スローネ
私は数日、エリスの影に入って見ていたから本当は知っている
――八百九十三位。クローネが落ちこぼれと言われるカデットに近い『スクワイア』という階級だってことくらい。
私の目と、彼女の目が絡み合う。クローネの息が震え、その息が私の唇にかかる。クローネはハッとして、私の肩を押して離れた。
「何位だっていいでしょ……! 別にあなたはターゲットじゃないから。どうでもいい。良かったわね」
クローネは何よあいつ……と、最後に小さな声で呟きながら背を向けた。行くわよと、取り巻きに言って自分の席へと戻っていく。私は何食わぬ顔で教科書を広げた。エリスがぼーっとしている。
「どうかしたの?」
「いえ……その、すごいなって。クローネさんをあんなふうに……諦めさせるなんて……」
「そういえばあなた……クローネにはいつからいじめられているの?」
彼女は視線を下へと向けた。少しためらってから、口を開いた。
「中等部からです。でも、最初は仲が良かったんですよ。良かったっていうと、語弊があるかもしれないんですけど。普通のお友達みたいな。あっ、そこまで仲良くはないかもです。入学してからほんの数ヶ月だけ。それからはずっと」
「随分と長いのね」
「私……なにか怒らせるようなことをしてしまったんでしょうか」
ぷにっと、エリスの頬をつつく。ぐにぐにと指を回す。彼女は私の指の動きに合わせて、目をつむりながら頭を揺らした。
「はわわわっ。なんですかイルナさん」
私は優しく微笑みながら、あなたが直接確認するのよと言った。エリスは両手を私に向けて何度も交差するように否定した。できませんと。
「できるわよ。私が肯定してあげる」
「でも、話なんかきっと聞いてくれません」
「聞かせるのよ。そういう状況を作るの」
「どうやって……」
「喧嘩を売るのよ」
サーッとエリスの血の気が引いていく。冷や汗を流しながら顔をブンブンと何度も横に振っている。私は彼女の頬を両手で抑えた。
「ずっとこのままでいいの?」
「……少し、考えさせてください。ちゃんと……自分で覚悟を決めます。私が、挑戦権をクローネさんに叩きつけます!」
長い間牙をたてなかった者が、牙を向けるには勇気がいる。けれど前向きな宣言に私は満足していた。
――そして授業は進んでいく。授業のたびに違う教師が教卓へと立つ。
「皆さんには本日第一階梯魔法から第二階梯魔法を習得するにあたって、必要な知識について勉強していただきます」
魔法に関する知識は私が知っているものとさして違いはなかった。魔法には属性が存在する。魔法にはその規模や難易度によって段階が存在する。
第一階梯魔法。初歩の初歩。以前クローネが使っていたものね。それをより強くしたものが第二階梯魔法。そこから第七階梯魔法まで存在している。
教師は黒板にチョークの音を鳴らしながら、その階梯を順に説明していく。コンッと指の関節を黒板に当てる。チョークの粉がパラパラと落ちていった。
「第一階梯は初歩。第二階梯は基礎。と、このように増えていきます。第三階梯であれば応用。一般的な魔法使いはこの辺りに属します」
――第三階梯魔法が応用……ね。私からしたら初歩のようなものなのだけど。
魔法をさらに熟達した者は第四階梯。そして才能と、努力を持ち合わせたものでもごく限られた者がたどり着けるのが第五階梯……ね。確かに人間でそこまで到達するのは難しいかもしれないわ。
教師はチョークを黒板に強く叩きつけた。
「第六階梯。これは超越した者。みなさんには無理です。第五階梯ですら無理でしょう」
教室がざわつく。当然だ。才能がない。そう断言しているのだから。ここはアッシュのクラス。学院側はそういう判断をしているということだ。
「第七階梯。これは神の域です。そして最後」
私は首を傾げた。最後? そんなものあったかしら? そんな疑問の答え合わせをするかのように教師はその階梯をこう呼んだ。
