アッシュのカデット
スローネのフィアナと視線がぶつかり続ける。短く息を吐いて私は冷静さを取り戻す。フィアナは私の前で立ち止まり、視線を下に向けた。胸のリボンにつけられたブローチを見て、小さくアッシュと呟いた。とても透明感のある透き通った声。
「あら? アッシュなことが問題かしら? ノワールさん」
「……」
フィアナは何も言わずに私から視線を外した。周囲を見渡した後、踵を返す。後ろを歩く獣人の子が私を警戒するように耳を動かしている。姿が見えなくなると、周囲のざわつきは静かになっていった。
私は小さなため息を付く。背もたれに背中をつけて少し姿勢を崩した。エリスがびっくりしましたと胸を抑えている。きっと緊張したのね。当然よ。あんなのに立ち止まられたらね。しかもそれだけじゃない。
――私に向かって殺気を放った。
「彼女、私の正体に気づいているわね。あの獣人の子も」
エリスは誰にも聞こえないよう、小声で返した。
「えっ。でも魔族って分からないための魔法具使ってるんですよね?」
「そうよ。にも関わらず気づいた。相当の手練ね」
「ねぇ! なんの話してるの?」
後ろから可愛らしく、元気な声が聞こえてくる。私とエリスの間から覗き込んだ顔はその声に見合う可愛らしいものだった。黄金の瞳。緑がかった金髪。低身長ではあるけれど、豊かな胸が私の肩に触れて形を変えている。
エリスはひゃんっ! という驚きの声をあげながらも、その相手が分かると彼女をフランと呼んだ。
「あら? 知り合い?」
私はエリスに問いかける。エリスは頷きながらフランの紹介をする。
「はい。この子はフランさんと言います。私のルームメイトです!」
あぁ……そういえばベッドは2つあったわね。
「フランさん。最近またいませんでしたね」
「えっ、あーうん。ちょっとねー! へへっ。でも会えてうれしっ。この人は?」
目があった私は優しく微笑みながら自己紹介をする。
「イルナよ。よろしくね」
顔を近づけながら囁く。エリスであれば顔を真赤にして硬直する距離だけれど……彼女は照れることなくニコッと満面の笑みを見せた。
「うん! よろしく! 私最下位だけど!」
私はどこかおかしくて、笑みがこぼれた。一切照れないのね。フランの柔らかい頬に指先を当てる。グリグリッと優しく指を回す。フランは笑いながらむしろほっぺを押し当ててくる。
「えへへっ。くすぐったぁーい」
チャイムが聞こえてくる。もうお昼休みも終りね。私は立ち上がって体を伸ばす。エリスとフラン、二人と共にアッシュの校舎へと向かう。食堂から校舎への道は舗装されていて、景観としては芝生や様々な種の木などが多い。しっかりと手入れされた空間。昼下がりは風がよく通り心地がいい。
「遠くのあの建物も食堂かしら? とてもいい香りだわ」
風に乗ってきた香りに鼻が反応する。エリスがそうですよーと説明を続ける。
「あれはナイトの食堂です。あとロード以上はあそこにある豪華で大きな城のような建物がありますよね。あそこにあるんですよ。学業、食堂、その他施設もあの建物一つに集約されているんです」
「あそこにいくにはどれだけのレートを貯めればいいのかしら」
「わかりません……常に変動もしますし。現状は想像もつかない。という方が正しいと思います。過去これまでアッシュがロード階級になったことはないですし」
「夢物語。ということね」
学業、決闘、依頼をこなす。階級が上がれば倍率も変わる。依頼も難しいものを受けられるようになる。まずは依頼をこなして決闘権を買うことからかしら。
――太陽が沈み、月が照らす夜。私とエリスは学院の外へと来ていた。
