芝生の公園と強者
紅い蝶が私を追い越していく。木々に囲まれた芝生の広場の奥で、多くの赤い蝶が一人の青年の周囲で舞っていた。
広場を独占、というわけではないようね。赤い蝶の舞う隙間から、白い制服と腰に差した純白の剣が見える。とても爽やかそうな青年は、赤い蝶を指先に止まらせながら微笑むように眺めていた。白く染まった髪が太陽を反射して煌めいている。
私に気づいたのか、軽く会釈する。蝶はそれでも逃げる様子がない。彼はとても穏やかな声で私に囁いた。
「……いいところだね。とても静かだ」
「そうね。あなたも人混みに疲れたのかしら?」
「そうだね。元々人の多いところは好きじゃないから」
穏やか、という言葉がよく似合う人だった。私は少し離れたところで腰を下ろした。
「私も人が多いところは苦手よ」
元々……人々は敵だったんだから。大勢は少し気が滅入るわ。
「僕はユーリ・レイ・フィール・グラウィス。気が合うね。君はここの学生?」
「そうよ。というか制服で分かるでしょう?」
「あははっ。そうだね。じゃあこんなのはどうかな。君は――魔族?」
思考が白く染まり、心臓が跳ね上がる。彼からは一切の魔力を感じない。ただの人間だと油断していたのに、なぜこれほど容易く見抜けるのか。アンナの首飾りをつけた私が、どうして魔族だと断言できるのかしら。
「どうかしら?」
「ごめんごめん。警戒させるつもりじゃなかったんだよ。僕の周りは魔族が多いし、この子達が君を魔族だと教えてくれてね」
彼は優しく蝶に視線を落とす。あの群れを指しているの? 小さな蝶と意志を通わせる光景に、私はしばらく言葉を失った。
「蝶と会話出来るなんて、不思議な人ね」
「僕は普段、魔族大陸のアビスフィアにいるのだけど、他の魔族にもお前は変なやつだってよく言われるよ」
「わざわざそんな遠くからこの学院祭に来たのね。もの好きかしら」
「ん? あぁ僕は……」
彼が口を開きかけた、その時。ふわりと舞っていた赤い蝶たちが、一斉に散り散りに羽ばたいた。彼は言葉を飲み込み、優雅な動作でゆっくりと背後へ身を引く。
――衝撃音が広場を揺らした。地面に亀裂が走り、周囲の木々が悲鳴を上げるように枝葉を震わせる。彼が座っていた場所は、土煙を上げるクレーターと化していた。
砂埃が晴れ、その中から現れた小さな獣人娘。ギザギザした歯を見せるように大きく口角を上げ、ユーリを睨みつけている。赤い髪に馴染む狼の耳が何かを探すように動いている。
「よぉユーリ。去年ぶりだな」
ユーリは砂埃を払いながら優しく微笑みかける。
「久しぶりだねヴィー。毎回拳で挨拶に来るのやめてくれない?」
「どうせ避けるくせに」
「答えになってないけど……」
ヴィーと呼ばれた獣人娘が私に気づいた。
「なんだ、他に人がいたのか。悪かったなうるさくして」
……わりと常識はあるのね。
「気にしてないわ。できれば静かにしてくれると嬉しいのだけど」
頭上から轟音が落ち、空が巨大な影に塞がれた。見上げれば、二足歩行の巨大な狼が着地し、その圧倒的な影が私を飲み込む。肺の空気が押し出されるような圧迫感。私の体など、片手で容易く握りつぶされてしまいそうな質量がそこにあった。
静けさを求めてここに来たのだけど、当てが外れたわね。ヴィーが小さく「すまん」と謝る。巨大な狼は、彼女を守るように隣へ腰を下ろした。
全く……揃いも揃って強者ばかり。私はあきれたように言った。
「あなたたちが、亜人大陸の第零席ね。他大陸の第零席は現役だと聞いていたから。つまり私と同じ二年生。口ぶりからするに、ユーリもそうなのかしら? 彼からは全く強者のオーラを感じないのだけど」
ユーリが軽く手を振って、そうだよと呟いた。つまり、私たちの学校の元第零席のフィアナが戦う相手ということね。
ヴィーがごろんっと、ひび割れた芝生に寝転ぶ。
「あたしはヴィー。んでこっちのペアがベンって言って分家。あたしが本家。ベンは喋れないからあたしが代わりにってことで」
ベンは体を小さく折りたたみ、ヴィーを囲うように眠りについた。二人とも即座にぐっすりと寝息をたてている。
ユーリが私の近くで腰を下ろした。
「あの二人は悪い人ではないよ」
「……空から地面を破壊するような登場をするのが、悪くないとでも言うのかしら」
「まぁまぁ……君に迷惑をかけるつもりはなかったはずだから」
「そういうことにしておいてあげるわ。それにしてもあなた不思議ね。魔族大陸で第零席なのに、人間でしょう?」
「少しだけ違うのも入っているけど人間だよ。妖精の血が少しね」
「妖精? そんなのいたかしら?」
「彼らは閉じ込められた世界にいるからね。十二の貴族が世界を統一するとき、当然敵対する勢力は大勢いたんだよ。そのうちの一つが閉じ込められた世界にいる妖精。
妖精は十二の貴族に逆らった。けれどね。剣聖の貴族と、ある一人の妖精は恋に落ちてしまった。本来は処刑だったけど、剣聖の貴族が庇ったんだよ。だから人間の大陸や、亜人の大陸にはいられなくなった。処刑の代わりに追い出したってわけさ」
閉じ込められた世界……龍やギガスが自発的なのとは違って、閉じ込められた者たちがいるのね。妖精以外にもいるのかしら。囚われた存在が……
ユーリは少し困った顔をする。
「でも、魔族大陸で人間ってのは大変だよ。今でも人に対して恨みつらみを持つ魔族は多いからね。まぁ誰も僕には勝てないから、喧嘩を売られることはないけどね。あははっ」
「ふーん。あなたと私の学院の元第零席、どちらが強いのかしら?」
「僕。って言いたいけど本気でやり合ったことないから分からないなぁ」
どこか他人事のような彼の物言いに、私は興味を隠さず、核心へと踏み込む問いを投げた。
「ねぇあなた……禁忌階梯魔法は使えるのかしら? 少し興味があるのよ」
「――使えるよ。見せようか?」