――禁忌階梯。
従来の階梯には属さない魔法。へー……そんなものがあるのね。興味があるけれど。見てみないと挑戦のしようがないわね。教師も詳しくはないようだし。
気がつけば昼のチャイムが鳴った。私の空腹は限界にまで達している。
「お昼よ。さぁ。ご飯を食べるわよ」
「イ、イルナさん。なんかテンション高くないですか?」
「当然でしょ。お腹が空いたもの」
一瞬、首を押さえるエリス。けれど約束を思い出したのかこう聞いた。
「血ではなく?」
「えぇ。肉よ。肉」
――食堂。階級がカデット、スクワイアの者たちが使える食堂へと足を運んだ。人数が多い階級だけあって、周囲は人で溢れかえっている。座れる席もちゃんと用意されてはいるけれど、移動するだけでも大変そうね。エリスは学生証をいつもの食堂の店員に渡す。
「おや。その子は?」
「えっと……その、ペアです。へへっ」
食堂の店員であるおばちゃんは、心底嬉しそうにしていた。エリスの人の良さをよく理解していたのだろうと、私は思った。
「そうかいそうかい! ようやくあんたにもペアが……今日もハムをおまけしようね。ペアのあんたはどうする?」
問いかけられた私は、置いてあったメニュー表を広げる。肉類、野菜、炭水化物といろんなメニューが揃っている。けれど私が頼むのは肉のみ。半分ドラゴンなのだから当然よね。
「それじゃあ……このグリズのステーキを十個」
おばちゃんの動きが止まる。聞き間違いだと思ったらしい。私は十個であっているわよ? と言った。なにやらエリスが震えているけど、私は食べないと死んでしまうわ。死なないけれど苦痛なのよね。
「二……にににに……二万レート!? い、一回の食事でっ」
カタカタと震えながら減ったレートを学生証で確認する。そのまま倒れてしまいそうな勢いだった。私は積み重なったグリズのステーキを受け取った。
「早く食べましょっ!」
「うっ……うぅ。おばちゃん。早くもピンチです。すぐにいなくなってしまうかもしれません……」
「が、頑張るんだよ……応援してるからね」
私は席に着くなり、ステーキを口いっぱいに放り込んだ。赤身から流れ落ちる肉汁。肉の旨味をしっかりと閉じ込めたワインソース。柔らかくもちゃんとした歯ごたえ。
「んー! 美味しいわ、これっ」
「うぅ……そんなにほっぺをリスのように膨らませて、もぐもぐして幸せそうだと怒るものも怒れません……」
エリスは一日一回の食事でもいっぱい食べられれば問題ないですか? と私に聞いてきた。私はもぐもぐしながら、問題ないわよと答えた。
「今度から外で食べましょう。学内のレートは私達の席順位もあってかつかつですが、学院の外ならお金が使えるので。お金なら私はいっぱいありますから……うぅ、魔獣でも飼っている気分ですよ」
私はお腹いーっぱいお肉を食べて満足だった。エリスはお茶を飲みながらため息をつくように微笑む。
「食べるの好きなんですね」
「えぇ。この瞬間が一番幸せと言っても過言ではないわ」
次の瞬間、私は即座に警戒体勢に入った。全身の毛が逆立つような本能の警告。エリスのどうかしましたか? という問いかけを完全に無視する。食堂の開かれた扉。そのさらに奥。食堂がざわつきだす。
私は鋭い目をしながらも自分を落ち着かせる。魔力を感じ取ってこんなにも警戒したのはいつぶりだろう。コツ……コツ……とヒールを鳴らす音。すれ違ったその女性。白いローブと腰に刺した細身の剣。後ろを歩くキツネ耳の獣人はペアだろうか。キツネ耳の片方に鈴のアクセサリーが揺らめいている。
白いローブの女性と私の視線が交わる。私を見下ろすそのオッドアイは、まるで私の実力を推し量っているかのようだった。隣でエリスがボソッとつぶやく。
――第零席。ノワールクラスのスローネ。王族のフィアナ・エルワース・ファニス。




