祭典を忘れて
騒がしい獣の群れの中で、歌が聞こえる。妖精の言葉で紡がれる美しい音色。彼が口ずさむその旋律に合わせ、金色の魔力の文字が奔流となって大地を駆け巡った。
「禁忌階梯魔法――アトラス・カノン」
世界が一瞬暗転する。見たこともないほど高く遠い空が晴れ渡った。ベンとヴィーの作った草花の間に、色とりどりの花が咲いていく。幹も枝も残っている。二つの禁忌階梯魔法が、同じ場所に重なっていた。足元を花に包まれ、狼たちが動きを止める。
どちらも完全には支配できないのだろう。ベンを覆う黒い文字列が減っていく。けれど、消えきらない。ヴィーが瞬きをし、戸惑ったように周囲を見回した。
「んにゃっ……これは……ちっ、ユーリのやつも使ったのかよ」
妖精の歌声が広がり、赤い蝶が舞う。そしてヴィーは空を見上げて、愕然とした表情を見せる。
「なん……だありゃ――赤い月?」
空が黒く覆われていく。私は霜をまとい、白い息を吐いた。影から隣へ戻したエリスの剣には、白銀の炎。今度は地面に奪われることなく、その刃の上で燃え続けている。
「仲間はずれなんて、嫌でしょう?」
「イルナ……お前らの禁忌階梯魔法かよ!」
ベンが踏み込む。足元から這い上がる氷。白銀の炎が体毛を舐め、不可視の剣がその身体を裂いた。それでも拳は止まらない。砕けた氷ごと振り抜かれ、その傷がまた塞がっていく。
私たちの熱気は最高潮に達した。次は、何を見せてくれるのかしら。全員の声が重なった。
――終幕。
月の影と太陽の白銀炎が、会場を包み込んだ。ベンの全身を走る黒い文字列が金色に輝く。その身体が揺らめき、輪郭が白く溶け始めた。大樹も、草花も、狼たちも。同じ白へと変わっていく。
世界の端から、衝撃がせり上がった。白くほどけた景色を巻き込み、上へ、内へ。四方から迫るその波は、高くなるほど中心へ狭まっていく。見上げた空さえ、残された隙間が小さくなる。逃げる先が、なくなっていく。
妖精の歌が耳をつんざくほど高まった。身体が浮き上がるような魔力。迫る白の中にも、月の影にも、淡い光が無数の線を刻んでいく。その一本一本が、剣の軌跡だった。
カァン……
その中心に、フィアナ・エルワース・ファニスが立っていた。王族の剣を地面に叩きつけ、鋭い視線を私たちに向けた。
「――やりすぎだ」
その声に、我に返った。私はエリスと顔を見合わせ、禁忌階梯魔法を解く。白く狭まりかけていた世界がほどけ、ベンの輪郭が戻っていく。妖精の歌も止まった。見慣れた決闘場に立つ私たちを、フィアナが呆れた目で見渡した。
「君たちは祭典の意味を理解していないのか」
みんなでシュンッ……と肩を落とした。
「す、すみません」
「グル……」
「全く、貴殿らが夢中になるとはな」
彼女は大声を張り上げた。
「これにて第零席の祭典を終了とする!!」
歓声は上がらなかった。観客たちは舞台を見つめたまま、身じろぎもしない。やがて「すごい……」と呟く声が聞こえた。それをきっかけに、止めていた息を吐く人、隣の人へ顔を向ける人。けれど、言葉が続かない。ただ、今まで私たちのいた場所を見つめ直していた。
フィアナは頭が痛そうにしながら貴賓席へと戻っていった。私はマスケット銃を仕舞う。エリスやユーリも剣を鞘に収め、ベンとヴィーは拳をおろした。
「ふふっ、でも……楽しかったわ。こんなに全力で戦うなんて中々ないもの」
私がそう言うと、ヴィーが呆れたように笑った。
「お前……フィアナに叱られたあとでよく言えるな。まぁあたしも同意見だけど。禁忌階梯魔法を使うことなんてまずないしな」
「グルル」
ユーリは白い手袋をはめ直し、クスッと笑った。
「そうだね。今日はとても楽しかった。本当は観客を楽しませないといけないんだけど、どうやら……楽しませるというより、感動させてしまったみたいだ。それじゃあ、この後は解散ということで」
ユーリはエリスへ目を向けた。
「それとエリス君。僕がいなかったら……きっと君が剣聖だったろうね。なんてね。今度また、一緒に剣を磨こうね」
「えっ、あっ、はい! ありがとうございますっ!」
ユーリは一瞬で姿を消した。ヴィーは舌打ちをする。
「チッ……かっこつけやがってキザ野郎め。あんたもあんただ。あたしのベンを練習台にすんなっての」
「命がけでしたよ……?」
「まぁいいや。んじゃ、また会おうぜ。来年もたぶんあんたらだろうし。じゃあなー」
ヴィーがベンの背中に乗った。彼が踏み切ると、地面に大きな亀裂が走る。二人の姿はもう空の彼方。叩きつける風圧に、私とエリスは顔の前を腕で覆った。
「はぁ……あの子達、普通に帰るって選択肢はないのかしら。私たちも特殊な帰り方でもする? エリス」
「いえ、やめておきます……」
歓声は戻らないまま、客席には低い話し声が広がっていた。まだ舞台を指さして話す人たちを横目に、私たちは会場を後にする。入口で待っていたクローネが、私たちの顔を見るなり、ふかーいため息を漏らした。
「はぁ……あんたら、やりすぎにもほどがあるでしょ。ヒヤヒヤしたっての。禁忌階梯魔法だけじゃなくて、終幕まで使うバカがどこにいるのよ。いやあんたらだけど!」
「仕方ないじゃない。盛り上がっちゃったんだから」
クローネは言い返しかけて、口を閉じた。私たちを見ていた目が、一度、会場の方へ向く。
「……あんなの見せられたら……少し悔しいじゃない。私たちも絶対できるようになって見せるから」
「でもラビが使えるでしょう? ラビの終幕は私たちも知らないし」
「あれはラビので、私たちのじゃないし。とにかくっ! あんたらをぶっ倒すために絶対できるようになるから!」
「へー? 楽しみにしているわ。卒業まで、あと一年もないけれど」
「絶対、絶対絶対倒す」
指先を私に向けるクローネ。私はその前へ一歩近づき、ちゅっと短いキスをした。強気だった顔がふにゃんと緩む。クローネは口元を隠し、慌てて後ずさった。
「なっ、なにすんのよぉ……」
「ふふっ、でも本当に楽しみにしてるわ。私も信じてるんだから。あなた達がきっと挑みに来るって」
隣で片頬をふくらませているエリスのほっぺを、むにむにと押して空気を抜く。クローネへ笑いかけてから、私は少し目を伏せた。彼女たちは絶対に挑んでくる。私たちのいる場所へ座るために。