「イルナさん。今度からはこうして夜にいっぱい食べてから眠ってくださいね。その代わり遠慮はしなくても大丈夫です!」
石レンガの街並み。魔法具を使った街頭の下を歩いていく。人通りは全くない。夜はさほど人が出歩かないのだろう。時折馬車がすれ違う。その客室の窓から見える服装、馬車の運転手のスーツ姿を見るに……貴族御用達の地域というところね。
貴族はわざわざ歩いていかないもの。それに確か近くには冒険者ギルドもある。馬に乗った警備兵の音が遠くから聞こえる。治安には信頼を置いているのでしょうね。
エリスと二人で夜空の青い月を眺めていた時だった。小さな悲鳴が反響しながら聞こえてくる。エリスもどうやら聞こえたみたい。視線で私に合図を送ってきたから。
面倒事は嫌いなのだけど。仕方ないわ。もう少しお腹を空かせてから行きましょうか。
私とエリスはレンガの道を駆ける。できるだけ足音を消しながら。例え下から二番目の順位であっても大陸トップの学院。エリスは自身の足と床の間に魔力を流し込んで足音が出るのを防いでいた。魔法も使わずにこんな芸当をするなんて、少し見直したわ。
「イルナさん、見えてきました。あれは……馬車が二台?」
一方の馬はもう息をしていない。その馬が繋がれているのはキャビンと呼ばれる客室。貴族が乗る客室から一人の男性と一人の女性が見える。どちらも着飾っていて、一目で貴族だと分かる。その二人を襲っているのは五人ほどの盗賊と見られるくすんだ茶色のローブの男たち。
もう片方の馬車へと連れ込みたいのね。ただの荷台。まるでジャガイモでも運ぶような質素な板作りのもの。
エリスが手をかざし、魔法を唱える。
「第一階梯魔法。 ヴァクア」
彼らの足元に水面が張る。
「第二階梯魔法……ヴァクア・アイス!」
水面はその性質を氷へと変化させる。馬車が氷で固定される。盗賊たちの前で声を上げるエリス。
「その人たちを解放してください!」
盗賊達は舌打ちをする。その内の一人がエリスの前に立ちはだかる。足元の氷を破壊するような歩き方。顔を覆い隠すローブフードの下から見える傷口とヘビと弓のタトゥー。
「学院の生徒様がこんな街中になんの用だ? 大人しくかえんな」
「見過ごせません。あなた達を警備兵に突き出します!」
「やってみな。第三階梯魔法。イグニス・スモークバースト」
爆炎。多くの煙を出しながら炎が爆発し、エリスを襲う。エリスは射程距離外へと下がりながら唇を悔しそうに噛んでいた。氷は瞬時に蒸発し、エリスの攻撃は意味をなさなくなる。
「だ……第二階梯魔法! ヴァクッ」
気づいた時には遅かった。エリスの瞳に短剣が映る。煙の中から現れたことで、気づけなかったのだ。実力だけでなく、戦闘経験の少なさによる差が如実にあらわれていた。黒煙によって隠れていくエリスの表情には怯えが見えた。
黒煙の隙間から見える男は煙が晴れていくのを静かに眺めていた。まだ見えないけれど、聞こえる音からして、貴族の二人はもう片方の馬車へと詰め込まれてしまったようね。
次に黒煙の隙間から見えたのはその男がトドメを刺すために手をかざしている姿だった。
「さすがに死にはしないだろ。その綺麗な面に傷をつけて、学院に戻れるか? 落ちこぼれのアッシュさんよ。灰色のブローチが似合っているぜ。無様な負け傷を誰にも見せねぇようにここで始末しといてやるよ」
――血飛沫。煙を切り裂くように短剣が男の手に突き刺さる。男が理解するまで数秒。体を丸めながら悲鳴を上げるまでに二秒。直後、彼の頭に私の足が勢いよくぶつかる。彼は近くの街灯にぶつかった。街灯はひしゃげ、彼は呼吸ができずに悶えている。
「がっ……! て、めぇ……なにも」
「アッシュのカデット。学院九百九十九位の――落ちこぼれよ?」




