名前を聞いてくれた日
「後で治してあげるわ。貫通しただけの傷だから、すぐに治――」
イルナちゃんのセリフを遮るように、短剣がエリスちゃんの肩を切り裂く。少し浅いけど、その肌に切れ込みを入れた。
「エリスッ!」
イルナちゃんが叫んだ瞬間だった。黒い玉が細長く変形し、イルナちゃんの肩を貫く。
「ッ……!」
二人がそれぞれ肩を押さえた。指の間から血が溢れる。息をつく日まもなく二人の全身が、地面へ叩きつけられた。二人の反魔法と氷の剣にヒビが入る音。クローネちゃんの片足からガクンッと力が抜け、膝が地面についた。
「はぁーっ、はぁーっ……っ、はぁっ」
クローネちゃんの足に、傷がない。貫いていたはずの剣も。ついさっき、あんなに血が落ちてたのに。聞いてはいたけど……本当にすごい。目を疑っている間にも、彼女は二人を睨み続けていた。
「まだ、まだ……! どうせあんたら、こんなんじゃ足りないでしょ」
剣の軌跡が光る。大量の氷の柱が、地面から伸びた。重力に砕かれても、すぐ次が押し上がる。その中で、二人は膝を起こし、立ち上がった。
「全く、油断したつもりはないのだけど」
「私よりも速くて、反射も。さらに攻撃も無効化ですか。自由自在な重力操作。やっぱり……すごいです。クローネさんは」
クローネちゃんが苦笑する。地面についた膝を離し、震える足に体重を戻した。今にも崩れそうなのに、その顔は少し嬉しそうだった。
「……あはっ、なーにがすごいです、よ。立ち上がっておいて。こっちは本気で奥の手なんだから」
「そんなことありませんよ。私たちの反魔法は砕けました」
砕けた反魔法の膜が、細かく剥がれ落ちていく。でも、もう重力を保てないのか、黒い玉はクローネちゃんのところへ戻っていた。
天井を覆い尽くすほどの氷山が、クローネちゃんを閉じ込める。
――氷山は一瞬にして砕けた。破片が高速で四方八方へ激しく弾け飛び、その姿がまた露わになる。反重力で全て吹き飛ばしたんだ。
イルナちゃんが冷静に言った。
「反重力というやつかしら。重ければ時間は遅く。その反対であれば時間は早く、そして反対方向へと反射する。相手の攻撃は遅くして、自分の攻撃はショートカット。これを称賛しないわけないでしょう?」
「余裕たっぷりの解説ありがと……!」
クローネちゃんが二人に突っ込む。圧倒はしてる。でも、何度も致命傷を負ってる。二人の一撃が、それだけ強力だから。血が飛ぶ。身体が傾く。それなのに次の一歩は、何もなかったかのように踏み込まれた。
――時間を巻き戻し、その事象をなかったことにする。
でも、魔力は消費する。神経も、体力も……傷が消えても、肩で繰り返す呼吸は戻らない。クローネちゃんは、それでも足を止めなかった。
私は目を閉じた。まだ、剣のぶつかる音がする。クローネちゃんが戦ってる。私を信じて、時間を作ってくれてる。任せたって、言ってくれたんだもん。
ほんの一瞬、走馬灯みたいに記憶が蘇る。牢獄と変わらない毎日。それでも見てほしくて、「お父様」って呼んで、覚えた魔法を見せた。今度こそ、何か言ってくれるかな。返事を待って、もう一度顔を見上げた。一度も、目を合わせてもらえなかった。鏡に映るオッドアイは同じなのに。
お姉ちゃんは遊んでくれたっけ。でも、ある時期から姿を見なくなって、見かけても相手をしてくれなくなった。誰に話しかけても、私はいないみたいだった。どうしてここにいるんだろう。なんで生きてるんだろう。こんなにおっきな王城に住んでるのに、孤独だった。
お姉ちゃんを、怒らせるようなことしたのかな。私が知らないだけで、みんなを怒らせたのかな。最後に話したことを思い出して、何度も考えた。能力の継承について知るまで、ずっと。
だから、嬉しかったな。お姉ちゃんが、私のために名前を取り返すんだって言ってくれて。もう十分幸せだけど、そうだよね。このままじゃ終われない。お姉ちゃんとの時間を奪われた。私の人生の長い時間は、孤独だった。
間違ってるって、証明する。そのために、お姉ちゃんはスローネになった。でも、私も約束した。お姉ちゃんに取り返してもらうんじゃなく、自分で覆してみせる。自分の言葉で、発言してやるんだって。
私は世界の本を三冊召喚し、地面へ並べた。白銀の炎が渦を巻いて迫る。閉じ込めようとせり上がる氷の檻ごと、神樹の鎖――セイクレッド・アーバー・チェインズが砕いていく。
エリスちゃん……ここまで来たね。最下位と九百九十九位。同じ部屋で。懐かしいな。エルワースを名乗らず、初めて王城の外へ来た日。小さなお部屋の扉の前で、私は足を止めた。
だって、怖かったんだもん。ずっと誰とも話してない。ラビで会話の練習までした。ちょっと困った顔してたけど。ラビの前でちゃんと笑って、名前を言って。覚えたはずの練習した挨拶が、扉の前では出てこなかった。
私はドアを開けた。キィ……という軋む音。とてもかわいい子が振り向いた。目が合って、ドアを押す手が止まる。声をかけていいか分からない。また……無視されたら?
胸がすごく痛い。どうしよう。最初から話しかけないほうが。
「こんにちは。私はエリスって言います。今日からルームメイトですね。よろしくお願いします! お名前はなんて言うんですか?」
私に、話しかけてくれてる。こっちを見て、名前を聞いてくれた。口を開いたのに、すぐには声が出なかった。涙が出ちゃうくらい嬉しかった。
「わたっ、私は……フランって言うの……」
初めて嘘をついた。全部は、言っちゃダメだったから。ちゃんと取り戻して、みんなに言うんだ。私は王位継承権第三位、フラン・エルワース・ファニスなんだって。口だけじゃなく、みんなに認められた形で。
あの日の最後の……エリスちゃんの言葉が脳裏に浮かんで、少しだけ笑みがこぼれた。
”一緒にスローネを目指してお互い頑張りましょう!”




