破滅を与える楽園
第三決闘場の空気が一変する。息を吸うと、喉の奥が乾いた。私のアドミニストレータをかき消すように、枯れ果てた大樹と草花が空間を埋め尽くす。
ひび割れた大地には大量の骨が転がっていた。氷の檻が私の命令を無視して崩壊を始める。降り注いでいた槍も、二人に届く前に切っ先から魔力へと戻っていく。エリスの炎まで、地面の中へと吸い込まれていった。龍の目に、その流れが見えた。奪われた魔力が、大地を通してベンへと集まっている。
ベンが雄叫びを上げる。胸の奥まで震わせる、あの咆哮。一年前の暴走が脳裏をよぎった。彼の身体からあふれる魔力は、黒くて荒々しい。血走った目から、理性が薄れていく。
「ヴォォオオ!!」
私も流石に笑みが引きつる。迫るベンの拳。その前に氷を重ね、影へ潜る。一瞬遅らせたはずの拳が、それでも身をかすめていった。鋭い痛みが走る。
「イルナさん! 大丈夫ですか!」
後方に下がった私の隣へ滑り込んだエリスがそう言った。
「えぇ。すぐ治るわ」
掠めただけなのに肉が抉れてる。ほんと、第零席というのは楽しませてくれるわ。傷が塞がるのを感じながら目を上げると、残っていた氷も地面に吸い込まれていた。
チカッ……と一瞬の煌めき。ベンの右腕を走る剣の軌跡。すべての線がその腕を切り裂く。次の瞬間には、もう傷口がくっついていた。
ユーリが苦笑いをする。
「あはは……さすがはベン。暴走時のほうが戦いやすかったかな……」
ヴィーが満足げに胸を張る。
「ふふーん! どうだ。ベンはすごいんだっ! あたしとベンの禁忌階梯魔法は、原初の楽園を再現する。禁忌階梯魔法には、たとえ作り話でも、始まりから終わりへ至る物語が必要なんだ」
足元の枯れ草が色を取り戻していく。乾いていた枝の先に葉が開き、頭上で擦れ合う音がした。ベンの魔力が強まるほど、この世界には緑が戻ってくる。
「文明が大地を枯らし、自然はその怒りから破滅の獣を生み出した。魔法を使えば使うほど、この世界はその魔力を奪う。ベンに与え、文明を滅ぼす獣へと育てるんだ」
ベンの身体が変化していく。爪は鋭く、牙は長く。膨れ上がる巨体は、暴走時と同じだ。唸り声が低く、深くなる。その音に足元の土まで震え、どこから響いているのか分からなくなった。
「この世界とベンは同じものだ。奪い取った魔力のすべてが、自然を守るための破滅へと変わる。つまりベンは――限りなく原初へと近づく」
ベンの遠吠えに、大地そのものが吠え返した。およそ元の姿とはほど遠い。手足から全身へ、魔法術式にも似た黒い文字列が刻まれていく。体毛は輝くような白へと染まり、神々しささえ感じさせた。
そして私たちを取り囲む、骨だったはずの狼たち。まだ剥き出しだった脚にも肉が戻り、毛皮に覆われていく。開いた顎の奥で牙が並び、一斉にこちらを向いた。
狩られる。破壊される。そんな圧力を私たちへと与えてくる。これは……龍にでもならないと対抗できない。こんなの……創世の再現レベルじゃないっ!
それなのに……まだ終幕じゃないの?
乾いた笑いが私の口から漏れた。そして……一瞬で私たちの目の前に現れたベン。ただ、悠然と歩く。その一歩を待たず、私とエリスは影の中に潜った。
吐き出された先は、ベンから遥か遠く離れた端。私たちの元いた場所には、巨大なクレーターが残っていた。拳を振るったところすら見えなかった。もう、龍の目を解いている余裕はないわね。
魔法を使えば使うほど吸収されてしまう。仕留めるのなら一発で。
「イルナさん……少し、行ってきます。危なくなったら助けてください」
タンッ、と軽い足音で私の隣からエリスが消える。
「ちょっとエリス!」
「イルナさんは龍じゃないと相性が悪いので!」
そう言って彼女は白銀の炎を収め、龍の魔力を全身へと巡らせた。ベンの拳が地面を抉る。その上を跳び越え、エリスの剣が腕を斬りつけた。けれど、彼女が着地する前には傷が塞がっている。一撃でも受ければ致命傷。近くに留まれないのね。
そこへユーリが割って入る。彼はもっと直接的だった。拳が通る、そのすぐ脇へ足を置く。剣を振り、次の一撃をかわしながら、もう一度。見えた未来を辿るかのように、地面を離れずベンの身体を切り刻んでいく。
ギリギリの戦いを繰り広げるエリスを見て、私はそこで気づいた。
「ふふっ……もう、ほんと……勉強熱心ね」
エリスは学んでいる。宙を舞いながらも、その目はユーリの足運びと剣戟を追っていた。次に迫った拳には、跳ばなかった。踏み込んで肩を引き、拳の脇を抜ける。そのまま剣を返した。
ユーリの隣で、彼女の足が地面を捉える。浅かった傷が深くなり、一度しか振れなかった剣が、もう一度。ユーリも気づいたようで、隣のエリスへ微笑んだ。二人の剣が、交互にベンを斬りつけていく。
「グルァ?」
ピクッと私の耳が動いた。取り囲んでいる狼たちかしら。そう思った。でも違う。今の声がしたのは――
「……ヴィー?」
目が、獣のそれに変わっている。低く身を沈め、両手を地面についた。衝撃が地を走る。私は即座にエリスを影へ引き込んだ。ユーリが目を見開く。未来が見えていても、ぎりぎり。地面に伏せるほど身を低くした頭上を、ヴィーの爪が通り過ぎた。
「っく……!」
そのまま身体を回し、ヴィーの腹部を蹴り上げようとした……が、その足は彼女の手に止められていた。理性があるようには見えない。戦闘の勘が、身体に刻まれているのかもしれない。
ユーリの剣がその手の薄皮を裂く。足を掴み込まれる前に引き、地面を蹴って後方へ退く。そこへ一斉に襲いかかる狼たち。その全身が切り刻まれると同時。
ヴィーとベンという二体の獣が彼に影を落としていた。
「……さすがに禁忌階梯魔法なしじゃ対抗できないね」
ユーリが純白の剣先を地面へ下ろす。カン……と、小さな音が響いた。




