故郷
――数年後。私たちは魔族大陸からエルワース王国へと向かっていた。大きく帆を張った船が、人間大陸を目指して進む。私は白いブラウスに濃紺のブレザーを羽織り、ガーターベルトが見えるほど丈の短いプリーツスカートを履いていた。潮風に髪を揺らされながら、海を眺める。
「イルナさーん。人間大陸まであと一日でつくそうですよ!」
「当然よ。私の魔力を分けているんだからさっさとついてもらわないと困るわ。フラン達に会うのも久しぶりなんだから」
甲板を鳴らす軽い足音に振り向く。エリスが黒いコートの裾を揺らして駆け寄ってきた。アイボリーのブラウスに、深いぶどう色のベスト。その上に羽織ったコートは腰丈で、動きやすさを選んだ黒い細身のパンツがよく見える。でも、その分、脚のラインもよく見えるのよね。革のロングブーツの音が、私の隣で止まった。
「冒険者にはなりましたけど、私たち至高評議会の依頼ばかりですね。相手が治外法権だったり、街一つ破壊できる魔物とかなので、仕方ないかもしれませんが」
エリスは「気持ちいいーっ」と両腕を空へ伸ばした。下ろした片手が、いつものように家紋の入った細剣の柄へ収まる。
――その瞬間、船が大きく揺れた。波を割って姿を現したのは、巨大なイカ型の魔物、クラーケン。船を喰らおうと、触手を大きく伸ばした。
二人同時に呟いた。
「グレイシャル・ドミニオン」
船へ伸びていた触手が、空中で止まる。その根元まで白く凍りつき、波間に巨大な氷塊が残った。船はその脇を、何事もなかったように通り過ぎていく。まるで、海に浮かぶ氷山を眺めるように。私は遠ざかるクラーケンから、隣のエリスへ目を向けた。
「あら、あなたも使ったの?」
「はい……つい反射で。二人だったので、なんかオーバーキルですね。このまま通り過ぎていいんですか? 食べるとか」
「今はお腹空いてないもの。そのうち溶けるでしょう?」
「自然解凍ですか……」
船の上にいる船員達が凍りついたクラーケンを唖然としながら見ている。
「僕の出番はなかったね」
帆の上で、ユーリがそう呟く。
「あなたまで来るなんて意外だわ?」
「どうして? 大事な日だろう? つくづく、僕の見える未来が数秒で良かったと思えるよ。至高評議会も思ったより面白いし。ベンが入れる議会なんてそうそう見れないしね。おとなしいヴィーも面白いし」
「あの二人も来るのかしら」
「来るんじゃない? 結構あの子人間大陸好きだから。それにしても驚いたよ。去年学院祭を亜人大陸で行った時、出場したの君たちじゃなかったからね」
「悪かったわね。負けて」
「いやいや。彼女たちもすごく強かったよ。とても楽しめた。君たちが負けたと聞いて驚いたけど、戦ってみて納得したくらいだよ。でも……君が龍になれば勝てるんじゃ?」
「あの会場、私の身体だけで吹き飛ぶわよ……」
「それもそっか。それと……エリス君。赤い瞳、似合ってるよ」
「えっ!? あっ、は、はい! ありがとうございます!」
ペコペコと頭を下げるエリス。魔族への見方も……昔とはやっぱり違うのよね。ユーリは魔族大陸出身だけれど、思ったよりも魔族大陸なんて呼び方が消えるのは早いのかもしれないわ。ここの船員だって大半は人間なのにエリスに石を投げたり、罵ったり陰口を言ったりはしないもの。
――次の日、船は港へと到着した。エリスに続いて船を降りる。足の裏へ、揺れない地面の硬さが返ってきた。もう一歩、踏みしめる。ふふっ、やっぱり好きだわ。どこまでも歩いていける、広い大地に立つこの感覚。
「ユーリ! 着いたわよ!」
私が大きな声で知らせると、彼は伸びをしながら降りてくる。
「それじゃ僕は少し観光しながらエルワース王国に向かうよ」
「えぇ。また後で」
「またね」
彼は一瞬で姿を消した。
「さて、私たちもお昼を食べてから馬車で向かいましょうか。少し遠いしのんびりとね」
「そうですね。おおよそ三日くらいでしょうか。第零席だった頃よりは忙しくなくて助かります。でも後でこの港町のギルドで報告しなきゃですね」
海鮮料理をたんまりと食べたあとは、馬車でエリスにくっついて眠る。移動して、宿を取って、また出発して。そうしてやっと、私たちの王国へ帰ってきた。見慣れた街並みは変わっていない。それなのに、どこか違って見える。変わったのは、私たちの方なのね。
「ただいま。という感覚がとても不思議。私の家はこの王国にはないのにね」
「そう言えばイルナさん家を買いましたよね。でもどうしてあんな遠い国に? しかも二つ」
「……一つはアンナの住んでいた家よ。一度燃やしてしまったけど、やっぱり思い出なの。もうひとつは大きな倉庫。家ではないけど……」
「……あの子達のですね。リーパーさん、ピーターさん、コルトさんにナヴィさん。エターさん」
「覚えていたの? 一度しか私は名前を出していないのに」
「これでも秀才ですよ? イルナさんの大切な人たちの名前を忘れたくなかったんです」
「……もう。私をどれだけ好きにさせるつもり?」
「そっ、そんなつもりじゃないですよっ!」
私はくしゃっと笑って、彼女の手を引いた。エリスが慌ててついてくる。その手を離さないまま、二人で見慣れた街の中へ駆け出した。




