
観客たちの視線が去りゆく彼らを追う中、私たちは席に着いた。言葉は生まれない。救いようがないと思っていた相手が、あそこまで変わるとなんだか落ち着かない。
少ししてから、私は隣に座っていたマーカスに話しかける。
「気を使って静かにしてくれてありがとう。あなたは第零席の祭典自体には興味なんてないと思っていたわ」
マーカスは落ち着いた様子で口角を上げる。
「わしだって、熱き戦いを見るのは娯楽になる。しかし目的はお前さんじゃ」
「黒本について分かったの?」
「そうじゃ。とはいえ、その仕組みについてのみじゃがな」
「聞かせてもらえる?」
マーカスは黒本を厚い手袋で取り出した。魔法術式の一部だけを表示させる。
「ほれ。今浮かび上がったのがメインの魔法術式じゃ。しかしな……」
パラパラとめくりあげ、再び魔法術式を展開する。青い魔法術式の下に、赤黒く輝く別の術式が展開される。私は首をかしげる。
「これは……?」
「一つの現代魔法術式は、一つの働きしか持たん。そこは常識通りじゃ。じゃが、この黒本には術式そのものが二つ刻まれておる。表からは見えぬよう、もう一つを隠しておる。巧妙な隠し方じゃが、少し気がかりがあってなn」
彼が言い淀むようにその魔法術式を眺める。
「どうかしたの? そのもう片方はギガスとは違うのかしら」
「うむ。それが問題じゃな。この隠された現代魔法術式――見覚えがあるんじゃよ」
マーカスは重苦しく息を吐き出し、言葉を継ぐ。
「……第七席のものと驚くほど酷似しておる」
――私が問い返そうとした、その時だった。
会場が一斉にどよめき、歓声が渦巻く。王族の座る貴賓席に、国王をはじめとした王族たちが姿を現したのだ。
祭典の始まり。そして、あの仮面の少女も、王族の背後にその姿を見せていた。




