エルワース
世界の本が一斉に開き出す。神樹の鎖が氷の剣を叩き落とすと、刃は周囲の地面へ突き刺さった。鎖がその柄まで絡め取り、自壊させていく。
「やっぱりすごいよイルナちゃん……龍の魔力、月の魔力――こんな魔力量を放出するなんて」
きっと、分かってる。イルナちゃんの目が、私と開いた本を捉えていた。踏み出そうとすればクローネちゃんが前へ入り、こちらへ向いた銃口には神樹の鎖が迫る。イルナちゃんは足を止め、眉をひそめた。
「クローネ……! あなた、鼻血を流してもまだ止まらないのね」
「約束、したから。あんたと同じよ。私はあのフィアナ・エルワース・ファニスの前で約束を宣言したんだっ! 私がッ! 座らせて見せるって、だからあんた達を止める!」
あと少し……クローネちゃん、もう少しだから……!
「同じよ。私はエリスに約束した。スローネの席に座らせて、みんなに認めさせるって。この第零席の椅子を、渡すわけにはいかないわっ! たとえフランのためだとしても、私にも譲れないものがあるわっ!」
エリスちゃんの剣と、イルナちゃんの剣が、クローネちゃんを貫く。時間が巻き戻り、クローネちゃんはまた一歩踏み込んだ。イルナちゃんが下唇を噛んだ。
「あなた……瞳孔が揺れてるわよ。もう……ほとんど」
クローネちゃんの片方の瞳に、時計の針が見えた。零へ進もうとして、震えたまま止まる。そこへ達したら、禁忌階梯魔法は終わってしまう。終幕さえ使えなくなる。その時を、無理やり押しとどめてるんだ。
――氷の剣達が一斉に消え、私は空を見上げた。白い輪が……金色に輝いていた。そして世界は色を失う。
エリスちゃんとイルナちゃんが同時に呟いた。
「終幕」
氷の肉体を持つ龍が、白銀の炎を纏う。その身体と炎の縁が、金色に輝き揺らめいていた。色を持っているのは、それだけだった。
「カッ……」
息が凍りついた。時が止まったみたいに動けない。神経も、空気も魔力も全部凍ったみたいに。神樹の鎖も、本も、何一つ動かない。
ガタガタと震えることすら許されない。どういうこと? 心臓の鼓動まで聞こえない。考えてるから、頭は動いてるはずだけど……
仰いだままの視界で、赤い瞳が私たちを見下ろしていた。その背後で、大きな金色の輪が輝く。凍りついた全てを、一瞬で無に帰す。そう直感した。金の輪が大きく広がり、龍の姿ごと揺らめいた。
瞬きほどの一瞬、暗転。そして視界が白く光る。私まで真っ白に消えてしまうと思った、その時だった。まばゆい世界に、巨大な黒い玉が浮かんでいた。
――何、してるの。クローネちゃん。
「ここまで、上り詰めたんだ。フランに笑ってほしいから。私がいてよかったって、思ってほしい。フランが偽らなくていいその日を掴むんだ。だから……!」
私の目から涙がこぼれた。どうして凍りついてないんだろう。
クローネちゃんの太ももに、短剣が突き刺さってる。白い世界に鮮血が広がっていく。人間の血が流れ、魔族の血がさらに濃くなる。同時に、退魔の短剣は彼女自身を蝕む毒になる。
クローネちゃんの目が赤く染まった。零を前に震えていた針が、まだ止まってる。無理やり引き出したその力で、彼女は叫んだ。
「――終幕!」
瞳に映る針が、カチッと逆方向へ動く。クローネちゃんは両手を龍へ掲げた。その手は、震えていた。
「フランッ! 証明しなさいよ! あんたがっ……! 無視されていい人間じゃないってこと!!」
広がる金色の輪が、激しくぶれる。戻ったはずの輪が、また広がる。それを、もう一度戻す。押し返されながら、何度も、何度も。クローネちゃんは止めようとしてるんだ。そんなことしたら、死んじゃうよ。人間の血が……薄れちゃうよ。なのに……
私はバンッ! と地面を強く叩いた。神樹の鎖がクローネちゃんを守り、金色の炎を纏う龍へ突き刺さる。この世界のあちこちへ、さらに鎖を伸ばしていく。
稼げるのは、ほんのわずかかもしれない。でも、間に合わせる!
「……創世の世界。かつて一人の人間が神の元を訪れた」
長い詠唱。
「人間は神へこう告げた。私は人間を裏切ったのだと。数多くの証拠を示され、主神はその言葉を信じきった。彼を天使へと昇格させ、かつての人間はその地位をもって、神にも等しく神々の世界を歩いた」
創世のお話。イルナちゃんには話してない神のお話。
「最後の聖戦。神たちは戦地へと赴いた。その知らぬ間に、主神は胸を押さえ、地に頭を伏せていた。巨体を伏せたまま、かつての人間を見上げて問う。死を知らぬ私に、何をした。かつての人間は答えた。死の神に、極上の味を教えたのだと。死なぬ者に死を与える、たった一度の蜜の味。その対価として、死を与えるりんごを受け取ったのだと」
クローネちゃんが地面に倒れた。金の輪が広がる。それでも、また戻る。倒れても……意識を失いかけても、使い続けてるんだ。
「……っ。神は、裏切ったのかと問うた。かつての人間と、その後ろに佇む死の神に。人間はこう答えた。人間の側についたのがもう一柱。この世界を退屈に思う、時の神も裏切ったのだと。かつての人間は、倒れた主神の傍らを通り、玉座へと歩く。天使の輪は黒く染まり、翼も黒く染まっていく。一本の剣が、主神の心臓を貫いた」
私の頭上に金色の天使の輪が、背中には翼が現れる。それらが少しずつ黒く染まっていく。
「主神の血が広がる中で、かつての人間は黒く堕天し、主神の席へと座る」
陛下、あなたが受け継いだ能力を持たないから認めないと言うのなら、私はその域に魔法術式で到達してみせる。
頭上の輪も、背中の翼も、完全に黒く染まった。私は、擬似的に作り上げた王族の剣を鞘から引き抜く。
「禁忌階梯魔法術式――エルワース」




