遭遇
数日後、私は教室の中、一人で掃除するエリスの影でプカプカと浮かんでいた。影から騒がしい教室の様子を眺める。学院祭のために生徒たちまで駆り出され、会場の整備や装飾、魔法設備の点検などを割り当てられていた。
「イルナさん……手伝ってくださいよ……」
私は影の中から声だけをエリスに届ける。
「いやよ。面倒だもの。お掃除頑張ってね」
エリスは「むーっ」と風魔法を操りながら、不服そうに頬を膨らませていた。フランは術式が読めるということで各魔法術式の動作確認や、避難経路の転移術式の調整に追われ、クローネはそのサポートをしている。
私たちは黒本事件のこともあり、簡単な仕事を振り分けてもらった。私はあくびを噛み殺しながら、他人事のように言葉をこぼす。
「さすがは学院祭と言うべきかしら。貴族や他大陸の学院関係者だけでなく、一般人も来るのでしょう? 安全対策にやたらと熱心ね」
その皮肉にエリスはいとも簡単に気づく。
「そうですね……去年の学院祭よりかなり入念という感じがします。黒本事件は落ち着いてはいますが、元凶は見つからないままですから。それに、頻発し始めたオートマトン事件のこともあります」
「けれど、学院祭を中止にするわけにはいかない。ということでしょうね。安全を考えるのであればやらなければいいのに」
「そうは行きませんよ……学院としての誇りもありますし、大規模な祭りだけあってかなりの経済効果があるみたいですから。それに各学院の第零席が力を見せることで学院の優秀さをアピールする目的もありますから」
チャイムが学院全体に響き渡る。私は影の中から、まるで水面から浮上するように姿を現した。
「ごはんよっ! 行きましょエリス!!」
「……元気ですね。主人一人に働かせてご飯だけを食べようなんて」
「あら? いいじゃない。まだ本調子じゃないのよ」
「嘘ですよね?」
私は気にすることなく大きな一歩を踏み出そうとした。だが次の瞬間、まるで金縛りにでもあったかのように全身が強張る。
「うっ……エリス?」
私の体内で契約が発動し、強制的に動きを封じられた。エリスが、抗う余地も与えず私を止めたのだ。
「主人一人にお仕事させるなんて悪い従者ですね?」
「ずいぶんと大きく出れるようになったわね」
「たまにはいいじゃないですか」
エリスが正面へ踏み込み、唇を優しく重ねてくる。最初の頃のようなたどたどしさは消え失せていた。互いの息が混ざり合う、舌を絡めない静かなキス。その熱が、わずかに喉の奥を掠めていった。
――その後。私達はお弁当を持って中庭のベンチに来ていた。フランとクローネが待ち合わせ場所へやってくる。彼女たちは手をおおきく振りながら近寄ったが、エリスを見た瞬間に目を細めた。
「……エリスあんたどうしたの」
エリスは弁当を広げるどころではなく、ベンチの上で小さく身を震わせていた。先ほどの余韻が残っているのか、ピクッ、ピクッと腰がはねる。その光景に私は苦笑しつつ、二人に向けた。
「ちょっとした『つまみ食い』よ」
クローネたちが顔を見合わせ、呆れたように、けれど少しニヤついた笑みを浮かべる。「あー……なるほど。二人の時間をそんな風に過ごしてたんだ」
エリスが顔を真っ赤にして「ち、ちがっ……」と慌てて否定する。ふふっ、私に挑もうだなんて、まだ早いわよ。
約一名を除いて私たちは食事を始めた。私は影の中に保存していたサンドイッチを頬張る。エリスから吸血による魔力供給ができるようになった今、空腹を満たすためだけに大食いする必要はない。けれど、純粋に食事の時間が好きなのだから、たくさん食べることに変わりはないわ。
お腹を丸くした私はお茶を飲みながらこう呟いた。
「そういえば、学院祭には王族も来るのよね。ということはあの王と、仮面の王族の子も来るのかしら?」
フランが少し気まずそうにしながら、そうみたいだねと呟いた。私は首を傾げながらベンチに横たわる。
――あの仮面の子も、元第零席と同じくらい強いのかしら。
準備は滞りなく進み、学院祭前日となった。大半の準備は終わったようで、その日一日は休みを言い渡された。私たちは中庭でのんびりと空を見上げていた頃。
地面を揺らす重い足音が、ものすごい勢いでこちらへ迫ってくる。私は呆れ混じりに溜息をついた。それが誰だか、もう分かっていたからだ。
「前日だと言うのに来たの? 元気なのねおじいちゃん」
「誰がおじいちゃんじゃ!!」
ドワーフのマーカスが、怒りの形相で私の目の前に飛び込んでくる。肩で息をしながら、ギラついた瞳で私を睨みつけていた。
「わしの店をなんじゃと思っとるんだ!! 手紙で呼び出した上に『どうせ暇でしょ?』じゃと! ……そうじゃが!」
「結局暇なのね……」
声マネをしながら訴えるマーカスにため息をつきながら、私は彼を歓迎した。
「わざわざごめんなさいね。事情は手紙に書いた通りよ。少し調べてほしいことがあるの」
「仕方ないの……そんな面白そうなもんがあるのなら、わしも見てみたいわ。お主の意識を閉じ込めるなんぞ、興味深いにもほどがあるわ」
「でしょ?」
「む……その前にお主、魔力量が――」
「少しいろいろあったのよ。すごいでしょ?」
「……口にした方が良いのか?」
「お好きにどうぞ?」
マーカスは口を閉ざした。厳重に隠しているはずの魔力量だが、彼には隠し通せないらしい。龍と同等の魔力を抱える私を、第零席でもない彼が真っ直ぐに見抜く。さすがは至高評議会所属の魔法技師といったところね。
彼はモノクルをつける。そして分厚い手袋をはめると、黒本を出すように言った。私の渡した黒本を受け取ると、軽く確認。持参した特殊なカバーをつけ、自分のカバンへとしまった。
「少し時間がかかるがよいな? これはわしが預かっておく」
彼がそう言った、直後のことだった。
――背後の校舎から、何かを引きずるような音が響く。




