切り札の向こう
イルナちゃんが氷の剣を地面へ突き立て、身体を支えた。腹部から落ちる血が、足元を濡らしていく。傷口が凍って、ようやく滴りが止まった。私は息を詰めて見ていたのに、本人は小さくため息をついた。
「はぁ……朝でよかったわ」
その目が龍へと変わった。再び取り出したマスケット銃に、赤く輝く魔法術式が展開する。激しく回転した瞬間、会場が揺れた。天井近くに、小さな太陽。周囲の空気を揺らめかせ、天井を砕き、その破片すらも燃やし尽くして私たちへ落ちてくる。
「第七階梯魔法――ソラリス・フォール」
まばゆくて、目を細めても見ていられない。肌がチリチリと焼ける。クローネちゃんでも対処できるだろうけど、これは私がなんとかするっ!
「セイクレッド・アーバー・チェインズ!」
地面から次々に神樹の鎖が伸び、疑似太陽へ突き刺さる。疑似太陽の効果を鎖は奪う。私は……もう昔みたいに、鼻血を出したりもしないっ。
鎖が張り詰める。下ろしかけた腕を、もう一度持ち上げた。まだ、止めきれてない。太陽の輝きが少しずつ薄れ、落下が止まる。その重みを、何本もの鎖が支えていた。
突き刺さった箇所から、神樹の幹が伸びていく。互いに絡み、岩の塊を抱え込んだ。頭上にもう一つ、天井ができたみたいに動かない。もう落ちてこない。そこでやっと、詰めていた息が漏れた。
「はぁっ……はぁっ……すごい、さすが第七階梯魔法。魔力が」
これが、イルナちゃんの龍の魔力。もうあっさりと次の戦いへ移ってる。私はまだ、腕を下ろすだけでも重いのに。まだ――遠い。
イルナちゃんは氷の剣とマスケット銃を握り、クローネちゃんと交戦を続けてる。傷が龍の力で塞がる前に、重力を乗せた短剣が迫る。攻撃するために自分自身にも、妨害をするためにイルナちゃんにも、クローネちゃんは何重にも重力魔法をかけ続けていた。だからかな……歯を食いしばった顔が、すごく辛そう。
負担が大きいんだ。いくつもの重力魔法を同時に使ってるから。イルナちゃんは反魔法で対応してくるし、これはちょっとまずいかも。イルナちゃんの傷は次々と増えてるけど、でも……
私はラビの方へ目を向ける。エリスちゃんはまだ、攻撃を捌いていた。反転に体勢を崩されても、次の攻撃が届く前には剣が動く。反応が、早すぎる。
衝撃で飛ばされれば、木の足場を作って受け止める。しなった木が跳ね返り、今度はラビへ一直線。隙を突いて腹部へ伸びた手を斬り落とし、白銀の爆炎が周囲を焼く。ラビは影だから、すぐに再生するけど……
イルナちゃんとエリスちゃんが影へ消えた。次に吐き出されたのは、私たちから距離を取った場所。
「はぁ……はぁ」
イルナちゃんが息を切らしていた。
「大丈夫ですか? イルナさん」
氷の剣を支えにして、苦笑する。新たに刻まれた傷を氷が覆っていく。それでも、衣服を伝った血が落ちた。
「えぇ、大丈夫よ。と言いたいけど。龍の力にシフトしたのに、重力魔法に乗せられて斬るもんだから龍の防御力を無視してるんじゃないかってくらい……深く入るわ。時間帯として再生は早いのだけど、ただの退魔じゃないわね。毒が混ざってる」
「少し私が相手しましょうか?」
「気にしなくていいわ。クローネも相当負担かかっているようだし。ただ……移動速度だけで言えばユーリ並よ。不規則に縦横無尽に駆け回られて対応が追いつかないわ。近接戦闘の経験値が少ないから予測はある程度できるけど。捌き切るには速すぎるわね」
少しうれしそうな笑みを見せながら、彼女は言った。
「出し惜しみはなしにしましょう。第七階梯――グレイシャル・アセンション」
突き立てられた氷の剣から、冷気が噴き出した。ぞわっと背中が粟立つ。考えるより先に、本へ魔力を流し込んだ。
「セイクレッド・アーバー・チェインズ!!」
出せるだけ全部出さなきゃ。鎖を会場の内側いっぱいに広げる。次の瞬間、視界が氷で覆われた。頭上で支えていた岩まで、全てを閉じ込める氷の柱。天に突き刺さるほどのそれが、私まで呑み込んでいた。
冷たい、痛い……! 指を動かそうとしても、氷に閉じ込められて隙間がないから、全く動かない。息を吐くこともできない。でも、鎖はまだ繋がってる。魔力を途切れさせちゃだめ。
神樹の鎖が、氷に亀裂を入れた。その後ろで――ラビが呟く。
「 」
――終幕。
本当に、一瞬だった。空まで届くような氷の柱が、全て破片になって落ちていく。地面へ届く前に蒸発して消えるほど、粉々に。身体を閉じ込めていた冷たさが消えて、私はようやく息を吐いた。
残されたのは、鏡に囲まれた世界。足元にも、頭上にも、斜めに立つ鏡の向こうにも、私がいる。一歩踏み出しかけて、足を止めた。そっちに道があるのか、映っているだけなのかも分からない。ラビだけが迷わず、イルナちゃんとエリスちゃんへ歩いていく。
パキッ。足元の鏡を割ると、イルナちゃんの足にヒビが入った。まるで割れた人形みたいに。彼女が目を見開き、エリスちゃんの手を握る。
それを合図に、二人は呟いた。
「禁忌階梯魔法術式――ソル・エクリプス・テアトルム」
世界が……白かった。影すら生まないんじゃないかってくらい白い世界。イルナちゃんが安堵の声を漏らす。
「危なかったわ。あのまま二人とも粉々にされてたら再起不能よ」
白い世界に浮かぶ白銀の太陽に、影の月が少しずつ重なっていく。




