自由
執務室の天井が揺れ、ヒビが一瞬にして広がる。まるでこの家ごと破壊するかのような超威力。私はクローネとラディエを影で覆った。
――魔力装填完了。小さく息を吐いて、引き金にのせた指をカチッと引いた。
「第五階梯魔法術式――グレイシャル・ドミニオン」
――凍てつく絶対の静寂。その刹那。一瞬にして視界に氷の世界が広がった。空間そのものが氷塊に閉じ込められたかのように、執務室が氷で覆われている。銃口から白い煙が立ち上る。頭だけを出す形で氷塊に閉じ込められたクローネの父は、唖然としている。私はラディエとクローネの影を解除する。
マスケット銃を静かに下ろした。白い息を吐きながら一歩ずつクローネの父へと近づいた。
「ノクト・グラビティア――グラウィスッ!!」
氷から突き出た首に血管を浮き上がらせ、血走った目で彼は叫んだ。
直後、まだ凍っていなかった天井の豪華なシャンデリアが、凶器のごとき重力を帯びてバキリと外れ、私の頭上へと落下する。
「――無駄よ」
私の頭上でシャンデリアが凍る音がした。クローネの父の絶望的な表情。
「この空間を支配しているのは私。私という管理者が影と氷を支配するようになったのよ。ここから先、私はこの空間で影と氷だけは無詠唱で発動できる。瞬きよりも速い速度でね。あなたに勝ち目があると思うかしら?」
私は氷塊を指先で撫でる。口角を上げ、彼を見下すように語りかける。
「ねぇ……この氷、破壊したらどうなると思う?」
――もしこの氷を砕けば、肉体ごと木っ端微塵に砕け散り、頭だけが床に転がることになる。彼はきっとそんな最悪の結末を想像しているのでしょうね。あれだけ現状の権力に執着する人だもの。死への恐怖は並大抵ではないでしょう。
「今後、クローネに一切手出ししないこと。干渉しないこと。彼女の自由を保証しなさい。でなければこのまま殺すわ」
ピキッ……と氷塊にヒビが入る。慌てるように彼は叫んだ。
「分かった……! クローネには……もう何も期待しない」
……本当に最後まで救いようがないわね。私はため息をついた。けれど目的は達成したわ。私は影と氷を解除する。シャンデリアが床に落ち、破片が飛び散った。
彼に背中を向け、クローネの方へと歩き出す。背中の方から歯ぎしりが聞こえてくる。私は忠告した。
「言っておくけど。少しでもクローネに傷をつけたら……簡単に死ねるとは思わないでちょうだい」
私はクローネに手を差し出した。潤んだ目でまだ何が起こったのかよく理解してないって顔してる。かわいいんだから。
「とらないの? 私の手」
ハッとして、私の手をとった。ちょっとだけ目を背けながら照れくさそうにクローネはボソッと呟いた。
「ありが……と」
そして私の手を引きながら立ち上がる。涙ぐんだ目でラディエが私たちを見つめていた。本当に嬉しそうに。
「ん……」
クローネは自分の手を私と同じようにラディエへと向けた。言葉を出すのが恥ずかしいのか、ブンブンと手を振って早く取りなさいよと催促する。私はおかしくって笑ってしまった。ラディエも戸惑った後に声を出して笑う。
「なっ……なによっ! はやくしなさいっ!」
「ふふっ、はい。クローネお嬢様」
ラディエはクローネの手をしっかり離さないように握る。
「クローネお嬢様……かっこよかったです」
カァーッとクローネは赤くなっていく。褒められ慣れてないのね。本当に表情が豊かな子。ずっと許されなかったことを、このさきはしてもいいのよ。
――私たちはクローネの部屋に場所を移していた。部屋はとてもシンプル。余計なものが置かれていない、彼女のこれまでの孤独を物語るような、少し寂しい空間。私はベッドに腰掛け、シーツをなぞりながらそう思った。
クローネは自分のイスに座って背もたれに体重を預ける。ラディエは直立したまま両手を腰の前で重ねて私たちを見守っていた。
こうして見られていると、あまりクローネにはちょっかいを出せないわね。残念。二人を……というのも面白そうだけど、そういう空気ではないわね。
「どう? クローネ。あなたはもう自由よ。実感あるかしら?」
「……まだないわよ。自由って言われても、自由ってなんなのか」
「それもそうね。まぁ……これから少しずつというところかしら。ラディエに教えてもらいなさい。私も教えるし、きっとエリスも教えてくれるわよ」
エリスという単語に反応するクローネ。もじもじと指先を遊ばせる。
「無理よ。話してくれるわけがない。だってずっと……言われたからとはいえ、いじめていたのは私なんだから」
「どうかしらね。本人に直接聞いてみないことには、何もわからないわよ」
「……怖いなぁ」
「あら? あの父親にガツンッと言ったあなたが今更そんなことを言うの?」
「こ、怖くなくなるわけじゃないし!」
顔に両手を被せて、落ち込むクローネ。私はすっと立ち上がった。彼女の頭を優しく撫でると、彼女の両手は自然に膝の上へと落ちていった。
「な、なによぉ」
表情が解けていく。撫でていた私の手は静かに頬へと落ちる。そのまま頬を撫でながらコツンッと額と額を合わせた。
「私はもう帰るわ。あとのことはラディエに任せる。彼女はちゃんとあなたを見ているから。あなたはもう……大丈夫よ。きっと大丈夫。最後に勇気がでるおまじない」
私は顔を近づけ、頬にキスをした。耳が真っ赤。浴槽であれだけのことをされておきながら、この程度で真っ赤っ赤になってしまうのね。愛おしいわ。ラディエも見ないように顔をそむけている。彼女も顔が赤いわね。
私が顔を離すと、彼女はほっぺを膨らませていた。
「あっ、あんたいつも距離感がおかしいのよっ!」
ふふっと笑った後、もう一度だけ撫でて私は影に消えた。
――翌朝。私は自分の部屋で目を覚ました。鳥のさえずりが耳を癒している。窓の隙間から差し込む光の向こうで、フランは起きる気配がないほどに熟睡している。私はドアを見つめる。トントン、トントントントンと忙しない足音が扉の向こうで行ったり来たり……
私は扉の前で立ち止まる。耳を澄ませると囁くような独り言が聞こえる。
「――大丈夫。大丈夫よクローネ。ただ、エリスに謝るだけじゃない。ずっと……ずっとあの子とこうして、向き合いたかったんだから。大丈夫。そう、ノックよ。ノックさえすればいいの」




