オートマトン
深夜。私は愛しいエリスの髪を優しく撫でる。指先に触れる彼女の柔らかな髪の感触がたまらなく愛おしい。エリスと肌を重ね、その喉元に牙を立ててからというもの、私の中で膨らみ続ける愛しさが指先から溢れ出しそうになる。
私は視線をフランとクローネのベッドへと移した。二人がお互いを抱きしめてる。以前よりも絡まるように。私が眠っている間に、もっと親密になったみたい。
「……やっぱり少し騒がしいわね」
常人には聞こえぬ、何かを引きずる微かな摩擦音。私の鋭敏な龍の聴覚は、その異質な調べを逃さなかった。興味を惹かれ、私はベッドを離れて影の中へ溶け込む。扉を開ける手間さえも惜しみ、私は影に沈むことで、廊下へと一瞬で移動した。
影の中を滑るように音の正体へと近づいたときだった。
「うわぁぁぁぁあ!!」
男の人の悲鳴。私は速度を上げる。廊下の突き当りを左へ。そのまま寮の外へと飛び出る。
ガシャンッ! と警備兵がランプを落とした。必死に剣の柄を握りしめているが、恐怖で震える手が金属鎧を叩くカチカチという音が耳障りで苛立つ。彼の腕は深く切り裂かれ、鮮血が床を汚していた。
警備兵の彼は、建物の奥、月明かりの影に視線を送っていた。少しだけその正体が見えた。赤くて長い髪。黒い服は影に溶け込んでいてディテールは観察できなかった。無機質な少女に私は見えた。
私はその後を追うために建物の影へと移動した。影の世界からその場所を覗いたとき、もうその少女はいなかった。
……私は影から出ることなく自分の寮へと戻った。あの警備兵も軽症のようだし。気になることといえば、目的が分からないこと……かしらね。
――翌朝。眠い目をこすりながら体を起こす。毛布がするっと膝の上へと落ちた。鉛筆の走る音が二つ。懐かしいわ。ずっと長いこと黒本の世界で追体験していたから。
「おはよう、エリスとフラン。あら、クローネは?」
二人が鉛筆を動かす手を止めた。フランが元気よく答える。
「えっとね! クローネちゃんは修行してるの! たぶんもうそろそろかなぁ」
バンッと扉を開けて帰ってくるクローネ。目が半分上を向いて、足はガクガクと震えている。ベッドまでたどり着けず、玄関で倒れ込んだ。
私は口元に手を当て、吹き出すのを堪えながら、泥のように床に伏せる彼女を見下ろした。
「ずいぶんと情けない顔ね、クローネ。えっちなことでもしてきたの?」
「あへっ……」
やっぱりまともに会話はできないみたい。つつくと腰をはねさせていて面白い。多分神経が敏感になっているんでしょうね。キスしたらどうなっちゃうのかしら。まぁ今日はしないけれど。
彼女をおぶってベッドへと誘導する。うつ伏せになりながら腰を細かくはねさせる姿は私を興奮させる。暴走しないように自分を落ち着かせて深呼吸。
そんな私の様子を見ながら、机に向かっていたエリスが体をこちらへ傾ける。
「おはようございますイルナさん。体の調子はどうですか?」
「絶好調よ。吸血行為ですぐに回復するし、気兼ねなく魔法をバンバン使えるわ。せっかくアルバートに勝利して二百位台に乗ったというのに、すぐにまた三百位へ転落。それにフランたちもスクワイア上位のようだし、追い越されないようにしないとね」
「うっ……吸血は……ペースを落としてもらえると……少しクラクラしますし」
私は妖艶モードを発動する。
「ふーん」
私は妖艶な空気を纏い、彼女の逃げ場を奪うように身を乗り出す。指先でエリスの顎をやさしく撫で上げ、先ほど刻んだ赤い噛み跡にそっと唇を寄せた。
「本当にそれだけが理由かしら? また――吸血行為だけじゃ物足りなくなるから、というのが理由だったりするのかしら。それとも……吸血行為をしながら……もっと深いところを求めているの?」
「しっ、死んじゃいます!! 吸血しながらなんて……!」
「ふふっ、大袈裟ね。……もう少し慣れたら、試してみましょうか」
耳元に近づき、息をふきかけるように言った。
「強く噛みすぎたらごめんなさいね」
キュッ! とエリスが両太ももを閉じる。素直な反応でよろしい。
――クローネが落ち着き始めた頃。彼女はうつ伏せになりながらジュースを飲む私にこう問いかける。
「そういやあんたさ。黒本取り込んだんでしょ。黒本自体はどうなったの?」
「無力化してる状態で保管してるわ。私の魔力なら流し込んでももう大丈夫だと思うけれど、貴重な手がかりでもあるから手つかずのままよ。結局、黒本を回していたのが誰なのか、分からないのを懸念してるの」
黒本を取り出し、彼女に見せる。
「術式は現代魔法術式。流し込むだけのお手軽さ。でも術式が使用者に対して干渉するっていう欠陥品よ。この学院の教師たちに渡すことも考えたけれど……正直、騒ぎの渦中でも腰が重かった彼らに預ける気にはならないわ」
「ふーん。ならどうすんの?」
「旧式も現代式も詳しい専門家に見せることにするわ」
「あのドワーフの魔法技師の人? でもあそこからわざわざ呼ぶの? お店あるんでしょ?」
「いいのよ。どうせ暇なんだから。フランのこともまた見てもらいたいもの。それにちょうどいい口実があるじゃない」
「口実?」
「学院祭よ。一般公開される決闘。そして一番の見所は去年の第零席達の戦い。王族の戦いをもう一度見たいわ。お礼もまだ言えてないから、それも済ませたいわ」
黒本事件の時は変身に集中していて、ちゃんと観察できていなかったこともある。それに、禁忌階梯魔法をもし使ってくれるのなら私は見たい。第零席に座るにはどうしてもほしいわ。
――バンッ!!
「イルナ様ァァァ!! 目覚めたんですね!!」
「んっ」
クローネの元ペアの子が、扉を勢いよく開けながら私に抱きついてきた。あまりの勢いに、私はベッドに押し倒されそうになる。彼女の顔が私の胸元に埋まっていた。
「あら、あなたはクローネの……」
「ベールですっ! うぅ、まだお名前を覚えられていらっしゃらなかったのですねっ」
「……えぇ。初めて聞いたもの……」
スリスリと頭を擦り付けられる。その甘ったるい感触と同時に、背後から氷のように冷たい殺気が刺さった。振り返るまでもなく、エリスが眉間に深い皺を刻んでいるのが想像できる。
扉の奥では他の取り巻きの子たちがもう諦めた様子で眺めている。少しやりすぎてしまったみたいね。私を好いてくれる人が増えたのは嬉しいけれど……好かれるようなことをしたかしら……むしろ嫌われるようなことをしたと思うのだけど。
「そうだイルナ様。気をつけてくださいね」
「あら? なにか気をつけなければならないことがあるのかしら」
「最近……オートマトンが人を襲う事件が頻発してるんですよっ!!」
「オートマトン……」
昨夜見たあの赤い髪の少女。黒本の一件と言い、どうにも背筋が冷えるような不穏さが付きまとっている。




