イグニス
「アルバート……」
アルバートは喜びに顔を歪ませ、勝ち誇ったように私を見下ろしている。
「また姉さんが僕の足元で這いつくばるのを楽しみにしているよ。この民衆どもの視線に晒しながらね。そして姉さんのパートナーも同じ目にあわせてあげるよ。姉さんだけじゃ可愛そうだからね。外見は悪くないし、僕の召使いにでもしようか? 例えば夜に相手をしてもらうとか」
エリスの瞳に、静かな殺意が宿る。私は彼女の背中を庇うように一歩前に出て、アルバートに冷笑を向けた。
「お子様に興味はないわ。ごめんなさいね。地位に心を動かされるような安い女ではないの。あと、あなたも覚悟しておいた方がいいわよ。あなたに噛みつこうとしているのはエリスだけではないわ。私もよ」
「へー。君に恨まれるようなことしたかな」
「私の主人に手を出したこと、死ぬほど後悔させてあげる」
試合開始の合図と同時に私はマスケット銃を地面に向けた。
「――第五階梯魔法術式 ノクト・ザ・アドミニストレータ」
影の盤上が広がる。アルバートのペアがはるか後方へと退避。地面に手をつくと、無数の魔法陣で会場を囲むように出現させる。さすがはナイトの上位。魔法の規模も速度も並大抵ではない。私は冷徹に空間の座標を計算し、指先を滑らせて影の海に魔力を流し込んだ。
二人のクラスはノワール。それだけの有望株なのだから、当然のことね。ただ――相手が悪かったわね。
魔法陣から現れた鋼鉄の体を持つ無数の巨大な蜘蛛型モンスター。カシャカシャと不快な金属音を撒き散らしながら殺到する。まるで勝ち誇った顔で彼は叫んだ。
「食い殺せ!!」
物騒で下品な言葉。私は鼻で笑い、マスケット銃を彼へと向けた。
「第五階梯魔法術式――グレイシャル・ドミニオン」
――パキッ……一瞬にして彼の作り出した無数のクモ型モンスターは氷塊の中へと閉じ込められた。冷えた私の息が白く溶け出していく。
轟音が響く。アルバートは天高くに手を上げる。
「我は炎の末裔。呼びかけに答え灰燼とせよ――イグニス」
炎そのものを使役する、炎の貴族の固有能力。存在するだけで私の『グレイシャル・ドミニオン』が蒸発し始めている。昼の太陽の下、かつ満月ではない今、出力の調整が惜しい。
イグニスはその内部を青く輝かせる。放たれた閃光が周囲を焼き払い、背後の氷塊ごとモンスターを消し飛ばす。その灼熱の渦中、エリスは――あろうことか、アルバートの懐へ飛び込んでいた。
――二人の剣が交差する。アルバートは眉間にシワを寄せ、剣を弾く。彼の次の一撃が放たれるよりも早く、エリスの剣先が迫っていた。
「イグニス!」
エリスの足元が光り輝く。彼女は止まる気配がなかった。そして爆発寸前という瞬間、私は悪魔のような笑みを見せる。
「私は――アドミニストレータ。管理者よ?」
パキッ。という音と共に炎魔法の魔力を凍らせた。
「なっ……!」
予想外の事態にアルバートが目を見開く。その隙を逃さず、エリスの蹴りが腹部に炸裂した。強烈な衝撃でアルバートは後方へと吹き飛ぶ。起き上がった瞬間、エリスの剣が見え、彼は必死に不格好ながら剣を振り払った。
そんな甘い剣はエリスに弾かれる。手から剣が遠くへと飛ばされる。丸腰になったアルバートは悔しさを顕にした。
「焼き尽くせ……イグニス!!」
イグニスはパンッ! と両手の平を合わせた。頭上に描かれる炎の魔法陣。自分たちもろとも焼き尽くすつもりのようね。私が干渉権限を持つのは地面に対してだけ。困ったわね。
チリッ……と私たちの服、肌が焼け焦げ始める。私はエリスに合図した。龍の魔力を使いなさいと。
エリスは剣を引き、手元に構える。
「使います……! 第六階梯魔法――ラース・オブ・コンデムネーション」
私の体から大量の魔力が吸い出される。雷鳴と共に影から現れた龍の炎は、白銀に輝きながらエリスの剣へと絡みついた。
「対象――イグニス」
カチッという硬質な音が響く。イグニスの作り出した炎の魔法陣が瞬時に白濁し、次の瞬間、爆発的なエネルギーが会場を襲った。天井が軋み、衝撃が結界を震わせる。私は影を広げ、観客席に被害が及ばぬよう盾を張るしかなかった。
アルバートは口を開けて呆気に取られているようだった。
「魔法陣の――破壊だと」
イグニスがなにかに怯えるように数歩後退していた。アルバートは叫ぶように命令する。
「もう一回だイグニス……!! すべて、すべて焼き尽くせ……!!」
命令を受けたイグニスが手を叩こうとした瞬間――私は引き金を引いた。
「往生際が悪いわよ。月が美しいわね。第六階梯魔法術式――アブソリュート・ドミニオン」
音が消える。肺に入り込む空気さえも凍てつく静寂。私の身体も半分が霜に覆われ、強烈な冷気が感覚を麻痺させていく。ダイヤモンドダストのような輝きが空間を支配した。
イグニスは形態維持の魔力を奪われ、雪のように崩れ去っていく。私はみんなを守っていた影を後退させ、凍てつく視界の中で確信する。この絶対零度の静寂で唯一動けるのは、契約を交わしたエリスだけだと。
「アルバート――私の勝利です。謝ってください。イルナさんに」
私は思わずクスッと笑った。自分がされたことに対してではなく、未だに私に対してなのね。少しずつ、私は氷を解いていく。
――地鳴りのような音が響いた。私は空を見上げた。
「どうして、魔力は凍っているはずなのに……」
現れるはずのない、黒い魔法陣が第一決闘場の空を覆っていた。胸騒ぎがする。




