学院祭当日
鳥のさえずりだけが響く静かな朝、というのがいつもの日常だったけれど、今日は少し違う。遠く離れた寮まで学院祭の賑わいが届いており、窓の外からは祭事特有の浮き立つような空気が流れ込んでいる。
外が騒がしいのはたぶん、準備に忙しい子たちのせいでしょうね。私は少し重たい体を持ち上げる。フランとクローネがいないわね。エリスが鏡を見ながら髪を整えている。
「あら? 随分と鏡を気にするのね」
「えっ……あっ、おはようございますっ。身だしなみを整えておきたいですから」
「? 普段から整ってるじゃない」
エリスは頬を赤らめ、一歩だけ後ずさった。胸元で両手を組み、小さく唇をつぐむ。
「きょっ……今日は各大陸から大勢の人が来ます。ですから、他の十二の貴族も来るんです。例えば、他大陸の第零席も十二の貴族なんですよ」
「ふーん。他大陸の第零席まで十二の貴族なのね。あの一族は、どうして揃いも揃って強いのかしら」
エリスの説明を聞きながら私はパジャマを脱ぎ捨てる。素肌に白いシャツをまとわせ、ボタンを一つ一つ止めていく。
スカートに足を通し、胸元の黒いリボンを襟に通した。エリスが近づいてきて、私のリボンをいつものように直しながら灰色のブローチをつける。本当ならここでキスでもしたいところだけれど……
やめておきましょ。せっかく整えていたのだから。
エリスが、にこっと笑う。
「はいっ、できましたっ!」
二人で寮の部屋を出て、手を繋いで廊下へと足を進める。すれ違う生徒たちの喧騒をよそに、彼女はほどけてしまいそうなほど優しく私の手を握る。私は、その温もりを確かめるように少しだけ強めに握り返した。
「イルナさん。十二の貴族については、正直なところ謎が多いんです。世界を一つにまとめた存在だとは知られていますが、その力がどこから来たのかは……。それぞれのルーツが、さらに古い神話時代に遡るとは言われていますが」
「ふーん。ということは、神話時代に力をつけた人間が結託して世界を統一したわけね」
「推測ですけどね。他の貴族などに歴史を尋ねたりすれば何か分かるかもしれませんが……例えば炎の貴族は神話時代、太陽の龍の眷属だったそうです。そして炎の力を授かったとか。伝わってきたものなので、正しいかはわかりません」
「龍……」
二大最強種。神話の後、空の国にいるとされている存在。黒本によって現れたギガスは世界の端で眠っていると言われているけれど……
「イルナさん?」
「なんでもないわ」
――私の親は一体どこの誰なのかしらね。どうして龍と吸血鬼の……。けれど、今更気にしても仕方ない。ずっと答えは見つからず、あきらめていたことなのだから。
気がつけば、会場はすぐそこだった。学院への入口では警備兵たちが厳重に荷物チェックを行っており、続く道には許可を得た出店がずらりと並んでいる。
警備兵は至る所で目に入る。明らかに違う制服の子たちも大勢いる。他大陸の子かしら?
人が多くて目が回りそうになる。
「随分つかれた顔してるじゃねぇか大食いの嬢ちゃん」
直射日光がふっと途切れた。見上げれば、ガルバスの巨体が私の頭上に影を落としている。
「あら、あなたも来ていたの? ギルドの仕事は良いのかしら?」
「ははっ! 何もギルドの仕事ってのは冒険して魔物を倒すことだけってわけじゃないのさ」
「ということはお仕事で来てるのかしら?」
「おうよ! 学院からの依頼で来たんだが……本当に必要かってくらい警備が厳重なんだよな。今までの学院祭で呼ばれたこたぁねぇんだが」
彼は氷の入った木の小樽を、無造作に私へ手渡した。
「これは?」
「どうにも元気のないツラをしてるからな。ギルドの酒場に来ても、全然食わねぇし。嬢ちゃんが何ヶ月も顔を見せない間、みんな心配してたんだぜ? エリスの嬢ちゃんから意識が戻らないって聞いたときには、冒険者の連中がどれだけ落ち着きをなくしたことか」
ガルバスのギルド仲間が目を細める。
「ガルバスさん……あたかも自分は落ち着いていた。みたいに言ってますが一番ソワソワしてたのガルバスさんですよね。立ったり座ったり、貧乏ゆすりしたり。魔力を流してるせいで何個イス壊しました?」
「なっ! おい、そういうのはっ……!」
「見栄をはらないでください」
慌てふためく彼を見ながら、私はもらったジュースを口に含んだ。甘くて、冷たい。ずっと独りでいることを選んできたはずなのに、こんな些細な気遣いに胸が温かくなってしまう。
「ガルバス」
仲間の口を塞ごうと慌てて手を伸ばす彼に、私は話しかけた。
「ありがとう」
心なしか、以前よりも自然に笑えているような気がした。
彼は口角を上げ、まるで娘の頭でも撫でるかのように手をおいた。
「あんまり心配をかけるなよ。嬢ちゃんを心配している人は大勢いるんだ」
私も同じように微笑みながら見上げた。
「えぇ。気をつけるわ」
その直後、学院の正門側から大きな歓声が上がった。他大陸の生徒たちが到着したらしく、人の波が一斉にそちらへ流れていく。
「……少し休みましょ」
私が背を向けたところで、何人かがエリスに声をかけた。貴族同士の挨拶ね。彼女が心配そうに私を見ていた。
「行ってきたら? 炎の貴族として、無下にはできないでしょう? 私は一人で休んでくるわ」
人混みの声が遠ざかっていく。人気のない芝生の広場へと足を踏み入れる。
広場の奥で――赤い蝶が舞っていた。




